「ついていない」
ため息まじりにそうつぶやいた俺、関口幸生は、家からさほどはなれていない商店街を歩いていた。
「まさかパソコンが壊れるとは思ってなかったからなぁ。」
それは、二時間ほど前のことだった。俺が暇つぶしにとノートパソコンを立ち上げ、ネットを見ようと画面を動かそうとした時にパソコンが原因不明のフリーズを起こした。それを直そうとも素人である俺がどうすることもできず、止むを得ず修理に出した。それからの帰りで、特に理由はないが、商店街を通って帰ることにして今に至る。
「しかし、この商店街も変わったなぁ」
昔、俺が子供の頃、この商店街には駄菓子屋とか、八百屋とか、小さな本屋とかがあって子供たちのたまり場だった。だが、今となっては、そのほとんどが店をたたみ、場所によっては取り壊され、よくわからない建物に変わりつつあった。
しみじみして歩きながら、建設中の建物の上部を見上げていると、何かが壊れたような音がした。その音の正体は、工具箱とそれを乗せていた板だった。それらは、建物の上から落ちてきて、工具箱の中身は空中
でバラバラになって落ちてきた。
「うあぁぁぁ!」
俺は、叫んだ。足が固まっていて、それしかできなかった。それから何故か、脇腹に強い衝撃を受け、俺は地面に頭から倒れ、そのまま気を失った。
* * *
「痛ぇ……」
目を覚ました時、俺は見知らぬ家で布団にくるまっていて、頭には包帯が巻かれていた。
「気が付いたのね」
不意に声がした方を振り向くと、そこには一人の女性が立っていた。
「ここは?」
「ここは私の家。私は、まぁ、趣味でおはらい的な事をやっているの」
「お、おはらい?」
思わず声がひっくり返った。
「言っておくけど、別にあやしい者じゃないよ。ただ、あなたに伝えておきたい事があって、ここに連れて来たの」
状況が読めない。とりあえず、覚えている事は、商店街を歩いてたら、建設現場から色々落ちてきて、脇腹に何かがぶつかってきて、地面に頭を打った。ここで、記憶が途切れてる。
「あ、そうだ。頭の包帯は、私が君をドライバーの雨から救った証ね」
「証って、まさか、あの脇腹の痛みはあんたの仕業?」
「仕業とは失礼な。私の咄嗟の判断で、君を蹴飛ばさなければ、君は今頃、あそこでグロいオブジェになっていたとこなんだからね」
確かに、言っている事は正しい。
「でも、こんな拉致するみたいにここに連れてきて、どうするつもりだよ」
「仕方ないでしょ。せっかく助けてあげたのに、頭を怪我した上に気絶までしちゃって、伝えたいことがあるのに、そのまま放っておくワケにはいかないから、わざわざ、家まで担いで連れてきて手当してあげたのに」
担いでか。目の前にいる女性は長身だが細身で、到底俺を担げるとは思えないが、人は見かけによらないんだな。と感心した。
「まぁ、蹴飛ばされた事も、ここに連れてこられたのも、俺のためだったって事は分かったから、早くその伝えたい事っていうのを教えてくれないか?」
「え? あぁ、そうだ。それじゃあ、本題に入るけど、これから言うことは、事実だから心して聞いてね」
今まで微笑んでいた彼女の顔が、一転真剣な顔になった。
「あなた、最近身の周りで変わったことがない? 例えば、物が壊れたり、損をするようなことがあったり、命に関わることが起きたとか、どんな些細なことでもいいの」
「え、そうだな。ついさっきパソコンが壊れたなぁ。それで、後はあんたが助けてくれた時の事位かな」
「単刀直入に言うわ。それ、霊の仕業よ。いや、霊よりもひどいかもしれない」
「霊?」
おもわず吹き出しそうになった。何を言われるかと思ったら、霊なんて、非現実的もいい所だ。おかしすぎて、話の続きを聞いてみたくなった。
「それで、その霊か何か知らないけど、おはらいでもしてくれるのか?」
「そういう事」
我慢できず、爆笑してしまった。
「ハハハ、霊なんか信じろって言われたって無理にきまってんだろ?」
「そう。まだ、信じられないのね。いいわ。次にもう一度会いに行くから、しっかり考えておいてね」
そう言うと、彼女は拳を構え、俺のみぞうちめがけ、重いパンチを打ってきた。声を上げることすら叶わず、意識が遠のいていった。
* * *
次に目を覚ましたのは、夜中で、俺の家の前だった。
今起きた事は、悪い夢だったのか? そんな考えが頭をよぎったが、頭の包帯と今もなお続く脇腹、頭、そしてみぞうちの痛みが夢でないことを物語っている。
「でも、なんであいつは俺の家がここだって分かったんだ?」
気味が悪かったが、とりあえず家に入る事にした。
俺の家は、古めの二階建てアパートで、俺を合わせ十組ほどの住人が住んでいる。そして、俺は二階の隅にある九号室で、一人暮らしをしている。
部屋の前まで着くと、ズボンの右ポケットから鍵を取り出して、ドアを開けた。
「ただいま」
別に誰かが居るわけでもないが、このあいさつばかりは習慣として身についてしまった。返事がないことも当たり前として捉えていた。だからこそ返事があるという事に数倍恐怖を感じた。
「オヤ、マダ生キテオッタカ。今日ニハ殺セト言ッテオイタガ、彼奴メシクジッタナ」
その声の主は、部屋の真ん中にあぐらをかいて座っていた。座っているため、確信はないが小柄に見える。子供のようにも見えるが、そんな外見とは裏腹に声はとても低く、ドスがきいていた。
「お、お前何者なんだ? 警察を呼ぶぞ!」
俺は精一杯の虚勢を張って叫んだ。しかし、目の前の男は全く動じず
ただ、こっちを見つめながら、独り言を言っていた。
「フム、仕方ナイ我輩ガヤッテシマウカ」
そう言い終えると、面倒臭そうに立ち上がり俺の方に近寄ってきた。
「悪ク思ウナ。コレハ貴様ノ運命ナノダ」
男が手をかざすと、その手は人間の常識を軽く超える程に変形し、蟷螂の鎌のようなものになった。
殺される。直感的にそう感じた。咄嗟に逃げようとしたが、腰が抜けてその場に倒れこんでしまった。声も出ない。そうこうしている内に男は、目の前にいて鎌を振り上げていた。しかし、男は鎌を振り下ろすこともなく、手を元の形状に戻した。
「ハン、命拾イシタナ」
そう言って男は霧のように消えていった。
「な、何だったんだ今の」
まだ、心臓の鼓動が大きく鳴っている。外の景色を見て落ち着こうとカーテンを開けた。それはある意味間違いだった。
「あ、ちょうどいいや。ここ開けてくれない?」
昼間会った女が何故か屋根からロープをかけて窓をこじ開けようとしていた。本日三度目の気絶をした。
* * *
今度は俺の家のベッドで目が覚めた。
「気が付いた?」
その声に驚き、思わず後ずさりした。
「なんで昨日のあの時窓を開けてくれなかったの? おかげで大変だったんだからね。」
そう言われて、窓の方に目を向けると窓ガラスが無残に割られ、床に破片が飛び散っていた。窓の外にはすでに朝日が昇っている。どうやら一晩中気絶していたらしい。
「だからって、空き巣みたいな真似しやがって」
「でも、私はまたあなたの命を救った」
「――?」
「変な奴に殺されかけたでしょ。あの時、この部屋には邪念が感じられたから」
考えると、あの怪物はこいつを助っ人と思い込んで逃げたのかもしれない。そうならば確かに命を救ったとも言えるだろう。
「それで、答えは決まった?」
「はぁ?」
「私と一緒にその変な奴を追っ払うか否かって事よ」
いまだ、霊の存在というのは信じることが出来なかった。しかし、昨夜の出来事は紛れもない真実であり、またいつか襲われるかもしれない。
そんな恐怖もあり、答えは決まっていた。
「あぁ、答えはイエスだ」
こいつは時折、狂気じみた事をするが、二度も命を救ってくれていることから信頼しても良いと判断した為の答えである。
答えを聞いた彼女は満足そうな顔をして、言った。
「よし、それじゃあ説明も踏まえて、状況整理しよう」
昨日までは笑い飛ばしていた彼女の話に、真剣に耳を傾けた。
* * *
「つまり簡単な話にすると、俺の寿命が近いからあの怪物が、あの世からやって来て俺を殺しに来た、ってことか?」
こいつの説明によると、人は生まれた時から寿命が決まっていて、その時期が近づくと天からの使者が殺しにやってくる、ということらしい。
「大体そんなところね。まぁ正確には、あの怪物たちだけど」
「たち? あんなのが何匹もいるのか?」
「そう。ただ、普通は一人に対して一匹しか憑くことはないの。でも、あなたの場合は異例中の異例で、四体の怪物が憑いているわ」
「四体……」
「最初にあなたと会った時、変わったことが無かったか。っていう質問をしたでしょう? あれで相手が複数いるって確信が持てたわ」
「何故、そんなことでわかったんだ?」
「そういう類のものは、大抵複数集まると負のエネルギーみたいなものが反発しあって、周りの人や物に影響するの。それで、あの質問に対して、あなたはあると答えた、ってことよ」
「あぁ……」
大体言いたい事は分かるのだが、どこか納得がいかなかった。
「それで、そろそろ本題に戻るけど、いい?」
「それなんだが、アイツらを追っ払うって言ったって、アレに説得が通じるとは到底思えないが……」
「当たり前でしょう? あっちは一応仕事をしているようなもんだから。あなただって、上司に頼まれた仕事を、相手が納得できないから。って諦めて帰るの?」
これでも一応、俺の命がかかっているんだから、そこまで言うなよ。と言いたかった。
「じゃあ、一体どうするんだ?」
「やられる前にやっちゃうのよ!」
多少語気を荒げて問いかけたら、向こうもそれに負けず劣らずそう叫んだ。その言葉の意味が脳内で理解できたのは、それから、十秒ほど後の話だった。
「はぁ? それって返り討ちにするってことか?」
「そういうこと」
「相手は怪物なのに、勝てんのか?」
「前例は無いけど、それしかないじゃない」
まだ納得のいかない俺を余所に勝手に話を進められた。
「それに、素手で戦えとは言ってないんだからさ」
そう言いつつ、彼女は見覚えのある拳の構えをしていた。
「今度は喰らわねえからな」
そう言って体勢を低くして腹をガードした俺だったが、詰めが甘かった。
「うぁ……」
首の付け根辺りを殴られた。また意識が薄れていくのが感じられた。
* * *
「今度はどこだ。」
意識が戻り、開口一番に言った。
「私の家。」
「この際何処でもいいけど、あんたはもう少し俺をやさしく扱えないのか? これじゃあアイツらにやられる前にあんたに殺されちまうよ!」
不満を爆発させたが、全くと言っていい程効果がなかった。
「えー、だって、住所とかあまり知られたくないんだもん」
突っ込みどころがありすぎる。まともに相手していたら埒があかないと思い、深くは突っ込まなかった。
「で、今度はなんで連れて来たんだ?」
「武器を渡すから」
「おはらいって言ってたから、お経を読むとか、そういうのを想像してたんだけどなぁ」
心の中で言ったつもりだったが、口をついて言ってしまった。
「おはらいって言ってもたくさんあるのよ。あなたが読むようなマンガで巫女さんがやっているようなのとかね」
失礼な。そんなマンガはまだ読んだことねぇ。
「武器っていうと、剣とか銃?」
それでも、少年マンガのような展開に少しばかりテンションが上がった。しかし、渡された物を見て、それもガタ落ちした。
「武器ってこれ?」
渡されたのは、宝石の代わりに石ころのようなものが埋め込まれた指輪だった。
「あ、もしかして、これって戦う時に変形したりとか……」
「しないわ。本当にマンガの読み過ぎじゃない?」
どうにかしてモチベーションを上げたくて、言ってみたが、一蹴されてしまった。
「まぁでも、もう片方の物はあなたの期待に添えられると思うわ」
そう言って、もう一つの武器を渡してきた。それは、漆黒の鞘に納められていた日本刀だった。
「先に言っておくと、それは特殊能力とかないからね」
言おうとしていた疑問を、先に潰されてしまったが、それでも、怪物たちと戦うためのモチベーションはグンと高まった。
「もう一つ言い忘れてたけど、最初に渡したアレ、肌身離さず指につけてなさいよ」
「了解」
俺はあの指輪を右手の中指にはめた。不思議とサイズが合っていたため、第二関節まですんなりと入った。
「ふふ、結構あなたに似合ってるじゃない」
彼女は、微笑みながら言った。
「前から思ってたんだけど、俺のことをあなたって呼ぶの止めてくれないか? 俺には関口幸生っていう名前があるんだし、第一に気持ちが悪い」
「そう? それじゃあ関口って呼ばせてもらうわね。その代り、私のことはユカリって呼びなさいよ。私にも、冥加紫っていう名前があるんだからね」
一呼吸置いてから、紫と名乗った彼女は、ある忠告をしてきた。
「絶対に苗字で呼ばないでよ。ミョウガって呼んだらタダじゃおかないわよ」
「はいはい。わかりましたよ、ミョウガさん」
「言ってるそばからっ!」
頬にビンタを喰らった。
* * *
数時間後、俺は樹海の中に居た。紫いわく、奴らは人知れずコトを済ませたいので、人気のない樹海などは、奴らをおびき出すのに最適らしい。そこで、紫の家の近くに何故か存在する樹海へ俺は連れてこられた。そして、紫自身は、私的なことを済ませてから合流する、と言ってココから去ってしまった。
「なんの因果でこんな場所に置き去りにされなきゃいけないんだ?」
ココに置き去りにされてから随分時間が経ち、周りは暗くなり始めていた。
暗がりの樹海で日本刀片手に佇む俺、ハタから見れば変人だろうな。そんな事を考えていると、生暖かい風が吹き始め、周りの木々がざわめきだしたのに気付いた。さらに耳を澄ましてみると、歌のようなモノが聞こえてきた。
「とーりゃんせー、とーりゃんせー」
女の子の声で、確かにそう聞こえている。それどころか、その歌は少しずつハッキリしてきて、近づいているのがわかった。
「こーこはどーこの細道じゃ」
声は近づいているのだが、肝心の歌い手が見つからない。俺は刀を構え、叫んだ。
「何処にいるんだ! 隠れてないで出てこい!」
「天神さーまの細道じゃ」
背後から何者かに抱き着かれた。
「ずっと後ろにいるよ、お兄ちゃん」
俺は、咄嗟に刀の柄で、その何かの手を打った。
「きゃっ!」
何かが背中から落ちて行ったのがわかった。何者かを確認するため、振り返った。すると、目の前には、年端もいかぬ少女が転がっていた。
「痛いよぉ。お兄ちゃん」
「ご、ごめんね。つい条件反射で……」
急いでその少女に手を貸そうとした。しかし、彼女は思いもよらぬ行動をとった。
「じゃあ、大人しく死んでくれたら許してあげる」
そう言うと、彼女は突然何もない空間から大鎌を取り出して、俺めがけ鎌を振ってきた。
「うわぁぁぁ!」
後ろに受け身をとって、紙一重でかわすことができた。
「ふふふ、やっぱり簡単には出来なかったかぁ」
「まさか、君は使者の一人なのか?」
まるで無邪気であるかのように微笑んでいる彼女に、俺は問いかけた。
「うん。いかにも、私はお兄ちゃんを殺すように命じられた使者の一人。純悪の胡乱よ」
胡乱と名乗る使者は、問いかけに応じながら、体全体の関節を鳴らし、体の隅々まで丹念にマッサージのような事をしていた。それが終わると胡乱の外見は年端もいかぬ少女から、二十代ほどの平均的な女性のものに変わっていた。
「ついでに言っておくと、純悪っていうのは、今みたいな純粋そうな子供に化けて殺しをする性悪なやつ。っていう意味ね」
名前の補足説明を終えた胡乱は、先ほどの大鎌を構えた。
「まあ、これから死ぬんだし、覚えなくてもいいよ」
言い終えると同時に、胡乱は鎌を振り上げていた。それが振り下ろされるかといった所で右側に転がり、隙をついて胡乱の左の脇腹に刀で切りつけた。
「ぐあっ!」
深く切りつける事ができた。血こそは出ていなかったが、胡乱の表情が傷の深さを物語っていた。
「貴様ぁ、粉微塵にしてくれるわぁ……」
口調が変わり、鎌を辺り構わず振り回し始めた。左右に避けようとしても、不規則に振られる鎌の直撃は喰らってしまう。俺は、覚悟を決め、正面から刀を構えて向かっていった。
「馬鹿め! 八つ裂きにしてくれる!」
「やれるもんならやってみろ!」
ガキン、と金属同士がぶつかり合う音がした。俺の捨身の一振りは、見事に胡乱の鎌をとらえていた。
「ククク、こんな悪あがきで私に勝てると思って……」
そう言いかけた胡乱の顔色が突如変わった。
「――何故だ? 魔力が減っている? いやコイツが吸収しているのか?」
胡乱は明らかに動揺していた。これを攻めるチャンスとみた俺は、そのまま胡乱の鎌を力任せに叩き落とし、肩から腹にかけて思いきり斬りつけた。
「馬鹿なぁ……。私が人間風情に負けるとは……」
胡乱はそのまま地面に倒れこみ、数秒も経たないうちに砂と化した。
「――やったのか?」
最初の刺客である胡乱を返り討ちにできた事で、心の中で僅かながらの安堵していた。しかし、それも束の間、新たな刺客が目の前に現れた。
* * *
「ほほう。胡乱を倒すとは、人間にもあなたのような腕の立つ人がいるのですねぇ」
その刺客は漆黒のスーツに身を包んだ英国紳士のような風貌の男だった。ソイツは、顎の辺りをさすりながら、話を続けた。
「おっと。申し遅れましたが、私の名は、籠絡の怨嗟と申します。籠絡とは、説得で相手を納得させるという意味で、それが私のモットーでもあるのですよ」
「だが、俺はどう言いくるめられようが、あの世にはいかねえよ」
「問題ありませんよ。私はいつものように、説得させていただきます。そうすれば、あなたもきっと考えを変えるはずです」
怨嗟と名乗る男は、スーツの上着を脱ぎ、シャツの袖をまくり始めた。すると、怨嗟の上半身の筋肉が膨れ上がり、大型のクマのような体格になった。
「交渉開始」
怨嗟の腕は、俺の首に掴みかかり、そのまま首を吊らされている状態になった。
「さぁ、この状況なら数分も持たずに死ねます。そこで、質問です。このまま死ぬのなら、体の力を抜いて時を待ちなさい。自決するならば、今すぐ降ろしてあげます。最期を私が責任を持って見届けましょう」
「こ、こんなの、説得ですら、ねえ……」
声がかすれていく。このままでは、一分も持たず窒息する。今までの人生が走馬灯のようにして、脳内を駆け巡った。死を覚悟したその時、怨嗟に異変が起こった。
「ぐわっ……」
突如、怨嗟の腕から力が抜け、俺はそのまま仰向けになって地面に落ちた。自然と咳が止まらなかった。涙目になり、目がかすれたが、怨嗟に起こった異変の正体をハッキリと確認する事ができた。
「関口、大丈夫だった?」
紫だった。手には大きな鎌が握られていた。どうやら、その鎌で奴の背中を斬りつけたようだ。怨嗟の背には横一直線に斬られた痕があった。
「ごめんね。これを物置から取ってくるのに、時間がかかっちゃった」
物置に鎌って……。そんな疑問もあったが、今の状況ではその疑問を投げかける事ができなかった。
「交渉…、失敗ですか」
怨嗟はまだ生きていた。しかし、胡乱のように激怒するわけでもなく、冷静さを保っていた。いや、むしろ冷静すぎる程に落ち着いていた。
「来るのか?」
怨嗟は、自らの体格を元に戻し、服装も元のように戻していた。戦う気が既にないのは明白だった。身構える俺たちを見た怨嗟は、一言こう言った。
「私の負けです」
その言葉に驚く俺を余所に、怨嗟はこう続けた。
「私は、先ほども言った通り説得、つまり、殺されるか死ぬかだけの選択肢を与え、どちらにせよ死ぬ運命は変えられないという事を、頭の中で理解させる。といった方法で、数々の人を黄泉へ送っていきました。しかし、あなたの場合は、助けが来た事で、死の覚悟を捨て生きる可能性を信じた」
「流石に、覚悟のない人間を殺すのは、使者ながら良心が咎めるのでね」
俺たちに背を向け、怨嗟は暗い樹海の中に消えていった。
* * *
「え? 今ので、二匹目?」
俺はユカリにこれまでの事を説明した。結構驚いている様子だが、これは、俺が一人で使者を倒した事に驚いているのだろうか。
「いやぁ、てっきりアレが一体目で、悪戦苦闘中だったのかなと……」
「自力で一体倒しましたが?」
喧嘩腰で言ってやった。すると、返答がきた。
「ゴメン、関口の事を下に見過ぎてた」
怒って良いのやら、よく分からないが、泣きそうになった。
「ん? 三体目が来たかな?」
紫のその言葉で、我に返った。確かに、先ほどと木々の雰囲気が違って思えた。
「ク、ク、ク、察シガイイナ。」
昨夜の男だった。そして、その傍らにはもう一体の使者が居た。
「我輩ノコトハ憶エテイルナ。我ガ名ハ、傀儡。ソシテ、コイツノ名ハ木偶トイウ」
木偶と呼ばれた使者は瞬きすらせず、じっと俺を見ていた。しかし、その目には、生気というものがまるで感じられなかった。
「アァ、木偶ノ事ガ気ニナッテルヨウダナ」
「コイツハ、心ヲ持タヌ人形ダ。昨日、貴様ヲ殺スヨウニ命ジタガ、ソノ様子ダト、直接的ナ接触ハシテイナイ様ダナ」
昨日? 昨日といえば、あの工具の雨が降った日だ。まさか、アレは、この木偶という使者の仕業だったのか?
「木偶ノ報告ニヨルト、貴様ニ援軍ガ付イタヨウダガ……」
傀儡という使者は、深い黒の瞳を紫の方へ向けた。
「小娘、オ前カ?」
「えぇ、そうよ。私だけじゃ不満?」
「ク、ク、ク、タカガ人間風情ガ、ココマデ吠エルトハ。大シタモノ……」
傀儡は、今まで笑っていたかと思うと、突然何かを考え始め、また笑い出した。
「クハハ。成程、貴様ハソノ手ノ者、トイウ事カ」
「――?」
俺は傀儡の言った事が、理解できずにいた。その手の者? ユカリは一体何者なんだ? という疑問が頭の中を支配している。
「クク。ダガ、殺セバ同ジカ?」
傀儡は土の上にあぐらを搔き、両手を広げた。
「行ケ、木偶!」
その声と共に、木偶という使者は、俺達目がけ突進してきた。しかし、単純な突進だったため、左右に避けるだけで回避できた。が、思わぬ追撃が、紫の左肩を貫いた。
「うぁ……。」
声にならない悲鳴が聞こえた。紫の左肩には、腕のみが突き刺さっている。その腕の持ち主は即座に理解できた。木偶だ。どうやら木偶は、突進を止めた後、自身の腕を、さしずめバズーカのようにして、撃ってきたようだ。
しかし、それよりも驚いた事がある。紫の事だが、左肩を物が貫通しているにも関わらず、血の一滴も流していなかった。
「ゆ、紫?」
「オヤ? ソノ反応ダト貴様ハ、小娘ノ正体ニ気付イテイナカッタヨウダナ」
「イイカ童、ヨク聞ケ。ソノ小娘ハ、我々使者ト対局ニ位置スル存在。貴様ノ世界デイウ守護霊ダ」
傀儡の言っている事は理解できなかった。いや、正確には理解したくなかった。が、目の前で起きている事がその信憑性を物語っていた。
「関口……、確かに、アイツの言っている事は本当よ。私は、あなたの守護霊……」
ユカリは、左肩に刺さった腕を、引き抜きながら言った。
「私の使命は、関口幸生という人間を使者から守ることだった。」
左肩の傷をもろともせず、大鎌を両腕で構えている。
「ただ、使者の数が普通じゃなかった。だから、こうやって人間の姿に化けて、あなた自身にも協力を求める必要があった」
「結果的には、あなたを危険に晒す事になっちゃったけどね」
そう言い終えると、ユカリは木偶のいる方へと走って行った。
「三倍返ししてやる」
大鎌が木偶の脳天に振り下ろされた。木偶は、反撃すら許されず、粉々に砕け散った。
「クッ……」
傀儡は、両手をかばう様な体勢になった。どうやら、木偶が粉砕された時に、操り手の傀儡にダメージが流れたらしい。
「貴様ラ、図ニ乗リオッテ……」
傀儡は、鋭い目つきで、俺達を睨み付け、ブツブツと何かを言い始めた。それから、また両手を広げた。
「ク、ク、ク」
傀儡の不敵な笑みの意味を理解したのは、紫が俺に叫びかけた時だった。
「関口! 避けて!」
その叫びを聞くが先か、紫が大鎌で俺に襲い掛かってきたのを見た。
「わっ!」
間一髪、直撃は避けられた。そして、紫に何が起こったのかも大体理解した。
「チッ、運ノ良イ奴メ。ダガ次ハ外サン」
それは、傀儡の仕業だった。さっきの独り言のようなものは、相手を操るための呪文だったのだ。
「関口、もう私、駄目みたい。アイツが使った呪いが、かなり強いみたいで、どんどん意識が……。」
紫の顔は、生気を失い始め、目が虚ろになっている。しかし、傀儡の支配下にある体は、休むことなく、俺を仕留めようとしてくる。
「関口、あの指輪……。アレを、どうにかして、傀儡に接触させて。それが、最終手段だから……。」
今、俺が右手にしている指輪。コレを傀儡にぶつければ助かる。その一心で、紫の動きの隙を見つけ、傀儡の方へ走った。
「これでどうだ!」
傀儡の腹に、第二関節の指輪が接触するようにして、殴りかかった。
「ク、コンナ攻撃ガ効クトデモ……!」
傀儡の異変はすぐに起きた。
「ド、ドウイウ事ダ? 我輩ノ体ガ消エテイク……!」
「消えている」と言うよりは、「指輪に吸収されている」という方が妥当だった。砂塵と化していく傀儡の体は、指輪の石に付着している。
「それは、守護霊の核。つまりは私の心臓よ」
その声を聞き、紫の方を振り向くと、彼女は半透明な霧のような状態になっていた。
「核を接触させられた使者は、浄化されて吸収される……。」
「もっとも、心臓をそんな使い方した守護霊は無事で済まないけどね。」
「コ、小娘ェ……。貴様ァ、我輩ト心中スルツモリカァ?」
言い終えるか否か。傀儡は跡形もなく消滅した。
「ゆ、紫……。俺なんかのために……」
いつの間にか、俺は涙を流していた。
「何を泣いてるの? 喜びなさいよ。あなたは命が助かったのよ? 私も守護霊としての責務を果たせて消えるなら本望よ?」
「けどさぁ……」
反論しかけた俺を制し、ユカリは一方的に一言告げた。
「はいはい。お疲れ様」
その一言を聞いた後、意識が遠のいてきた。
薄れる意識の向こう側からは、何か声が聞こえた。
* * *
「大丈夫かい?」
確かにそう聞こえる。瞼を開けると、作業服に身を包んだ中年の男性が心配そうにこちらの顔色を窺っている。
「あれ? ここは……」
周りを見渡すと、そこは商店街の中にあった建設現場だった。
「いや、実は俺の不注意で工具箱を、上の足場から落っことしちまって、危うく君に当たるところだったんだ」
中年の男性は、俺に今までの状況をそう説明した後、頭を深々と下げて謝罪した。
それじゃあ、ついさっきまで起こっていた出来事は全て夢だったのだろうか。そんな考えが頭をよぎった。
ふと右手に目を向けると、中指に指輪をしていた。指輪に付いていた石は、白と黒が混ざったようなグレーの色をしていた。
「あぁ、つかれた。」
考える事を止めた俺は、心なしか今までより肩が軽くなっているよう
に思えた。
終わり
あとがき
こんにちは、雪鳥です。
今回は、僕が今まで書いたことのない少し長めの作品です。
とりあえず、この作品の登場人物らの名前の由来をこの「あとがき」で説明させて頂きます。
関口幸生……関口という苗字は、赤口。つまり、あまり良くない日と言われるものをもじってみました。幸生は、まぁ特に意味は無かったのですが、悪い意味だけの名前も可哀そうと思ったので付けてみました。
冥加紫……全体的にも紫が似合いそうな名前(?)ですが、一応これにも意味があります。まず、冥加という言葉は、助けられる事やありがたいと思う事という意味があり、それにユカリ(縁)を足して助っ人的な意味合いを持たせたかったのですが……。強引すぎますかねぇ?
胡乱……辞典をパラパラと開いている時に見つけた言葉で、なんとなく怪しい様子や、はっきりしない様子を意味します。(使者の名前は大体同じようにして見つけました。)
怨嗟……恨み、嘆くこと。という意味があり、最初は、陰気なキャラにしようかと思ったのですが、途中で考え直して紳士系のキャラにしました。全世界の紳士の皆様スミマセン。
木偶……その名の通り、操り人形です。
傀儡……この使者なのですが、傀儡と書いてあると「クグツ」と読んでしまいがちですが、この作品の中では、あくまで「カイライ」で通しています。そして、もう一つ傀儡だけがカタカナで話す意味ですが、それだけ低い声だと思ってもらえたら幸いです。
一通り名前の由来を読んでいただいて、「へぇー、こんな意味なんだ。」と思った方や、「だから何?」と思う方、様々だと思いますが、私的には前者だったら嬉しいです。
それでは、今回はこの辺でお別れとさせて頂きたいと思います。
次の作品にご期待ください。