神敵〜アルチェネミ〜
これまでのあらすじ
この世界では魔術が科学的に証明不可能のまま、学問のひとつとして存在し続けている。
その発端は中世ヨーロッパに実在したヨハン・ファウスト博士の弟子が、自らの師を魔術の実験で失った後の研究の末に、
『悪魔は存在せず、魔術とは神の創造したこの世界に人の手で干渉できる技術である』
ということを悟り、それを理論と公共での実演で証明したことに始まる。
それは本来の悪魔や天使の召喚を中心とした大規模な儀式を行わず、人間の血流から生じる生命のエネルギー、魔導波を魔法陣により物理的な力へと変換して魔法陣内の物を操るという実用性あるものだった。
これに魅せられた観客、及び著名な学者の何人かは彼を信望し弟子入りするようになり、当時の彼の研究所が多くの研究者や学生達で溢れ返るほどに人気が出たという。
しかし彼らは宗教上の理由などから国内はおろか世界中で迫害に遭うようになり、彼の死後もなお邪教の教団と揶揄され続けた。
だが、最終的に大東亜戦争(太平洋戦争のこと)後の日本政府がその可能性に目をつけ、本格的な研究を国家公認で行えるよう千葉県にある研究施設を設立する。
その国家公認の研究施設にして現在の研究開発学校こそが、世界で唯一の魔術専門の学校、『赤星魔術学園』である。
千葉県の山奥に建設された学園では、学生達が年齢や性別という枠を超え、今日も楽しく学園生活を送っている……はずだった。
何故か繰り返される魔術の暴走や学園の外からの魔術を使う侵入者により学園内が混乱をきたす寸前、なぜか謹慎処分を受けた高校生の少年は中学年成績トップの少女と共に学園を守るべく森の中を駆ける。
置いていかれた主人公のクラスメイトは、自分のプライドを守るべく復讐の狼煙を上げんと新たな魔導具を開発する。
一方で侵入した当の本人たちは、一人の少年を中心にあるモノを学園から手に入れようと学園中を荒らしまわっていた。
学園の寮から出た赤髪パーマの俺、赤羽裕介と俺を連れ出しに来た腰まで届くほどの長い金髪を持つロシア系ハーフの女の子、伊坂涼子は学園の校舎に向かって林道を歩いていた。
そう言えば聞こえはいいかもしれないが、俺達の歩いている林道の横にあった研究施設のいくつかは跡形もなく蒸発し、その跡にはマグマしか残っていないという悲惨な状況だ。とてもじゃないが女の子と二人きりという状態を喜んでいる場合ではない。
「ひ、ひどいな……ただ単に暴走が起きたにしては被害がでかすぎる。一体何があったっていうんだ!?」
「ボクがキミを探している間にも、暴走は起きていたんだね……」
そう呟くと伊坂はその場で立ち止まり、地面にゆっくりと片膝をつけて両手を組み、そこにいたであろう研究者達へ黙祷した。
彼女の若干曇り気味な度の強いメガネをかけた、市販の輪ゴムで軽くまとめただけのポニーテイルを揺らしている青ジャージ姿を見るたびに、なんで彼女は自分で自分の魅力を台無しにしているんだろうと、心の中でため息を吐くのが俺の日課になりつつある。
しかし最近は、彼女が以前ジャージ姿でもメガネを外してウォーキング前の準備体操の係をやっていたのを見たからか、そこまで悪い印象は受けないようになった。むしろ、これはこれで……いや、その話はもういいだろう。
施設跡がマグマまみれになっていることに関して、前回に続きもう一度説明しよう。魔術における魔力の暴走とは、原子力発電所を核爆発させるのとほぼ同等の災害をもたらすものらしい。
本来魔術で使用するのは人間の体からあふれている生命力の余波、魔導波であり、魔術とはそれをありとあらゆるエネルギーに変化する万能のエネルギー、魔力に変換し有効活用するための技術だ。
そして魔導波は、魔術の結晶である魔法陣という回路に流されることで魔力に変換され、魔法陣による操作が加えられることにより初めて科学では不可能な『様々なエネルギーの量や向きを自在に操り、自分の望んだ現象を起こす奇跡』を叶えることが出来る。
しかしその一方で、魔力は制御さえなければいかなるエネルギーをも同時に発生する、万能ゆえに至って危険なエネルギーでもあるのだ。
よって、失敗すれば本来起こるはずのない奇跡をも引き起こす。
核兵器を使ったわけでもないのに放射線などの様々なエネルギーをプラズマという形で外界に出力し一帯を焦土と化す、という歪んだ奇跡を。
黙祷を終えて伊坂は立ち上がると、こちらに振り返って首をかしげた。
「それにしても、何でこうもたくさん暴走が起きているんだろう? いくらなんでも、一日でこんなに何度も暴走するはずがないのに」
「多分俺達の気がつかないうちに、何か魔力に影響を与える現象が起きたのかもしれないな。太陽のフレアが電波に影響を与えちまうのと同じように、自然に起きたことと何か関わりがあるのかもしれないぜ?」
「ん〜……それはそれでありえそうだけど、それならボクのアイテムが暴走してもおかしくないんだよね」
そう言うと、彼女はポケットか大きめなヨーヨーを取り出した。
それは中央に取り付けられている赤い球体を中心に雲をイメージしているかのような白い渦のデテールが展開されている魔導具だった。
「へえ、なかなかいいデザインの魔導具じゃないか。これ全部自分でやったのか?」
「うん! けっこうがんばったよ。この赤いボールは太陽に見立てているんだ。あ、ここの金メッキは日光をイメージしたんだよ」
「おお、けっこう凝ってるな。で、これどうやって使うんだ?」
「へっ?」
彼女はそれを聞くと、何故か変な声を上げて不意を突かれたかのようにポカンと口を開けた。
「だから使い方だよ、使い方。わざわざヨーヨーの形にするってことは、何か普通のヨーヨーと違う使い方をするんだろ?」
俺はさっそく色々と特別製のヨーヨーを使ってみた。
普通に下に落ちるのを補助するように加速させ、今度は慣性で巻き戻るのを補助するように引き上げて加速させる。今度はそれを応用させて、右に投げた後に引き戻して、
「あっ、それは秘密! 絶対にダメ、これ以上は使っちゃダメー!」
手元に戻すよりも前に、はっと何かに気がついたかのように動いた伊坂の手にヨーヨーを止められてしまった。
「わ、わかったよ。あ〜あ、けっこう面白かったのによ」
俺は渋々とヨーヨーの糸を指から外して、返してもらったヨーヨーに糸を綺麗に巻き取り直してから伊坂に返した。
「もう、起動しちゃうんじゃないかってハラハラしちゃったよ……」
そう言って胸をなでおろすようにため息を吐くと、伊坂はヨーヨーを作業着のポケットに戻した。
「ともかく、原因がわからない以上は何を話しても意味はないね。とりあえず一度学園の校舎に戻ってみる?」
「そうだな、これはもう考えたってしょうがない……何かヒントがあれば、少しは対策が打てそうなんだけどな」
まあもっとも、造った本人のミス以外で魔導具が暴走、機能しなくなるのを意図的に起こせる方法といったら、俺の魔術(?)以外にとくに思いつかないんだけどな。
「そういえばキミの使っている魔導具って何なの? 魔導具が使い物にならなくなる機能がある魔導具とかがあったら、間違いなくキミが一番持ってそうなんだけど」
そう俺が思っていたところでさっそく質問されたからか、俺の口元が苦笑いで歪んだ。
「え? あ、ああそのことかよ。あれは魔術って言うより呼吸法みたいなものでさ。確か心臓が動いていれば魔導波は出てくるんだろ?」
「う〜ん、すごい極論な気がするけど……まあ、間違ってはないかな。それで、それがどうしたの?」
「中学ん時に呼吸法で魔導波を操ったら一体どうなるのかな、って思っていろいろ試してみたんだ。そしたらなんかいじめっ子を一撃でのめしたり壁キックで学校の屋上まで飛べたり走るのがクソ速くなったりして、なんやかんやで入学試験のときに気がついたら魔導具のシステム乱せたんだーみたいな……」
それを聞いてなんとなく納得のいった伊坂は、額に手を当てて呆れるようにため息を長く吐いた。
「ようするに理屈が全然わかってなかったんだ。そんな新入生相手に負けたって知ったら、あの先輩ショックで寝込むだろうなぁ」
「ま、まあ別にいいだろ! ちょくちょく絡んでくる小野寺のおかげで魔術師に対してどう戦えばいいのか勉強できたけど、小野寺や伊坂は頭良いから魔術師として強いし、次に相手したときには二人とももっと強くなってると思うから今度は勝てるかもしれないぜ?」
「まあ、そう言われると悪い気はしないけど……そんなことよりも、ほら、学園の駐車場が見えてきたよ」
彼女はふてくされた顔をして前を指差した。
俺は林道の、と言ってもこれはもはや森に近い、いや山の中なのだから実際森でも間違ってはいないが、ともかくその木が作り出す葉っぱの洞窟の先を見てみると、そこには今朝方小野寺と二人で耕してしまった駐車場が見えた。
今朝あれだけ地面を掘り返したというのに、先生たちの仕事はまあなんと早いこと。すでに穴は埋められコンクリートもまるで産まれて間もない幼子の肌ように美しく滑らかになっているではありませんか。
「はいそこ、心の中で皮肉らない。考えてることが顔に出てるよ」
そう指摘しながら彼女は林道から出て周りを見渡す。
「学園のほうには、まだ暴走の被害が及んでいな……え?」
見渡してすぐに、彼女は固まったように一点を凝視して表情を強張らせた。
「どうしたんだ伊坂、何か面白いものでも見つけ、て?」
そう彼女に話しかけようとして、気がついた。
彼女の明るい表情を生み出していた赤い頬が熱を失うように色あせ、花が萎れていくかのように蒼ざめ始めていることに。
そして、風も吹いていない小春日和にも関わらず足首や袖、襟元に冷たい何かが通り過ぎるような錯覚を受けた。
俺はゆっくりと彼女の視線をなぞるように目で追い、何故かそうであって欲しくないという得体の知れない恐怖心と、きっと何かの気のせいだろうと何かを拒むような期待を抱きながら、その先を見た。見てしまった。
そこには学園の制服を着た関節の可笑しいマネキンたちが、制服や表情のない顔に赤い絵の具をものの見事にまき散らかされ、赤く染め上げられた地面と共に一種のグロテスクでシュールなアートへと作り変えられていた。
ちがう、そうじゃない、これはそんな皮肉にジョークやウエットを含んだ奇天烈アーティストの作品ではない。そうだとわかっていても認めたくはない、いや、認めてたまるか。
俺の学園の先輩たちの血と身体で作り上げられた紅いピラミッドだなんて、死んでも認めてたまるものか。
「冗談だろ……丸木先輩、姫島先輩!」
俺はその赤い山へと駆け寄り、一人ひとりの顔を確認する。
先輩たちは皆、身体の一部の骨を不自然な方向へと折り曲げられ、見るに耐えない苦悶の表情で気絶していた。なんでここまで犯人にやられて生きていたのかが、かえって不思議に思えてしまうほどに。
学生寮での新入生歓迎会でお世話になり出会って間もなかった先輩や、入学式でしか顔を見たことがない女子の先輩たちの作る山の周りには、粉々に破壊され原型を留めていない魔導具が転がっていた。
「ひでぇ……魔導具を全部壊して、抵抗できなくなっても攻撃してたっていうのか!? 先輩たちは何も悪いことをやったわけじゃないだろ、何でこんな目に遭わなきゃいけないんだよ!」
俺がそう叫んでいると、遠くから誰かが駆ける足音が聞こえた。
その足音がする方向へと目を向けると、リュックを背負ったこの学校の制服を着ている青い髪の男子生徒が走っていた。
「お〜い、そこに誰かいるのかい? って、なんだ……これ」
こちらに近づいた男子生徒は俺の目の前にあるモノを見て表情を失い絶句するも、すぐに顔を引き締めるとポケットからチョークを取り出して地面に魔法陣をぶつぶつと何かを呟きながら描き始めた。
「こんなとき救急車をすぐに呼べればいいのに……っくそ、これだからウチの学校は。いざ非常事態になると対処しきれないじゃないか」
「お前は……」
「うん? ああ、新入生か。僕の名前は南茂潤だ。専門は治癒魔術。治癒って言っても出来るのはせいぜい折れた割り箸みたいに破損した固形物を丁寧にくっつけて元通りに出来る程度だから、骨折はどうにかなっても傷口まではどうしようもないんだけどね」
南茂先輩は魔法陣の図を描き終えると、今度は魔法陣に文字を一字一句間違えずに指先を震わせることもなく丁寧に書いていく。
「まったく、こんなの何年ぶりだろうね。昔は暴走とかがよく起きたから治癒魔術が優先的に進められたものだけど、魔術が進んで暴走の起きなくなった今じゃもう治癒魔術の出番は無いのかと思ったよ」
そう皮肉をぼやくと、何かを思い出したかのようにごぞごそとポケットに手を入れると、そこから何かをつかんで俺に投げ渡した。
「ほら、新入生。先輩方は僕に任せて早く学園から出るんだ」
俺は掴んだ手のひらを開いてみると、それは学園の近くを通っている高速バスの定期入れだった。ちゃんと今日も期限内に入っている定期が入っている。
「え、なんでこれを?」
「決まってるだろう、学園で起きた事件を警察に通報し病院に連絡するためさ! 帰省日以外は全員没収されたままの携帯電話も電波が通じないんじゃ生徒に返しても意味が無いし、学園内のネットワークや公衆電話も全部使えなくなってる。これじゃあもう脱出したヤツが外に連絡する以外に手が無いし、校舎に残っている他の仲間だってこのまま時間が経てば助かるなんて悠長なことを言えないくらいテロリストに追い詰められてる。僕はもともとそのために校舎から出たんだけど、その役目は君たちに託そう」
まっすぐな青い瞳で俺たちを見つめると、先輩は校門を指で指した。
「さ、早く!」
「わかった、行くぞ伊坂!」
俺は呆然とした表情でぶつぶつと呟く伊坂の腕を握り、急ぎ足で校門へと走った。
駐車場から校門まではそこまで距離は無いが、校門から出た後が面倒だ。アップダウンの激しい山道をそのまま切り開いただけの道路を走り、学園の近くにあるダムの橋を渡ってその橋の中央にあるバス停まで行かなくてはならない。
それでもやるべきことはやろう、そう俺が思って彼女に振り向いた。
「急ぐぜ伊坂、高速バスが来るまであと数分しかないからな」
しかし彼女はうつむいたまま何も答えず、ゆっくりと立ち止まった。
泣いているのかと思いその顔を覗き込もうとするが、彼女の表情は長い前髪に隠れてうかがい知る事は出来なかった。
ただ、彼女の頬には涙は流れていなかった。かすれている声には感情がなく、ただ淡々と何かを思い出すかのようだった。
「お、おい伊坂?」
「……あのときわたしがあいにいっているあいだにてろりすとがきたあのときわたしがいのっていたときにせんぱいがみんなをまもったわたしがもりでうかれているあいだにせんぱいがきずついたわたしが」
「伊坂、しっかりしろ!」
俺は正気に戻そうと彼女の両肩を掴み身体を縦に振った。
首が上下し髪も強く乱されているが、それでも彼女は壊れた機械のように繰り返し同じことを呟いていた。
「わたしがうかれているあいだにせんぱいがわたしがあいにいっているあいだにわたしがいのったときにうれしかったときに」
「伊坂……?」
俺は彼女の髪を強引に掻き揚げて、絶句した。
彼女の青い目はほこりを被ったガラス細工のように輝きを失い、焦点はひたすら虚空を見つめていた。
普段あれだけの笑顔を輝かせていた彼女とは思えないほどに生気を失い、天使のように美しく見えた彼女は路上に捨てられ汚れきった西洋人形のように意思を失っていた。
気がつかなかった。普通に考えようとしなくても誰だって冷静に彼女を見ていれば気がつけたはずだ。
俺よりも多くこの学園で多くの先輩や友達と仲良くなって、これといったいざこざもなく楽しく生活している。それは何も、俺よりもこの学園について詳しいとか魔術師として優れているとか、そういう目に見えてわかりやすいものをあらわしているだけじゃない。
家族に長い間会えないとか、地元の友達に会えないとかそういう辛いことだけを経験してきているわけじゃない。
この子にとって大切なものは、あの死体のように積み重なった先輩たちだけではないはずだ。
「伊坂っ、おい、何ぼさっとしてんだよ。まだ先輩たちが死んだわけじゃないだろ」
彼女の頬を軽く叩くが、それでも返事は無い。レコーダーのように同じことを繰り返し呟くだけだった。
誰も疑わず誰も傷つけず誰も騙さず誰もが仲良くなれる、そんな学園は虐められていた俺にとってとても美しい理想郷に見えた。
それは中学生になる前の彼女にとっても、とても魅力的に見えたはずだ。虐められたことがなくともここにいるのは、とても幸せに感じたはずだ。そんな幸せな恵まれた環境で作った友達や先輩との日々も、素晴らしいものだったのだろう。
それを壊され、失えば誰だって絶望する。
自分の信じていた世界が、跡形もなく壊されて。
「―――っおい、伊坂」
その気持ちは俺だってわかる。理解出来ないわけじゃない。
でも、だからこそ、
「いい加減にしろよ!」
俺は彼女の頬を強くひっぱたいた。
叩かれた勢いでバランスを失い、彼女の華奢な身体は地面に叩きつけられる。彼女は先ほどとは違う釈然としない顔で頬をさすった。
「誰のせいとか何でそうなったとか、んなこと考えんな。確かにこんなことは俺も認めたくは無い。でもよ、実際にこうなったんだ。それが今、お前の目の前にある現実ってやつだ。いつも希望の持てない力や根性がねぇ俺みたいなヤツらの見る、大きすぎて嫌みったらしい憎い壁だ」
彼女の表情の無い瞳を見つめる。
そこには情けないくらいに力なく皮肉る、おれ自身の姿があった。
「確かにこれは絶望的さ。俺でも泣きたくなる。だったらよ」
俺は一度ため息を吐くと吐いた息以上の空気をいっぺんに吸って、腹の中にあるものを吐き出すように声を出した。
「だったら、なおさら諦めないでぶつかりたくなるじゃねえかよ」
彼女の目が、一瞬だけ大きく見開かれた。
「バカは何をやっても出来ない、どうせ何をしてもどうにも出来ないだ? ふざけんな、そんなモン誰が決めた。え、神様か? 違うだろ、テメェと周りが勝手にそう思い込んでレッテル貼ってるだけだろうがよ。今だってお前がやった訳でも無いのにお前が自分のせいにしてばっかで、外から来た奴らにテメェの大事なもん壊されて悔しいって一番の気持ちを忘れてんだろ?」
彼女はこくりと頷くと、ゆっくりと身体を起こして正座する。
何故かその動きは、何かを待っているかのようにも感じられた。
「でもよ、まだ先輩たちは死んじゃいねぇ。ってことは、病院で治療すればまたみんなでやり直せるんだ。校舎だって業者に頼めばいくらでも直せるさ」
彼女の何も見えない空間を見るかのような意識の感じられない瞳が、少しずつ船乗りが灯りを見つけたかのような瞳へと変わっていく。
「まだ何も終わっちゃいない。いくらでも、何度でも巻き返せるんだ。諦めるのも泣くのも挫けるのも後回し、今は一番やりたいことを先にしろ! 今お前のやりたいことはなんだ?」
「……また、みんなで、いつもどおりに暮らしたい」
「そのためにやることは!」
「まず、テロリストを倒すこと」
「じゃあそのクリア条件はっ!」
「―――テロリストを捕まえて、無力化する!」
「よし、だったらくよくよする時間はここで終わりだ。とっととテロリストを捕まえてさっさと元の生活に戻ろうぜ」
「うん!」
彼が彼女の手を握って引き起こし、ふと彼女の顔に目を向けると彼女の青い目は星のように瞬き、彼でも見たことのないほどの明るい笑顔で彼を見つめ返していた。
彼は慌てて首を反対側に向け、彼女は不満げに頬を膨らませながらも笑って彼の頬を突っつく。
首を反対側に向けながらも彼は彼女と手を握り続き、目的の場所へと歩いていった。
彼女は普段どおりに元気になった。
ただ、彼が気づかなかった普段と違う点がひとつだけ。
その瞳から、つっ、と、小さな涙が赤くなった頬を伝っていた。
◆ ◆ ◆
同じ頃、学園の校舎は混乱していた。
数分前の学園内外で起きた謎の暴走、旧学生寮もとい『反省寮』で起きた崩壊、さらに次々と彼らの常識と予想を上回る侵入者の魔術に徐々に彼らは対応しきれなくなってきていた。
「魔法弾装填、発射! ―――っ、効いてないわ!」
「くそっ、なんだよこれ、なにがどうなってんだよ!?」
「なんで木がタコみたいにウネウネと動くんだよ!」
次々と繰り出される様々な魔導具による攻撃を受けても再生する大木を操る、紅いドレスに身を包んだ妖艶な美女と、
「畜生、何でっ、何で俺の骨が勝手に折れるんだよぉ!」
「誰か治癒魔術を使える子いない!?」
「来るなっ、俺の骨を折りにくるなぁ!!」
次々と触っただけで相手の骨をへし折れる上に自在に中に浮けるという正体不明の魔術を使う、黒いコントラストのゴスロリ服を着た少女が行く手を阻む生徒たちをなぎ倒し、どんどん目的の場所へと近づいていた。
「ねえ黒森のおばちゃん」
「私はおばちゃんじゃないわよお嬢ちゃん。それはいいとして、何?」
「ホンとにアイツのいった場所ってあそこでいいの?」
「ええ、元々はあの子の研究所の入り口だったところだし、開けるのも元々ここの教師だった私には造作も無いわ」
「あははっ、変なのぉ。元々ここに住んでいた私たちとおばちゃんに、この学園が滅ぼされるなんてね!」
「ええ、本当にそうね。あと私はおばちゃんじゃないわよ」
そう二人は笑いながらも、次々と生徒たちを再起不能にしていく。
あるものは壁に打ち付けられて気絶し、あるものは骨を骨折しまたあるものは精神を壊されて。
学園を壊しに来た、元々学園に住んでいた彼女たちは共通の目的のためだけにそれ以外のものを犠牲にしていく。
その先にあるものなど、気にも留めずに。
「さあさあ、そこを退きなさい。早くしないとお仕置きしちゃうわよ?」
「おばちゃんのお仕置きなんて、誰も受けたくないでしょ? だったら、私が一つも残さず食べてあげる!」
彼女たちがそう宣言すると同時に、校舎の壁がガラスのように綺麗に割れて何者かがその行く手を阻んだ。
「あら、これは珍しいわね」
「何々、何が起きたの?」
それぞれが別々の興味を示すと、その人物はそれに答えず自分の思うがままに身勝手なことを丁寧語とタメ口を使ってしゃべった。
「これ以上、好き勝手に私の学園で暴れられると思わないでくださいよぉ。私の玩具を台無しにしたその代償はァ、貴方の内臓よりも高く高くつくんですよォ?」
少年、小野寺竜也は背中に装備された自作の魔導具『ベルゼブブ』を持っている。
その魔導具は何千枚ものの折り紙を組み合わせて造られたものであり、刃物として一度魔術で強化された折り紙をさらに魔術で高速振動させ、音速かつ精密な動きで操作して対象物を耐久力や硬度を無視して切断する機能を持つ。その機能を使って校舎の壁を切断したのである。
科学発展の歴史から見て馬鹿馬鹿しくも異常な偉業をやってのけた少年はじっと妖艶な美女を見て、納得が言ったかのように手のひらを打つとケラケラと笑い出した。
「ヒャハハハッ、そう言えば貴方、どこかで見たことがあるかと思えばソォかそういうことか! 黒森寮長……いや教授、あんた本当に不老不死を完成させたんだな! それも、アンタが一番若くで綺麗だったとかぼやいていつも写真で俺に見せてた二十歳の頃の姿に戻ってよォ!」
これまで慇懃無礼な態度を取っていた小野寺の、親しい友人に語りかけるような言葉に校舎の生徒たちが驚いて一斉に彼女、黒森星奈へと目を向ける。
「あらやっぱり、覚えてくれてたのねリューちゃん」
そう言って彼女は自分の顔を撫でると、一瞬で瑞々しいその肌は乾き服の下でも強調される美しいプロモーションも花が萎れるように若々しさを失って、その姿を年老いた女性へと変えた。
その姿を見て生徒たちは寮長としての彼女を覚えていたのか、彼女に向かって話しかけ始めた。
なぜそのような力を得たのか。
そして、何が目的で犯行に及んだのかを。
しかし彼女はそれらの声を無視して彼へと話しかけた。むしろその姿になる際につい脳まで老わせてボケてしまったような気もするが。
「あなたにはよく写真を見せて昔話をしたわねぇ。あの頃のリューちゃんは本当に可愛かったわぁ。愛嬌もあって目も今みたいに野心的に輝いていて」
「ババアの昔話には興味ねぇよ。それよりなんでアンタはこんなことすんだ? アンタは自分の都合でオレの大事な居場所を壊すほど利己的なヤツじゃねェはずだ」
彼女は残念そうに顔を再び撫で二十歳の頃の姿へと変えると、ため息を吐いて彼を見つめた。
「本当はあなたの居場所を壊すような真似はしたくないのよ。でも、今のあなたの居場所はあなたが思っている以上に危険なの。これ以上は説明できないけれど、リューちゃんならわかってくれるわよね?」
「知るかババア。それよりなんですかァその魔術は、竜の玉を七つ集めてお願い事でもしたんですかァ?」
「いえ、これは私が同じ目的を持つリーダーから貰ったものよ。それに不老不死は貰った力の副作用のようなもの、本質じゃないわ」
「いいのおばちゃん、それ言っちゃって」
心配そうにゴスロリの少女は彼女へと目を向けると、黒森は穏やかに優しく彼女へと振り向き彼女の頭を優しく撫でる。
「別にいいのよ、これくらい。あの子だって変に誤解されたまま目的を果たして幸せになれるなんて思っちゃいないわよ。むしろ、私たちのやるべきことはもっと別にある」
「何を言っているんです……? 先生たちに聞きましたよ、あなた方が企んでいるのは学園の崩壊だと」
黒森が答えている間に、生徒のうちの一人が黒森を指差した。
その生徒はゴスロリの少女よりも背丈の低い、見た目はほんわかとした印象を与える箱入りのお嬢様にしか見えない少女でありながら、少女とは思えないほどの凛とした佇まいで黒森を睨み付けていた。
「ここまで学園を壊しておいて、まさかそれが目的じゃないなんて意味のわからないことをおっしゃったりしませんよね?」
「ええ、その通りよ。それ自体は目的じゃない」
少女がその言葉に呆気にとられると、黒森はその表情を見てくすりと笑い木から降りる。
「私たちは元々学園をどうこうしたくて来たわけじゃないのよ。もちろん、私やこの子は計画を練り始めた始めこそ本気で学園を壊そうと思っていたわ。でも、あの子はそれをするまでもなく私たちが全員妥協できる結果を導き出す方法を提示した。だから、私たちは―――」
「ちょっと待てください、あの子とは誰なんですか!? その方が首謀者なんですね? そもそもあなた方はは始めから何が目てッ、」
少女は最後まで話そうとして、突然声が出せなくなった。
いや、声を出そうとしても喉に栓を閉められたかのように息が出来なくなっていた。
必死に息をしようともがいて、ふと少女は自分に触れている手に気がついた。その手は自分の首を絞めているのではなく、文字通り手のひらが触れているだけなのだが、何故かそうされているのが原因なのだとその少女は察した。
「あ〜もう、うるッさいわねアンタ。さっきからぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、絞め殺されたいの?」
苛立ちながら背後から少女の首に触れていたゴスロリの少女は、掴んでいる右手の人差し指で軽く少女の首を撫でる。
「私たちがあんた達と戦争ごっこすんのは、あんた達があの人の計画に一番邪魔だからよ。な〜にも考えてない上に大まかに作られただけのルールに囚われて、そのくせ正しければそれが正義だって思い込んでる馬鹿ほど、この計画にいらない不純物はないわ。現にあんた達、私たちを悪呼ばわりするわりに自分の魔導具で人を殺そうとしたじゃない」
少女は何かを言い返そうと口を動かすが、息が吸えないことも相まってどんどんその表情は断末魔を上げるかのような苦悶の表情へと変わっていく。
それを見たゴスロリの少女は、何を思ったのかゆっくりと顔を嗜虐と悦楽の笑みに満たしていく。
「……いいわ、その顔。アンタみたいな子ほどよく私を虐めてきたっけ。そういえばアンタ、私のコレクションを散々踏み壊しておいて、私が喧嘩をけしかけて来たかのように先生に言ってたあの子に見れば見るほどそっくりね。ひょっとして、アンタのお姉ちゃんを追いかけてこの学校に来たのかしら? でもそんなのはどうでもいいわええどうだっていいわ、むしろ好都合ねそうだわ貴方、せっかくだから私のお菓子にしてあげる。圧倒的な力でグチャグチャになるまでガムみたいに噛み潰してあげるわ」
うっとりと享楽にふけるゴスロリの少女は、ゆっくりと舌で上唇を舐めると左手で生徒の顔を覆おうとする。
しかし黒森は横から割って入り、その手を下げさせた。
「ダメよ樋口ちゃん。私たちはここの生徒を皆殺しにするために来たわけじゃないのよ? 今はともかくあそこまで行かないと目的は達成できないわ」
「その通りですね、あなた達が何を目的にしているのかは私には知る由もねェんですけど、はっきり言ってそれは止めたほうがいい。無駄に警察どころか機動隊まで呼びかねないし、そうされると先生方の後始末も大変になる。まあ、私はどうでもいいんですがねェ」
小野寺まで黒森の言うことに同意するのを見て何かを言いたそうに小野寺を睨むが、諦めたようにため息をつくと少女から手を離した。
少女は苦しそうに地面に倒れこむと、激しく咳き込んで新しい空気を肺に吸い込む。
小野寺はそれら一連の行動を見て思案した。
何故、彼らはここまで人を殺さないように行動するのか。
もしも死刑にならないためと安直に仮定するならば、そもそもこんな方法をとること自体が間違っている。学園内の誰かを殺すのならこんな白昼堂々と行動する理由がわからない。人間を殺すのなら、まず侵入と脱出のルートを事前に確保した上で目撃者を減らせる深夜帯に行動し、衣服も闇に溶け込んで行動できるよう黒い服を着て顔から正体を割れないように覆面なりを顔に着ければいい。
学園内の方針に異を唱えるのならば、生徒なら教育委員会に直接届け出ればいいし、教師なら公務員である限り多少口答えしてもそう簡単にクビにはならない。
黒森星奈は公務員でこそないが生物化学、それも特に医療に関してはかなり名の売れている研究者であった。IPS細胞を利用した不老細胞を開発したことから様々な企業から援助を受けているだけでなく、不老にした代謝能力の高いクローンのモルモットを魔術の実験体に用いることで、少ないコストでの実験が飛躍的に進み結果として魔術という学問に間接的に貢献している。
何故そうなったのかについてはともかく、そんな権威ある科学者の一人である黒森の意見を聞かないほど学園の教師は馬鹿ではないことぐらい、同じく魔術に大きく貢献した小野寺も理解していた。
その上で、小野寺はさらに考える。
そんな権威のある黒森の意見すら通らず、生徒だと予想される樋口という少女が教育委員会に届けても意味を成さないこととは何か。
学園への被害をあれだけ多く与えてもデメリットが発生せず、しかし一方で生徒に必要以上の被害を与えるとデメリットとなる目的とは何か。
「……」
小野寺は目の前の敵から目を離さず、いつでも迎撃できるように待ち構える。
小野寺の様子の変化に何かを悟ったのか、黒森や樋口はそれぞれ目配せしながら小野寺から距離をとり、それぞれ姿勢を変えていく。
その周りを囲っていた生徒たちも、学園主席である小野寺の変化に気圧されて息を呑んだ。
「あなた方が何をしたくて、学園に来たのかまでは予想がつかねェ」
そう小野寺は呟くと、ゆっくりとベルゼブブの羽を羽ばたかせる。
「ただ、どうしても私の遊び場を壊すと言うなら、ここで殺す!」
そう叫んで小野寺はベルゼブブを触手のようにうねうねと操り、その刃を黒森達に突きたてようとする。
「ごめんねリューちゃん、ちょっとだけ死んでてね」
しかし、黒森が人指し指を突き立てると同時に黒森の足元から石の槍が伸びて小野寺の腹を貫いた。
小野寺は声に出せないほどの苦痛で音の無い悲鳴をあげ、黒森へと恨みのこもった視線を向けるがそのまま痛みで気を失った。
「ちょっと!? おばちゃん、生徒は殺さないってさっき言ったばかりじゃない!」
樋口が激しく動揺している間に黒森は小野寺へとすばやく駆け寄りしゃがみ込むと、石の槍に触れてそれを腐食させるかのように土くれへと還して掴み小野寺に空いた肉の穴へとその手をそのまま入れる。
するとどうだろうか、見る見るうちに傷口から溢れ出る血の勢いが少しずつ弱まり、土くれは肉へと造り変わり傷口を塞いでいくではないか。
「私の力は物質の構築を操り固体を自在に操る土の力。さすがに一度身体から出た血を元に戻すことは出来ないけど、こういう方法でならこの子を殺さずに済むわ」
そう言った黒森の肌からは汗が流れていた。緊張からか、その量は見える範囲だけでも尋常ではなかった。
「舌は噛み切ってないわね。よかったわ」
ほっと胸をなでおろすと、黒森は小野寺の身体を壁に寄りかからせてその場から立ち上がった。
「意味が……わかりませんわ」
ようやく呼吸が整った少女はゆっくりと這い上がると、黒森を見つめて話しかけた。
「何なんですかその魔術は、まるで魔法みたいじゃないですか。魔法陣も無しに直接手に触れるだけで人間を救うだなんて完全に新約聖書の救世主じゃないですか! それだけの技術を持っているのに、何故学園にいるにも関わらずそれを学会に発表しないんですか!? いえ、貰い物なのだとおっしゃいましたね。ならば何故それを下さった方はそうしなかったのですか? そして何故その方は学園に危害を与えようとするんですか!」
それを聞いた黒森はゆっくりと少女へと振り向くと、悲しそうに微笑んで蠢く木の根に座り込む。
それを見て樋口はゆっくりと廊下の窓へと視線をずらした。
「本当はしゃべっちゃいけないんだけどね。いいわ、せっかく自分の担当する寮の生徒が聞いてくれたんですもの。寮監として、そして講師として可能な限りそれに答えてあげる」
そう話し始めた黒森に生徒たちが目を向ける。
「そうね、これを話すにはどこから始めるべきかしら。あの子の挫折からかしら、それともあの子と出会った頃からかしら? いえ、これは全てを話さないと理解できないでしょうね」
そう黒森はため息を吐くと、ゆっくりと口を開いた。
「私たちにこの力をくれたあの子は、元々―――」
どこからか、そよ風が優しく彼女の髪を乱した。
◆ ◆ ◆
同じ頃、赤羽裕介と伊坂涼子は学園の校門の前まで走っていた。
どこにテロリストがいるのかはわからないが、学園に住む人間が新米含めて全員魔術師だとしても、そのほとんどは魔導具で遊んでいるだけの子供でしかない。ある程度遊びで培った技術で魔導具を操り抵抗できたとしても、実力差で間違いなく負けてしまうのは目に見えている。
なら下手に学生だけで抵抗するより、外部と連絡を取って救護を求めたほうがまだ被害は少ないだろう。
そう考えた二人は一度学園から出て、公衆電話のある場所まで高速バスで移動しようとしていた。
「南茂先輩っていい人だな、わざわざ定期券を貸してくれるなんて」
「ボクは男子の上級生とはあんまり話したことなかったけど、こんな状況でよくあれほど冷静に行動できる肝のすわった男子もいるんだね」
伊坂はそこまで呟いて、ふと何かを思い出したかのように立ち止まっり、何かを思案するかのようにあごに手を当てた。
「どうしたんだよ伊坂?」
「……変だ」
「何が?」
「この学校、確か校則で決まったバック以外での持ち運びは基本できないはずなんだけど―――あっ」
しばらく考え、はっとした顔になると赤羽に話しかけた。
「あの先輩、なんでわざわざ高速バスを使って外と連絡を取るためにリュックなんて背負って来ていたの? そもそも外に出て行くならなんでわざわざ駐車場まで寄り道する必要があったの!?」
「え、何でって……え? 何でだ?」
伊坂はそう言われて違和感を抱いた赤羽の反応を見て確信したのか、赤羽の手を引っ張って校門とは逆の方向へと走り出した。
「お、おい? どこ行くんだよ!」
「あの先輩のいた駐車場までだよ。ひょっとしたらあの人はテロリストの仲間かも!だってボク達は先生達に携帯を帰省日まで没収されているから、あの人の言ったことを確認することは出来ないし、もしテロリストが携帯電話の通信を妨害してるんだとしたらボクらが携帯を持ったまま学園の外に逃げるだけで十分でしょ!?」
そこまで言われて納得がいったのか、赤羽は慌てて走るペースを伊坂に合わせ始めた。
◆ ◆ ◆
学園の駐車場では、南茂潤が治癒魔術で怪我をした上級生たちを治療していた。
その治癒魔術の手際は久しぶりに術式を使った者とは思えないほどに見事なものだった。
そう、久しぶりに使った者にしては。
「いやぁ、危ないところだったね。まさか彼女たちがここまでやるだなんて完全に予想外だったよ。それを抜きにしても、新入生なのにいきなり反省寮に監禁されていた子がいただなんてイレギュラーすぎる」
そうぼやくとどこからか小型のスピーカーを取り出し、そのスピーカーにMP3プレイヤーを差し込む。
「まあ計画が大きくずれているわけでもないし、これはこれで許容範囲かな? 後は彼女たちが警察や救急車がやってくる前にうまくやってくれれば、こっちが重傷者を無かったことにするだけで済む」
そして背負っていたリュックからごそごそと何かを取り出した。
それはタイツのように生地が柔らかく、それでいて青を中心としたカラーリングで着色された、俗に言う特撮戦隊ヒーローを連想させるコスチュームだった。
「これだけ学園が混乱しているんだ、そろそろ教師側が実力行使に入ってくる頃だろう。では―――」
嬉々とした表情でMP3プレイヤーの再生ボタンを押した。
曲の始めからアップテンポな明るいトランペットの音が鳴り響き、ドラムのリズムが子供心を刺激するようにこだまする。
その曲は、さながら戦隊ヒーローのオープニングのようだった。
彼はベルトをつけると腕を交差させ、高々と魂を込めて叫ぶ。
「―――変、身っ!」
ベルトに手を当てて撫でると、リュックから取り出されたコスチュームが次々と少年の体の周囲を飛び回り、彼自身が着ていた制服も生地がばらばらに分解されコスチュームが生み出す青い嵐に呑み込まれていく。
そしてコスチュームは彼の体へと装着され、彼が着ていた服は縫合されなおされ丁寧に折りたたまれていく。
青い嵐が止んだ時、そこには学園の男子生徒ではなく一人の変装した変態、いやヒーローが立っていた。
「正義のヒーローっ、アクエリウス!」
そう名乗る変態、いや少年に拍手を送るものはいなかった。
代わりに女子寮の屋上から冷たい視線を投げかける仮面を被る黒装束の少年は、ぼそっと独り言を呟いた。
「……お前、馬鹿だろ?」
◆ ◆ ◆
少女は走る。
全ての真相を理解した彼女は、自分の仲間だったはずの生徒たちを押しのけ倒しながら先ほどの黒森との会話を思い返していた。
「私たちにこの力をくれたあの子は、元々この学園の生徒だったのよ」
「彼がこの学園に入学してきた頃、魔術はまだ今ほど発展していなかったわ。出来ることはせいぜい鉛筆一本を折るくらいで、具体的な魔術の法則の解明すら完成していなかったのよ。当然、貴方たちが使うような魔導具みたいなものなんて作るどころか設計図を描くことさえできやしない。何か魔法陣を起動させるたびに暴走して、術者が昔のコントみたいな爆発頭になる様は見ものだったわ」
黒森は昔のことを思い返すように目を伏せてくすくすと笑うと、紅いドレスから伸びる脚線美が際立つ足を組みなおす。
「そんな研究開発学校としても致命的なミスを繰り返す日々を、彼はたった一ヶ月で変えてしまったの。魔術の法則の解明、暴走を起こさない魔法陣の開発、そして魔法陣を応用した魔導具の開発。それを全て、まだ中学一年生だった彼がいとも容易く成し遂げてしまった。始めは疑心暗鬼だった私たち教師も、彼の言った通りの現象が起きたからすぐに信用したわ」
彼女は手のひらで軽く木の床を撫でると、その床が泥のようにあっさりと形が崩れて腐った肥料のようになった。
「そんな彼は、研究を続けている間に何かとんでもないものにたどり着いたらしいのよ。それについては未だ私たちに教えてはくれないのだけれど、少なくともそれは私たちの常識を魔術以上に大きく変えてしまうものだということだけは、私にもなんとなく理解できたわ」
そう呟いて肥料のようになった床の一部を掴み、握り締める。
「物質の構成を自由に作り変える力、物質の収縮と拡散を自在に操る力。それは私たちの叶うはずがなかった不老不死や人間自身の力だけで空を飛ぶという夢を、簡単に叶えてしまう。彼がたどり着いたそれがどれだけ今の人類にとって不相応で、それでいて世界全体の思想に影響を与えるのかは想像に難くないわね」
彼女が軽く握ったその手をゆっくりと開くと、そこには赤いリンゴが一つ乗っていた。そのリンゴの中から伸びた苗は少しずつ成長し、小さな苗木へと姿を変える。
「私や貴方たちが、どれほどの年月を魔術に浪費し続けても決して到達できないほどの高度な技術力の完成。それを彼は大人になる前にたった一人で成し遂げてしまった。それゆえに、彼は学園に住む全ての人間が彼の敵となった。彼は日夜問わず毎日毎日学園中の生徒を相手し続け、本来それを止めるべきであった教師でさえも研究成果を奪い自分のものにしようと躍起になった。それは彼にとって相当な悪夢だったはずよ。なにせ会う人がたとえ何者であれ敵になる……始めから誰も信じることが出来ない人が感じる無意識の恐怖よりも、始めから誰かを信じていた分数倍強く濃く感じたでしょうね」
リンゴの苗木が、少しずつ腐臭を漂わせながら腐り始めていく。まるで、彼女の話すその人物の心境を物語るように。
少女はそれを聞いて愕然とした。
少女が尊敬する伊坂涼子や小野寺竜也もその人物ほどではないが、かなりの実力と成績を持つ魔術師だった。しかし彼らが少女を含めた周りの生徒から受けているのは友人としての好意ではなく、自分より出来る人を見た人間の感じる尊敬や嫉妬といった感情ばかりだった。
しかし彼女たちに力を与えた、いや、自分たち魔術師に必要な知識と技術を学園に残したその人物は、実際にそういう感情を行動でその身に受け続け、建前であろうとも友達として接してくれる人間をすずめの涙ほども信用する余裕すら与えられず、ずっと孤独に学園生活を送り続けたのだ。
「当然彼は誰も信用しなくなったわ。新任の講師として来た魔術師でもない私にさえ敵意を向けてきて、少しでも近づくものならすぐに魔導具で攻撃したもの。それでも私は一人の大人として、最大限彼に悪意を向ける人間から彼を守り続けたわ。そんなある日、彼に転機が訪れたのよ」
とうとうリンゴの苗木は腐れ落ち、ただの土へと還った。彼女の手のひらに、小さなリンゴの種を残して。
「こことは違う学校から、新しく転校生がやってきたのよ。名前は岡崎零音ちゃん、当時小学生で可愛い容姿に小学生とは思えないプロモーションのこともあってすぐに学園中のアイドルになっていたわ。ほんと、大人の私が大人気なく嫉妬したくらいによ。そんな彼女が何の偶然か、住んでいた地元で彼の魔術……ここはロマンチックに魔法とでも言うべきかしらね? ともかく、彼の魔法を直接この目で見ていたそうなのよ。その時に憧れでも抱いていたのか、すぐに彼に懐くようになったの。始めは露骨に敵意を向けて拒絶していた彼も、純真無垢な彼女にだんだんと心を開いて、入学した頃と同じように心から笑うことが出来るまでに明るくなったわ」
彼女は無造作に種を穴の空いた床に放り投げると、そこから先ほど以上の早さでリンゴの木が育ち始めた。その葉は一度腐った前よりも瑞々しく生き生きとしていた。
「でも、それも長くは続かなかった。いえ、わざと長く続けないように仕向けられたのよ。転校生でまだ幼かった彼女にはいくら魔術師としての研究成果を奪うメリットを吹き込まれても、決してその幼さゆえに彼を裏切ろうとはしなかった。だから、彼らの仲を強引に裂いてでも研究成果を奪おうとした奴らはこう思いついたのよ。だったら彼女を人質にして彼を脅迫してしまえばいいってね。そして、それは卒業式の当日にこの学園の屋上で実行された」
彼女は憎憎しげにリンゴの木の幹を撫でると、リンゴの木は撫でた跡を追うようにみるみる裂け中の液を撒き散らした。その液は樹液ではなく、人間と同じ赤い血だった。
「それでも、彼らの思い通りにはならなかった。人質となった彼女が抵抗した際、彼女を捕まえていた彼らの一人が誤って彼女を屋上から落としてしまったのよ。彼はそれを目の前で直接見て、とうとう人間としてのある一線を越えてしまった。それが怒りからなのか、それとも絶望からなのかはご想像にお任せするわ。結果として、彼はその場にいた人間全員を彼の魔法の力で死体も証拠も残さず皆殺しにして学園から卒業。その後は魔術師ではない、どこにでもいる普通の高校生として生活していたそうよ。彼女との思い出を、頭から消すために」
そこまで言って大きく息を吸うと、彼女はその人物を慈しむように目を細めてため息を吐く。
その姿が少女には、子供を心配する母親のように見えた。
「そう、頭から消せれば、彼もこの学園に二度と足を踏み入れようと考えなかったでしょうね。彼女のご家族と彼はちょっとした偶然で出合うことになるの。その時、彼はご家族との短い談笑の間にある話がご家族の方から出てきたのよ。その内容は、」
そこで息を止めると、少しためらってから少女に話しかけた。
「零音ちゃんは、学園で一生懸命勉強している。たまに家に手紙を送ってくれる。そう、言っていたそうよ」
「えっ? 彼女……いえその先輩は死んだんじゃないんですか!?」
思わず少女はその真偽を問おうと黒森の服を掴む。
黒森は驚いて目を瞬かせると、落ち着かせようとその両手を平にして彼女の前に出した。
「待ってちょうだい、まだお話は終わってないわよ? そんなはずはないと彼はわざわざ本人の直筆かどうかを調べてもらったり学園長に名簿を調べてもらったそうだけど、結果は彼の予想と異なっていた。彼女からの手紙は本物、名簿も生徒としてまだ登録されたままだったのよ」
「そんな……でもその方は直接、その先輩の死を見たのですよね?」
「だから彼は混乱したのよ。それが本当かどうかを、その目で確かめたがった。その為に彼はこの力を与える条件に、私に死んでいるはずの彼女が学園に本当にいるのかどうかを調べて欲しいと頼まれたの。でも私や在校生は仙台の清瀬教授の私塾に通っているものと思っていたし、何よりその彼女が書いたっていう手紙が学園から出たことになってることまで知らなかった。私は学園に何かあると思って色々と調べまわったわ。講師として清瀬教授の代理で私塾とその寮を仕切っている芳賀さんに会いに行くついでに塾生一人ひとりに聞いて回ったり、寮監として手紙の出入りを調べたりね。そして学園が発表したある研究を見て、私と彼はある答えを導いたの」
彼女は少女の手を振り払い乱れたドレスを調えてから、その答えを少女に教えた。
「彼女は本当に生きている。それも、彼女は―――」
少女はその答えを聞いた後、他の友達だと思っていた生徒たちの反応を思い返して身震いした。
生徒一人ひとりが彼女の答えを聞いた途端に絶叫し、彼女の存在そのものを否定するかのような罵詈雑言を羅列すると一斉に彼女へと襲い掛かったのだ。
後々彼女の家族が聞いたところによると、その姿はまるで人間が人間の姿をしたまま野生の獣へと変わってしまったかのように見えたという。
少女は今、黒森達と共に彼女達の目的地への入り口であるある場所に向かって走っている。
少女ははっきり言って、その入り口が本当にそこに続いているのかを信用できなかった。しかし、学園で生活していたからこそ、絶対にそこでないと入り口を作れないことを察した。
「ねえねえ、ところでアンタの名前って何? これから一緒に行動する上で名前って重要でしょ?」
「そういえばあなたは新入生だったわね、お名前は?」
テロリストだと思っていた二人に話しかけられた少女は、状況の変化に多少頭が混乱しそうになりながらも名前を名乗ることにした。
「私の名前は、姫島真珠」
「黒森寮長……いえ、教授にお世話になった兄、姫島正輝の妹です」
あとがき
あれ、困ったぞ?
このシリーズ、四月で終わりきる気がしない!?
こんにちは、伊集院灯架です。
え〜、次回の冊子では次回分と来年度分のシリーズの二本立てでお送りいたしま〜す(サザエさん風に)。
個人的には間違いなく死ぬ過酷スケジュールになると思いますが、それでもがんばろうと思います。
というよりも、そうでもしないと作家になる際に間違いなく訪れるであろう〆切のタイムリミットへの耐性がつかなくなると思うので。
そう、私の夢は作家になることです。どんな部門のかはあえて言いません。言う気もありません。少なくとも官能ではないですよ。
で、それを目指す上で気がついたことがひとつ。
テストなどと違って決まった答えがあるわけではなく、会社の大賞に受賞したライトノベルの作家さんや芥川賞などに受賞した作家さんの受賞作品は、ほとんどこれといったジャンソルや書き方の共通点はありません。
強いて挙げるなら現代人なら誰でも読める漢字を用いていて、仮に難しい漢字を用いる場合しっかりとルビが入っているということ。
そして文法は僕らが使う砕けた表現も含めて、意味が大人や子供にも通じるものであるということ。
つまり共通して読みやすいものである、ということです。
そして、読みやすいだけでなく既存のジャンソルのイメージから少し異なっていたり、読者に読ませる語り手の視点や登場人物の心理描写、立ち位置が鮮明かつ独特で特殊であるということ。受賞作品ではありませんが、そのいい例が劇団一人さんの『陰日向に向く』、ライトノベルなら日日日さんの『狂乱家族日記』、受賞作品で谷川流さんの『涼宮ハルヒの憂鬱』などですね。
小説とはかくあるべき、という先入観がほとんど意味を成さなくなっていると言っても過言でないほどに、人気のある作品は大衆小説や平成の新参者たるライトノベルを問わず形式にとらわれないものが増えてきています。
定職についていない人が書こうが通信制の学校に通っている女子学生が書こうが、面白ければ受賞してしまう。
ある意味、現代は文芸の世界に心を楽にして入れる世の中になってきたのかもしれませんね。
もし文芸に興味が沸いたら、ぜひ(来年度になったら同好会になる)文芸部の(今のところはまだ使える)部室へと来てくださいね(水曜日の放課後限定で)。
いつでも新入部員(留年生を含む)を歓迎します!
PS
アニメ『未来日記』のOPを担当したことのある妖精帝國さんの曲が予想外によかった件について。
アニメ『シャーマンキング』のOVER SOULとかもいいですね!