あらすじ
ある日のこと、俺、関口幸生は一人の女性と出逢った。女性の名前は冥加紫といい、俺の命の恩人である。そもそも彼女と最初の出逢いは、地元の古びた商店街の改築工事現場前で、ちょうど俺の頭上で作業していた作業員が誤って工具を落としてしまったことから始まった。突然降ってきた凶器に驚き、立ちすくんでしまった俺を、少々手荒だが突き飛ばすという方法で助けてくれたのだ。しかし、彼女に突き飛ばされた俺は、そのまま勢いをつけて地面に頭部を強打し気絶してしまった。
気絶していた俺が目を覚ますと、俺は彼女の家にいた。彼女が言うには、気絶した俺を自分の家に連れて行き、応急手当をした、ということだった。そして、彼女はここで、俺には四体の使者、つまり悪霊みたいなものが憑いていると言う。そんな突拍子のないことを言われても、信じることなどできずにいた俺だが、その後、自宅で彼女のいう「使者」に襲われたことで、彼女の言っていることが真実であり、自分が置かれている危機的状況を理解するのであった。
状況を理解し彼女の話を信じた俺は、彼女と共に使者の返り討ちを計画する。その計画は彼女の自宅近くに何故か存在する樹海の中で決行され、二体の使者、胡乱と怨嗟の撃退に成功する。しかし、次に現れた使者、傀儡と木偶という使者との戦闘で、彼女、冥加紫が俺の守護霊たる存在であることが発覚する。正体を知られた彼女は全てを認め、木偶を粉砕すると、自身の心臓たるコアを傀儡に接触させることで、自らの命と引き換えに傀儡の消滅を成功させた。こうして、俺の命は紫の消滅によって守られたのであった、と思われていた。
紫が消滅してから数週間後、俺の家に紫がいた。彼女の話によると、傀儡と共に一度は消滅したはずだが、意識が戻り目を開けると、紫が消滅する前に使っていた家で眠っていたという。
そして、俺の恐れていた予感は的中する。紫と共に消滅したはずの使者、傀儡も復活を遂げていた。しかし、傀儡は自身の復活が紫による情けだと思っていたらしく、怒りを露わにしていた。紫は傀儡と停戦協定を結び、謎の復活について議論した。その結果、おそらくではあるが、自らの復活は時間の巻き戻しによるものであり、その犯人は傀儡以外で俺を殺そうとする三体の使者のいずれかという結論に至った。
そして、紫と傀儡、二人が俺の家に住むことが、なし崩し的に決まった。
現在の時刻は午前十時頃、俺、関口幸生は登校のため通学路を走っている。時刻から言えば完全に遅刻であり、今更走っても仕方がないようにも思えるだろうが、今の時間に行われている授業、つまり一・二限目の授業は一日でも欠席しようものなら定期試験の点数が絶望的な事態に陥る事で有名なのだ。だから俺は急いでる。
家から全速力で登校した。しかし、現実は無情だった。廊下を教室に向かって駆けっている最中、授業終了を告げるチャイムが校内に響いた。
* * *
これは、俺が今日起床してから遅刻するまでの話。
朝、俺は目覚まし時計のアラームが鳴る前に起こされた。
「起きろ」
傀儡のドスの利いた低い声でのお目覚め。声の方向からすると傀儡はまだ天井に張り付いて寝転んでいるようだ。いくら人間離れしている化け物だからと言っても、天井に張り付いて寝る理由にはならないと思うのだが、本人はその寝方が気に入っているらしい。
「傀儡、今何時だ?」
「ふむ、我輩の見る限りでは、卯三つの刻のようだが」
「悪い、現代の言い方で頼む」
「午前六時半だ」
普段、俺はアラームを七時にかけている。しかし、それはあくまで余裕を持っての設定であり、いつもならアラームが鳴った後も遅刻しない範疇まで惰眠を貪っているのだ。
「まだ早いだろう? もう少し寝かせてくれよ」
「年長者の言う事は素直に聞くものだ」
布団にくるまり眠り続けようとする俺に傀儡は溜息をつきながら愚痴をこぼす、それだけでと済む思っていたが、甘かった。傀儡が突然張り付いていた天井から落下し、二度寝の心地良い感覚を味わっていた俺の体の上にダイブしてきた。上手く避けきれるはずもなく、傀儡落下の衝撃をモロに受け、目を覚ます。
「だから言ったであろう? 年長者の言う事は聞くものだと」
俺の体の上から降り、悶える俺を見下す傀儡、その体躯は小学校高学年の男子生徒並に小さく、高校生である俺と並ぶと弟にも見えてしまう程だ。声こそは成人、それも高齢の男性のものと言っても不思議ではない程の低さで、口調等からもその外見と結びつくものは見当たらない。
「朝餉の支度をしておく。それまでに小娘を起こしてこい」
そう言い放つと傀儡は寝室から出ていき、台所の方へ向かっていった。
「傀儡って料理できるんだ……」
傀儡の意外な一面を知った俺は、指示通りに傀儡の言う小娘、紫を起こしに向かう。紫は、使者である傀儡の前で無防備に寝むるわけにはいかないから隠れて眠ると言っていた。まぁ、どこにいるか、予想はできる。俺は迷わず、普段布団をしまっている押入れに向かう。
「おい、紫。朝だから起きろ」
「うーん、もう少しだけ寝かせてよ」
押入れの中から紫の声が聞こえる。予想した通り、押入れで寝ていた。
「傀儡に頼まれてんだよ。お前、俺の守護霊なんだろ? なんで悪霊の方が健康志向なんだよ」
「う、うるさいなぁ、起きればいいんでしょう?」
傀儡と比較されたことを気にしてか、紫は起きる決心をしたらしい。俺は思わずため息をこぼし、踵を返して押入れから背を向ける。今思えば、この時に早く押入れから離れるべきだった。
「よっ、と」
紫の声と同時にバキッ、という木材が弾けるような音が聞こえた。その直後、背中に押入れの襖がぶつかり、俺は前のめりに倒れる。それだけでは済まなかった。背中の辺りに一点荷重がかかる。状況的に考えて紫が襖、正確には俺の上に飛び乗ったのだろう。
「あれ? 関口、どこいったの?」
故意にか、本当に気付いていないのか、背中の辺りに立っていた紫はゆっくりと歩いて、俺の頭部の上で止まった。背中を踏まれていただけでも相当苦しかったのだが、うつ伏せの状態で頭部を踏みつけられているので、口と鼻が床に押し付けられて声をあげるどころか、呼吸すらままならない。死ぬ、と直感的に感じた俺は、手足を動かして必死に限界をアピールする。
「ん? あぁ、居たんだ」
足元から物音が聞こえた事で、状況を察した紫は俺の上から降り、襖をどかす。どうやら、本当に気付いていなかったようだ。
「それじゃあ行こうか」
紫は俺の足を掴み、引きずって台所の方へ向かった。
「……小娘。これはどう言う状態なのだ?」
傀儡は呆気にとられていた。無理もないだろう、守護霊が、守護する人間の足を掴んで引きずりながら移動してきたのだから。
「いや、襖開けるの面倒で、バーンやったら、居たんで、踏んじゃって、その……」
しどろもどろに返答する紫、その手は未だに俺の足を離してはいない。
「我輩達が手を下さんでも、小娘、お主が小童を殺してしまうぞ?」
「いや、あの、ごめんなさい」
一言謝る紫。手から力が抜け、掴まれていた俺の足が落ちる。足の拘束が取れ起き上がる。ふと、傀儡の顔を見ると、相当呆れた顔で紫を見ていた。
「これならば、小童のためにも、我輩がここで一思いに殺してしまうか」
思わず戦慄する。元々、俺を殺す気でやって来た傀儡からそんな言葉をかけられると洒落にもならない。これには、紫も焦りを見せた。
「ま、待って! 今度からは気をつけるから、それだけは勘弁して!」
必死に反省の色を見せる紫に、傀儡はため息をつく。
「冗談に決まっておろう。何故初めからそうしないのだ」
冗談と知って、俺は安堵する。一方、紫の方は、傀儡に怒られたのが相当堪えたのか、項垂れてしまった。
「ところで、小童よ。学び舎に今日は行かぬのか?」
「へ? だってまだ六時半過ぎなんだろう? 学校に行くのに十分もかからないし、八時半までに入ってりゃいいんだから、全然時間には余裕はあるぜ?」
そう、傀儡は先ほど、俺に六時半と時間を告げた。そんな早い時間から、学校に行かないのか、という質問は極端すぎる。しかし、傀儡は俺に告げた。
「勘違いしているようだが、我輩は貴様の寝床にあった時計の盤を読んだだけで、何も、外の時間が卯三つの時とは言っておらぬぞ?」
しばしの沈黙が流れる。俺は静寂を破り言葉を発する。
「傀儡さん、それはどういう事ですか?」
「ふむ、貴様、昨日の夜は我輩と同じ部屋で寝ておったであろう。大体察しはついているであろうが、使者が人間に接近することは、その人間や周りの物に何にせよ負荷がかかるということなのだ。要するに、昨日の間、我輩に常に接近していた状態の貴様や時計に負荷がかかった。そしてその結果、時計に負荷がかかることで、時間が狂うという状態に陥ったのだろう」
「じゃあ、今は何時なんですか、傀儡さん?」
「おおよそ、十時頃であろう」
「じ、十時? まずいだろ、今日は絶対に遅刻できない科目の日なのによぉ」
時間を聞いて嘆きながらも、登校の支度を始める。そんな俺に傀儡は言葉をかける。
「小童よ、先人の言葉に『急がば回れ』というものがある。」
「フォローになってねぇよ!」
支度し終えると同時にそう言い放ち、俺は玄関から飛び出していった。
* * *
チャイムが鳴った後の教室、全速力で走ったせいもあり、完全に息が上がっていた。とりあえず、席に座って呼吸を整えていると、クラスメイトの桂木裕紀が俺に話しかけてきた。
「よぉ、全速力でお疲れ様」
「あぁ、本当におツかれ様だよ」
二重の意味でつかれている俺は二つの意味を込めて言った。俺の状況を知らない桂木に愚痴ったところで仕方ないのだが。
何でこんな苦しい思いをしているのだろうか、そう考えていたら、ふと、先ほど傀儡が冗談で言ったという言葉を思い出した。
「なぁ、桂木。もし、お前が化物に一思いに殺されるか、暴力的な女と日々を過ごす、のいずれかを選ぶことになったらどうする?」
突然の素っ頓狂な質問に思わず桂木も首をかしげる。
「なにその究極の質問」
「いいから答えてくれ」
答えを急かすと、桂木は腕を組み、しばらく考えたあと結論を出した。
「普通に考えたら、後者の方だろ。だって、最初の方選んだら、即死亡なんだろう?」
「まぁ、そうなるよな」
予想した通りの答えが帰ってきた。一般的にも、やっぱりここは、いつか訪れる平穏な日々のために耐えるべきなのだろう。そう考えていると、桂木が聞いてもいない補足情報まで答えてきた。
「ま、一応、その女の子のルックスによっても変わると思うけどな」
「そうだよな、髪質は大事だよな」
「そうそう、って、俺を変なキャラに仕立てるのはやめろ」
俺の言葉を受けた桂木は茶化されたと思ったのか、少し、語気を強めて反論する。
「安心しろ、長髪の黒髪ストレートだ」
本当に紫の髪型はそうなのだから、嘘は言っていない。
「だから、そう言う問題じゃないって言ってんだろ? 第一、俺はロングヘアよりもショートの方が好みなんだよ!」
クラス全体がシンと静まり返る。俺も、まさかここまでムキになって反論するとは思わず、唖然としてしまった。
「お、お前、やっぱり髪フェ」
「真面目に答えて損したわ!」
怒ってしまった。
今日の学校は、終始静かなものだった。原因は、誰もが分かる通り、朝の俺と桂木の会話で起こった桂木の言葉だろう。結局、今日は気まずい空気のまま帰宅することになった。
自宅に着き、鍵を取り出すそうとカバンの中を漁っていると、カチリと鍵が開いた音がした。大方、傀儡が気をきかせて鍵を開けたのだろうと納得し、扉を開ける。
「ただいま」
靴を脱ぐのに下を向いていた俺がふと、前を向くと、紫がエプロン姿で立っていた。
「幸生、おかえりなさい」
「あ、ああ」
何故だろうか、今目の前にいる紫からは、普段の大雑把とも言える豪快な感じが消えていて、気の利く母親のような感覚すら覚えられた。そんな紫の変貌に驚いていると、傀儡が寝室から出てきた。
「おい、小童、小娘が壊した襖は修復しておいたぞ。ついでに、小娘の性格も矯正しておいた」
大体は納得した。きっと、俺が学校に行っている間に、紫は傀儡に説教を食らっていたのだろう。それで、改心した結果が今の紫なのだろう。そう感心して見ていると、ふと、違和感に気づいた。
「傀儡、何でお前、片手をずっと動かしてるんだ?」
傀儡は対象に呪いをかけることで、相手を意のままに操る能力を持っている。まさか、と思いカマをかけてみた結果、傀儡は白状する。
「チッ、貴様の考えている通りだ」
傀儡は、動かしていた手を止め、もう一方の手でパチンと指を鳴らした。すると、さっきまで、まるで主婦のように動いていた紫の動きが止まり、紫は呆気にとられた様子で辺りを見回していた。
「あれ? 私今まで何をしてたんだろ」
俺は、傀儡の方に向き直った。傀儡は視線を合わせないよう外方を向いてしまった。きっと、説教しても治らないと踏んでの行動だろう。
「あれ、関口、帰ってたんだ」
俺の存在をに認識した紫は、俺が家を出てから今までの記憶がとんでいるのだが、どういう事なのだろうか、と問いかけてきた。本当の事を言うときっと傷つくだろうと思い、この件に関しては黙り、別の話をすることにした。
「あ、ところでさ、傀儡、今朝話してた、負荷がどうとかの件、あれは防ぎようがないのか?」
話を振られた傀儡は、一瞬戸惑いの表情を見せたが、直ぐに落ち着きを取り戻し、説明を始めた。
「簡単な話だ。負のエネルギーを放つものを遮るには、正のエネルギーがあればいい。マイナスのものにプラスが加われば、ゼロになる。ただそれだけだ」
「ん? ちょっと待てよ。という事は、負の力っていうのが傀儡なんだから、正の力は……」
傀儡の説明を受けて解決法を考えていると、紫が話を中断させ、割って入ってきた。
「ごめんなさい。話してるところ悪いんだけど、傀儡、気付いた?」
真剣な表情で、傀儡に話しかける紫、傀儡もまたそれを受け、答える。
「うむ、我輩以外の使者が今、接近してきていたのは認識しておる。しかし、既に撤退している。頭数で部が悪いと踏んだか、もしくは、罠かもしれんぞ?」
二人の会話を掻い摘んで聞いていると、どうやら、傀儡以外の使者がこの近辺に出没しているらしい。俺からして見れば、物騒な話だ。
「えぇ、確かに、罠かもしれないわ。でも、これを見てもそうと言えるかしら?」
そう言って、紫は、俺の家にある時計全てを両手に抱え、傀儡に見せる。俺も、それを覗き込む。すると、ある違和感が目に付いた。
「時間が止まってる?」
「関口、その通り。一応、電池系統の問題じゃないことは確認済みよ」
「ふむ、つまり、宣戦布告ということだな」
「そういうこと。あんたも使者なら、大体の位置くらいは探知できるでしょう?」
紫の言葉を受け、傀儡はブツブツと呪文のような言葉を呟き、俺にも見覚えのある使者、木偶を召喚した。
「言われずとも、此奴で正確な場所まで把握しておる」
「わかったわ、それじゃ道案内お願いするわね。関口、あなたも来なさい。一人にさせて、使者に襲われても困るしね」
俺が返事を返そうとした瞬間、木偶の腹部が開き、俺を取り込んだ。
「心配するな小童。木偶の体内にいる限りは、安全だ。多少窮屈であろうが、目的地までは我慢せい」
そう告げられ、俺は木偶の体内に入った。体内は異次元空間に繋がってでもいるのか、自由に体を動かすことができた。しかし、光が全く射さない空間のため、不安や恐怖が際立って感じる。
木偶の内部に入ってから数分経っただろうか、そんな感覚に気が滅入りかけたところで、目の前が突然開けた。
「う、目が、眩しい」
光のない空間に居たせいか、些細な光でさえも刺激に感じてしまい、目が慣れるまで、何も見えずにいた。しばらくして、目が慣れてくると、そこには見覚えのある風景、傀儡と鎌を携えた紫の姿があった。
「紫、ここって」
「ええ、私や傀儡たち使者が一度消滅した樹海よ」
「傀儡、さっき感じ取ってたっていう使者の気配は?」
「ふむ、どうやらこの樹海で我々の探知を振り切ったようだな。今のところは何も感じないな」
俺は、傀儡からの報告を受け、考えを巡らせていた。
「ん? どうしたの、関口」
俺が何か考えているのを察知した様子の紫は俺に問いかける。
「ん、いや、紫は今、傀儡以外の使者の気配って感じるか?」
紫は少し考えるモーションを取った後、小声で答えた。
「いいえ、感じないけど、どうして?」
「いや、俺ん家で話してた内容だけ掻い摘んで考えると、この樹海に使者がいるって把握しているのは傀儡だけなわけじゃんか」
俺のその言葉で、紫は俺の考えを把握した。
「関口、それって、傀儡が今までやって来たことは自作自演で、一度負けた屈辱を同じ場所で晴らそうとしている、って言いたいの?」
俺は、傀儡が外方を向いているのを確認し、小さく頷く。
「確かに、可能性的にはありえない話じゃないわ。でも、それだと、ちょっと無理がある気がするの。だって、守護霊にとっての最大の屈辱は守護する人間を殺されることであって、自らが消滅させられる事じゃないわ。使者たちもほとんどがその事を理解しているし、第一、私も関口も傀儡の前で眠ってたりとか、無防備な振る舞いをしてるじゃない。屈辱云々で言うんだったら、当の昔に私達は殺されてるはずよ?」
確かに、紫の話にも一理ある。しかし、傀儡という使者には不透明なことが多く、何か裏があるように感じる。
「小童どもよ」
俺と紫の背後、距離をとった場所から傀儡が問いかけてきた。
「我輩に隠れて話していることから察するに、貴様らは我輩に騙されてノコノコとここまで着いて来てしまった、とでも考えてるのだろう?」
図星だった。紫は動揺する様子を見せず、傀儡に返答する。
「考えていない、と言ったら嘘になるわね。でも、正直なところ、あなたも同じようなこと考えてんじゃないの?」
数秒の沈黙の後、傀儡は答える。
「その通りだ。小娘、貴様は守護霊であるが故に、我々使者に対抗する能力があるはずだ。それに、先の時間停止の一件は貴様が言い出した事だ。ある程度の偽装は可能であろう?」
紫と傀儡の間に険悪な空気が漂い始める。
「まぁ、口で状況証拠を積み重ねたところで、水掛け論になることは目に見えてるし、可能性の域を出ないことは確実ね」
「ふん、まぁ良い。いずれはっきりすることだ」
一旦は区切りが付いた紫と傀儡の心理戦。ただ、今の会話を聞いている限りでは、傀儡が俺たちを欺いているとは思えない。もし、俺たちが考えていた通りに、傀儡が俺たちをここで殺す気ならば、今の会話を始めてから、背中を見せていたにも関わらず、襲いかかって来もせず、むしろ、話しかけることで、自らに注目させるような真似はしないであろうと思ったからだ。
「傀儡、一つ聞いていいか?」
俺は傀儡に、今回察知したという使者に関して聞いてみることにする。
「相手の使者に振り切られる直前までで良いんだ。相手の数とか特徴とかはわかるか?」
「一体だ。それ以外の情報は我輩にもわからん」
紫と険悪な雰囲気になった直後だと言うことも手伝ってか、傀儡はそう言い放ち、俺たちに背を向けた。俺は、とりあえず、紫とともに、現在の状況の打開策を相談することにする。
「今の一連の話を聞いてると、どうも傀儡が嘘をついているようには感じないんだよな」
俺のその意見には紫も同意する。
「ええ、確かに、今話していて、嘘をついているようには思えなかったわ。まぁ、でも、結局はさっきも言ったけど、口では幾らでも言えるけど、可能性の域を超えなければ、只の空想に過ぎないんだもの」
「ところで、今回の黒幕って、時間を操るまたはそれに値する能力を持った使者で、さっき傀儡が探知したっていう使者は、一体なんだよな」
「ええ、そうね」
もしも、傀儡以外の使者が蘇っていたとして、それぞれの時間が俺らに消滅される前で止まっているとしたら。もし、そうだと仮定できるならば俺には、一体だけ心当たりがあった。
「紫、多分なんだが俺の予想が正しければ、今この樹海にいる使者……」
俺が紫に話しかけようとした、その瞬間、背後でガキッという金属がぶつかるような音が聞こえ、動揺しつつも俺と紫は振り返った。
振り返ったそこにいたのは、忘れもしない、俺がこの樹海で初めて一人で戦った、体を変形させ、幼女の外見で相手を油断させる使者、胡乱だった。胡乱は自身の腕を変形させ、襲いかかってきたのだ。そして、傀儡は片手、正確には無数の見えない糸で胡乱の攻撃を防御している。
「小娘! 童を避難させておけ!」
傀儡が紫に指示を出す。紫は、援護をするつもりで、咄嗟に臨戦態勢をとっていたのだが、傀儡の指示に従い、俺をなるべく傀儡たちから距離をとった場所に移動させる。
「アハハハ、楽に死なせてあげようと思ったけど、抵抗するなら痛い目にあってから死んでもらうよ!」
胡乱は、後方にジャンプして傀儡から距離をとると、体中の骨格を変形させ、今までの幼女の体躯から、長身の女性に姿を変え、両腕を鎌のような形状へ変形させた。
「さっきとはリーチが全く違くてよ!」
そう言い放つと、胡乱は傀儡に向かって走り、ある程度の距離で鎌と化している左腕を横方向になぎ払うように振る傀儡は真上の方向へ飛び上がり、鎌のなぎ払いを避ける。
「バカめ! もう片腕が残っているわ!」
胡乱は中空の傀儡に向かい、右腕の鎌を振り下ろした。グシャッと肉が裂けるような音と共に、悲鳴が上がった。
「ギャアァァァ!」
「バカは貴様だ。体の変形が貴様の専売特許だなどと誰が言った?」
悲鳴の主は胡乱だった。傀儡は胡乱の右腕が振り下ろされる時、左肩から首までの攻撃を受けるであろう箇所を、鉱物に変形させていた。その結果、胡乱の腕は力任せに傀儡の鉱物と化した首筋に衝突し、腕が力に耐え切れず折れるような形で破壊されたのだ。
地面に倒れ込み痛みに悶える胡乱を見下げ、傀儡は問いかける。
「おい、貴様。我輩と貴様とは別に、そこに突っ立っておる小童に憑いていた使者を知らぬか?」
傀儡の問いかけに胡乱は吐き捨てるように答える。
「し、知らないわ。し、知ってても、あんたに教える義務はないわ……」
「そうか、ならば眠っていろ」
傀儡はそう言い終えると、横たわる胡乱を手刀で横一線に斬りつけた。それから胡乱は苦しむわけでもなく、ゆっくりと目を閉ざし、ついには動かなくなった。
「――死んだのか?」
しばしの静寂を破り、俺は傀儡に問いかける。
「いいや、使者同士の争いでは死ぬことはない。使者が死ぬ、ということは守護霊の加護によってのみもたらされる。まぁ、死と言うかは、塵と化して消滅、と言う方が適切だろう」
一呼吸置き、傀儡は紫を呼び掛ける。
「小娘、そういうわけだ。この使者は我輩では殺せぬ。止めは貴様に任せる」
指名された紫は傀儡に問いかける。
「ねぇ、こいつ、今ここで止めを刺すより、生かしておいた方が後々で使えそうじゃない?」
「何故だ? このような単細胞を生かしておいたら、いつ寝首を掻かれるかわからぬぞ」
「単細胞だからよ。こういうタイプは行動理念さえハッキリしていれば、盲目的に動くでしょう? だから、上手く丸め込めれば、これ以上はない特攻隊になるわ」
話を聞いている限りだと、紫は胡乱を生かしておくつもりらしい。そして、傀儡も渋々ながらも紫の意見を聞き入れた。
「仕方があるまい。だが、そうともなると、この使者を野放しにしておくのは危ない。そこの考えはあるのか?」
傀儡の懸念は正論だ。胡乱を生かしておいて、結局相手サイドに回ってしまったら元も子もない。
「じゃあ、関口の家に泊めればいいじゃない」
「それなら良い。我輩や貴様がこの単細胞に寝首を掻かれることはまずないだろうしな。」
紫の提案を傀儡は承諾した。これで、俺の家にはもう一人の住人が増えることに……
「ちょっと待ってくれ。泊まるって、俺の家?」
戸惑いながら確認する俺に、傀儡と紫はさも当然のように首を縦に振る。
「いやいや、それはまずいだろう、直接の接点がない紫ならまだしも、殺しのターゲットの俺と、さっきまで殺し合いをしていた相手と居ることになるんだぞ?」
そんな俺の必死な言い分を傀儡は一蹴する。
「それは問題ない」
一呼吸置き、傀儡は淡々と語り始める。
「そもそも、使者同士の争いというものは、殺し合いとは別の意味を持っておる。使者同士の争いは、いわゆる利権争いのようなもので、我輩がそこの使者に勝ったということで、小童、貴様を殺す権利を我輩が優先的に与えられたということだ。これは、使者の世界では何よりも重んじるべき規則に基づいておる」
傀儡は最後に「規則違反をした使者は即消滅だ」と付け加えた。しかし、胡乱は典型的な激情型の使者だ。感情に流されて、その規則とやらを破る可能性も否定できないのでは、と傀儡に問いかけたが、返ってきた答えは、とても簡潔なものだった。
「試して見ればわかる」
帰宅した俺は、何とも言えぬ疲労感と不安感で心が押しつぶされそうであった。
傀儡との話し合いが終わったあと、俺は、行きと同様に木偶の体内に入って帰宅することになった。帰りの木偶は、明らかに行きと比べて大きかった。俺の倍はあろう体格の木偶の腹部がパカッと開く。
「さぁ、またこの中に入っていろ」
傀儡に促される通り、木偶の腹部に入る。
「ついでにこれもお願いね」
そう言うと、紫は地面に倒れていた胡乱を抱えたかと思うと、俺のいる木偶の中に胡乱を放り込んだ。
「わ、重い!」
咄嗟に、投げ込まれた胡乱をキャッチしたつもりだったが、体躯が平均的な成人女性のものであり、少々小柄な俺にとってはキャッチするには体格が大き過ぎた。それに加えて、今意識の無い胡乱は全体重を俺に委ねている。結論から言うと、胡乱を抱き込んだまま倒れてしまった。
「ふむ、なんとか入ったか。閉めるぞ」
傀儡がそう言い放つと、木偶の開かれていた腹部はギリギリと音をたてて閉まっていった。
それからしばらく光の差さない木偶の体内に胡乱を抱え込んだまま寝ころんでいた。木偶の体内に入ってから、およそ体感的にみて五分ほど経ったであろう時だった。
「う、うぅ」
胡乱の意識が戻ったのだ。俺の上で唸りながら、多分立ちあがった。真っ暗で何も見えないが、今までかかっていた体重が突然感じなくなったから、立ち上がったのだろう。
「ん、ここは? 視界がまだはっきりしない……」
胡乱が呟いている。声をかけようとしたが、ここで下手なことを言って危険に晒されるよりかは黙って様子をみている方が賢明だと思い、動かずに黙って様子をみることにした。
「あ、あれ? 真っ暗?」
胡乱は声からでも判断できるほど動揺している。突如として完全に視界が失われたのだ。動揺しない方がおかしい。
「あ!」
胡乱が声をあげ転んだ。俺の足に躓いたようだ。ドサッと胡乱が俺に覆いかぶさるように倒れ込む。
「え? 何これ、地面じゃない? 死体?」
確かに地面ではない。だが、死んでもいない。
「こ、腰が抜けた」
え、このまま家まで待つの、と考えていると、胡乱は俺の上で震えながら泣き出してしまった。
「怖いよ、怖いよぉ」
ここで、俺が胡乱に「俺は死体じゃない」と言ったと考える。多分、胡乱はパ二くって下手をすると俺を細切れにする可能性がある。ならば、黙っていよう。それが一番賢明だ。そう考えていると、真っ暗なこの空間に光が漏れ、傀儡の声が聞こえた。
「小童、着いたぞ、出てくるとい……」
「あ」
紫の声が聞こえたかとまた暗闇に戻った。何で?
それから、おおよそ十分後、俺と、泣き疲れて衰弱した胡乱が木偶の体内から保護された。
帰宅した俺らは、まず胡乱にこれまでの経緯を説明することから始めた。しかし、胡乱を刺激しないよう話を要所要所で省略しながら話すのには、流石に骨が折れた。
「つまり、私たちは同業の奴に利用されていた、と?」
「そうだ」
胡乱が傀儡に問いかけ、それに傀儡は腕を組みながら頷き答える。それからしばらくの沈黙が流れた。
「貴様の力を借りたい、ちなみに拒否権はない」
沈黙を破った傀儡は胡乱に強制だが、協力を求める。
「確かに、規則に反して消滅するのは願い下げよ。でも、あんたたちに協力するなんてのも」
「死体と共に木偶の中に封じ込めるぞ」
「勘弁してください。お願いします」
真顔で胡乱を脅す傀儡。胡乱は先ほどまでの出来事がトラウマになっているようだ。何故そのことを傀儡が知っているのかは分からないが。
「始めから素直に聞き入れればいいのだ」
そう言い放つと、傀儡は胡乱に近づき、言葉を続ける。
「貴様は今からここに留まれ。その方が都合がいい」
「わかったわ」
素直に聞き入れる胡乱。こうして、俺はまた俺の家に同居人が増える事になった。
そして、この日の夜、傀儡を除いた俺らは寝床の奪い合いが始まった。
「私は押し入れでいいわ」
そう紫は言う。しかし、朝方に押入れを軽く破壊された家主としては、それを許容するわけにはいかない。
「待て、それはダメだ。押入れには胡乱が寝てくれ」
「嫌よ。暗いし狭いし」
胡乱は即答で拒否する。この使者は閉所恐怖症なのだろうか。
「だから、私が押し入れで寝るってば」
紫がどうしても押入れで寝たがる。押入れにどんな思い入れがあるのだろうか分からないが、とても気に入っているようだ。
「ふむ、馬鹿げたことで争う貴様らを見ているのも、中々面白いものだな」
天井にピッタリと背中をくっつけ、俺らを物理的に見下している傀儡は、面白そうに笑いながら毒を吐く。
「茶化すな傀儡。学生の俺にとって睡眠の問題は死活問題だ」
なおもクスクス笑って面白がる傀儡は必死な俺らに提案をする。
「それでは、我輩が貴様らの寝床を決めてやろう」
「で、どうしてこうなった?」
俺は、床に敷かれた布団にいつも通りの体勢で眠っている。ただ、俺の隣に、幼子と化した胡乱、そして紫が寝ころんでいる。そして、その真上の天井に傀儡が寝ている。
「この位置が貴様のためになる。我輩が多少の距離をとり、そこの使者が力を最小限に抑えた姿を維持し、その近くに守護霊である小娘を置いておくことで、人間や物質にかかる負荷を最小に抑えた。これで、しばらくは貴様も休息できるだろう」
傀儡はそう告げると、スッと眠りに入ってしまった。
「俺のため、ねぇ」
横に眠っている胡乱と紫はいつの間にか眠っていた。俺は、真上で眠っている傀儡を見て考えていた。この使者は、俺を殺しに来た使者、何の因果かその殺し屋と俺は同居している。この使者は本当に俺を殺そうとしているのか、そして、俺は何故こんなにも落ち着いて考えていられるのか、全くわからない。そして、何よりも、俺はこの使者に親しみさえ感じ始めている。
「考えても無駄、かな」
俺は、考えることを止め、眠ることにした。
これは、夢だろうか。俺は、車の後部座席に座っている。運転席と助手席には、見覚えのある若い男性と女性が座っている。そして、目の前からは大型トラックがこちらに向かって走ってきている。一瞬、視界が消えた。しかし、すぐに戻った。見るも無残に砕け散ったフロントガラス、運転席に座っていた男性はグッタリして動かない。助手席の女性は、シートベルトをはずし、俺のいる後部座席に向き直る。
「幸生、今、お母さんが助けるわ」
俺に向いた女性の顔、血が流れているが、それよりも俺を驚かせることがあった。
母さんと名乗る女性の顔、それは紫と瓜二つだった。
つづく
あとがき
今回は産技祭季刊ということで、初めての方が多いと思いますので、まずは、初めまして。そして、いつも私たちの冊子を手にとって下さっている皆様には、こんにちは。雪鳥です。
今回の作品は、知っている方は知っていると思います、私の過去の作品「お憑かれ様」の続編です。こちらをご覧になっていない方は、産技高専品川キャンパス文芸同好会のホームページにアクセスして頂ければ、過去の掲載作品として、ネットに掲載されていますので、気軽にどうぞ。
さて、今回のこの「憑かれる男」は、題の通り主人公の関口幸生が守護霊の冥加紫、関口を亡きものにするために異界からやってきた使者の胡乱、傀儡と同居(憑かれる)ようなお話になりました。
でも、彼らって、作者が言うのも難なのですが、傍からみると、父親がちょっと若い家族みたいなんですよね。まぁ、実際は傀儡(外見は男児)だけが妙に大人っぽいんですが。(作者目線)
ここからは、この作品の作成秘話というかは、かなり内輪な話になるのですが、この作品の設定であります「使者は人間や物質に悪影響を及ぼす」というものなのですが、実はこの作品の執筆中に二回パソコンがフリーズしたのです。そもそもが、この作品の主人公の幸生が初作品で被った被害もパソコンのフリーズなのです。それと、幸生の住む町と同様に、少し古びてしまった商店街があるのですよ。
まぁ、私が何を言いたいかと言いますと、結論から申し上げると、家族構成と出来事以外では、彼と私は意外と似ているということです。
ちなみにこの作品のオチ、実はもう一個考えていたのですが、どう繋げるか迷ったあげく、諦めてしまいました。そのオチがこれです。
裕紀「おーい、今日は迎えに来てやったぜー、出てこいよー」
幸生「あぁ、鍵は開いて……あ、ちょっと待って!」
ガチャッ(扉が開く)
胡乱(幼子)「……」
傀儡(男児)「……」
紫(大人の女性)「……」
幸生(姉はいない。両親は亡くなってるはず)「えっと、これはな、ちゃうねん」
裕紀「チクショー!」
裕紀、走り去る。
幸生「おい! 裕紀?」
ま、このオチを入れたら、完全なるギャグ系の作品になってしまうから、自粛したってのもあるのですが。
さて、私の与太話に付き合って頂き、ありがとうございました。それでは、次の作品をご覧ください。