続編『遠くの君 〜夏〜』へ

「おーい、朝だよ。早く起きな」

 その声で俺は目を覚ます。声の主は俺の(おさな)馴染(なじ)み、早川(はやかわ)(はるか)だ。遥は毎朝家の外から声をかけて俺を起こしてくれている。その事を俺は、とても感謝している。だが、時によってはそれが迷惑に感じる時がある。それが、今日のことだった。

「起きなよ。遅刻するよ!」

 遅刻したって構わないから寝かして欲しい。俺は、遥が何を言っても完全無視して、諦めて先に一人で登校するのを待つことにする。

「早く起きないと、あの事バラすよ!」

 あの事? ハッタリだろう。俺にはそんなやましい隠し事なんて存在しない。いや、でも無い事は……。

「五秒以内に返事しなさい。さもないとアレを言うよ!」

「はい! 起きてます。今すぐ支度します」

 やっぱりやましい事があった俺は即座に大きな声で返事をした。そして、寝巻から制服にすばやく着替え、昨日の間に用意しておいたスクールバッグを肩にかける。ふと、ネクタイを結んでいなかったことに気付く。しかし、早く外に出ないと何かを暴露されてしまうと思い、咄嗟にネクタイをポケットの中に突っ込んだ。

 身支度が済むと、朝食も取らずに即刻玄関に向かう。そして、扉を開け、そこに待つ幼馴染みに頭を下げて言った。

「すみません。初めから起きてました」

「よく謝りました」

 遥は俺の頭を撫でまわしてくる。そこで俺は、あの事とは何の事か聞くことにする。

「ところで、あの事ってどの事?」

「え? 本当にやましい事があったんだ」

 ハッタリだった。それよりも、余計なことを言ったために質問攻めにあってしまった。(やぶ)(へび)とはこういうことを言うのか。

「ねぇ、何か隠してんでしょう? 教えてよ」

「いや、何のことかサッパリわからないなぁ」

 誤魔化す俺を見た遥はあることに気が付く。

「あれ? ネクタイ、どうしたの?」

「ここにあるよ」

 俺が、ポケットから丸まったネクタイを取り出すと、遥はそれを「貸して」と言って俺から受け取る。

「こういうのは面倒臭がらずにちゃんとやるのが基本でしょ」

 小言を言いながら、遥はネクタイを広げ直しそれを俺の首に回す。

「じっとしてて。でないと首締まるよ」

 遥は慣れた手つきでネクタイを結び、形を整える。その様子は傍から見れば恋人みたいなものだろう。

「ありがとうな、遥」

「どういたしまして。まったく、私がいないと何もできないんだから」

「おいおい、そこまで言うかよ」

「だってそうじゃないの? 一回私が朝起こしに行かなかった時、三、四時間くらい寝坊して遅刻したりしたじゃない」

「う、うん。まぁそれはそうだけど」

 思わず口ごもる。その隙にすかさず遥は俺に食らいついた。

「ほら見なさい。私だってずっとあんたとくっついてるわけじゃないんだからね。いつまでもあると思うな親と金と私、だよ。」

「わ、わかってるって」

 こんなやりとりも俺達にとってみれば日常茶飯事だ。その後も大体、雑談が続いて、気付いた頃には学校に着いてる。今日もその例外ではなかった。

「あ、もう着いちゃったね。また帰りにゆっくり話そうか」

 遥はそう言って一足先に校内へ走っていく。遥曰く、俺と一緒に教室に入って変な噂を立てられたくないそうだ。俺自身は噂を立てられることに抵抗はない。しかし、遥の方はそうもいかないらしい。

 そんな理由もあって、俺は遥とは時間をずらして教室に入った。

 

     * *

 

 放課後の教室、遥が俺に話しかけてきた。

「ねぇ、帰ろう。ちょっと話したいことがあるから、遠回りしてさ」

「あぁ、わかった」

 遥から帰りの誘いが来るのは毎度のことなのだが、遠回りしての帰宅を誘われたのは初めてのことだ。心なしか遥の顔や声から緊張のような感情も読み取れる。まさかとは思いながらも、「告白されるかも」という妄想が俺の脳内を支配している。ともかく俺は遥に従い、教室を後にした。

 

 

 学校を出てからは、しばらくの間俺達二人の間に沈黙が流れていた。そして、学校を出ておよそ五、六分程度経ったであろう時に遥が沈黙を破った。

「あ、あのさ。私、あんたに言わなきゃいけないことがあるんだ」

 遥はそれから一呼吸置いて言葉を続ける。

「ここから少し歩いたところに公園があるから、そこで落ち着かせてもらってからでもいい? その、話すのは……」

「わ、わかった」

 自分の心臓の鼓動が激しく波打っているのがわかる。自分では普通に返事をするつもりだったが、声が裏返ってしまった。

 しかし、ここまで来てみると先ほどまで抱いていた「告白される」という妄想が妙な程に現実味を帯びてきている。だが、もし仮にこの妄想が現実になった場合、俺はどう答えるべきなのだ? 俺は今まで遥に対して、親愛なる幼馴染み程度の想いしか抱いていなかった。確かに遥のことを「異性」としてみていなかった、と言えば嘘になる。むしろ遥に魅力を感じていた、と言っても嘘にはならない。

「着いた。ここだよ」

 突如、遥が言葉を発したので思わず驚いてしまった。辺りを見回すとそこは大きな桜の木が印象的な小さな公園だった。どうやら、俺が考え事をしている間に目的の場所に着いてしまったらしい。

「そこ、ベンチがあるから座ろ?」

 遥が、桜の木の下にあるベンチを指さして俺に問いかけた。とりあえず、俺達はそのベンチに座ることにした。

 ベンチに腰かけた俺は、ふと空を見上げた。そこには、丈夫そうな幹から数多に別れる桜の枝と満開の花びら、そして雲一つない青い空が映っている。

「ねぇ、今から私が話すこと、落ち着いて聞いてね」

 俺が景色に見とれていた俺は、遥の方へ向き直り遥の話に耳を傾けた。

「あのさ、私引っ越さなきゃいけないの」

「え?」

 遥が告げた言葉は意外なものだった。しかし、引っ越しという告白はある意味表紙抜けだった。どうせ引っ越し先は近所か、遠くても隣町だろう。

「なんだよ、驚かせやがって。引っ越しって言ったってどうせ近場なんだろ?」

 その問いに対して帰ってきた答えは俺にとっては残酷なものだった。

「ううん、地方……」

 まるで、心臓をナイフでえぐられでもしたかのような心地がする。どうかこれが夢であるようにと願うばかりだ。そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、遥は言葉を続ける。

「明日の昼発つの。学校の皆の悲しんだりする姿はあんまし見たくないから、あえて転校のことは伏せてたけど、なんだかあんたにだけは言っとかなきゃいけないって思って」

 頭の中が真っ白になっていく。この後もなにか話をしたような気はするのだが、全くと言っていい程記憶に残っていない。ただ、気付くと俺の家に、遥と別れた俺一人だけがいた。どうやって帰ったかも覚えていない、それほどまでに遥の「告白」がショックだった。

「明日の、昼か……」

 明日の昼は普段通りに学校の授業がある。どうやら遥は俺にも見送りをさせないつもりらしい。そう考えていると、沸々と怒りが湧いてきた。

「ふざけんなよ! 俺一人だけにそんな事教えてどうすんだよ? 俺が何にもできねえの見越して――」

「何も、何もできねぇのに」

 不意に涙がこぼれた。この誰にも向けられない怒りを、誰もいない空間にぶつけている自分自身が情けなく、呆れてしまう。

 冷静に考え直してみると、俺はずっと遥に頼りっぱなしだった。朝は遥に起こしてもらって、放課後は遥から帰りの誘いを貰ったり、今日だってそうだ。それに、遥が俺の前から去ることを聞かされた俺はそれを受動しているだけ、俺は自分から遥に何もしていない。いわば、俺達の絆は遥一人が紡いでいったに過ぎない。

 俺は、一つの結論に至った。今度は俺が遥との絆の糸を紡ぐ番だ、と。

 

     * *

 

 次の日、俺は数年ぶりに一人の朝を迎えた。機能を果たしていない目覚まし時計は午前十時過ぎを示していた。

「ハハ、遥の忠告当たっちまった」

 ベットから起き上がると、俺は制服に着替えた。ふとネクタイを締め忘れていることに気が付き、咄嗟にネクタイをポケットに詰めこむ。そして昨日の内に用意したスクールバッグを肩にかけ、家を出た。行先は学校ではなく遥の家だ。

 

 

 家を出て数分、俺は遥の家に来た。厳密に言えば、今日の昼まで早川遥が住まう家だ。家の前には引っ越し用トラックが停まっている。そして、そのトラックのすぐそばに遥はいた。遥は俺の姿を確認し、慌てて駆け寄って来た。

「ちょ、ちょっと、学校どうしたの?」

「いや、寝坊しちまってさ。やっぱし、お前に起こしてもらわないと駄目なんだな、俺」

「馬鹿」

「そう言うなよ。それに俺、お前に渡したいものがあって来たんだ」

 俺はスクールバッグの中から一通の手紙を渡した。

「え? これなに?」

「見りゃわかんだろ、手紙だよ。昨日、頑張って書いたんだぜ?」

 遥はその場で手紙を黙読した。

 

「遥へ。

お前、突然過ぎるんだよ、何もかもさ。お前が俺に転校のこと教えたとき、俺どんだけ驚いたと思ってんだよ!

まぁ、そんな愚痴みたいなの書き連ねても仕方がないか。

俺さ、お前に別れを告げられた晩考えてたんだけど、俺はお前に頼りすぎてた。何するにしてもお前に引っ張ってもらってた。正直、幼馴染みってことに胡坐をかいていたのかもしれない。まぁ幼馴染みって言ったって、お前がずっと紡いでくれていた絆なわけで、俺はハッキリ言って何もしなかった。

だから、っていうのもおかしいかもしれないけど、今回のことを機に俺から文通を始めたいと思うんだ。メールで事足りると思うかもしれないけど、やっぱり手書きじゃないと伝わらないこともあるだろうし……

とりあえず、オーケーだったら返信してくれよ。待ってるからさ」

 遥は手紙を読み終えると、目を潤ませ、微笑みながら俺に言う。

「ありがとう、でも、なんで? なんで私とのお別れでそんな考え込んじゃうようなことになっちゃったの?」

「そ、それは、お前のこと、す、好きだからだよ。あ、幼馴染みとしてだけどな」

「じゃあ、女としては嫌いなわけか」

 遥は俺の答えを茶化してくる。

「そ、そんなわけないだろ。好きだよ。この際だから言うけど、大好きだよ。嫌いだなんて嘘でも言わねぇよ」

「フフ、あんたってホントに面白いね。からかうとポロリと本音をこぼしちゃう。悪い癖だ」

 ハッとして手で口を押えた俺に遥は言葉を続ける。

「ちょっと、またあんたネクタイ」

「あぁ、ここ」

 俺はまた昨日と同じようにポケットから取り出したネクタイを遥に渡す。遥も昨日と同じく、俺から手渡されたネクタイを俺の首に締める。ただ、昨日と違ったのは、遥が不意にネクタイを引っ張り体勢を崩してきたこと、そしてその瞬間に感じた唇同士が重なる感触だけだ。

 不意打ちの口づけにただ驚くばかりの俺に対し、遥は頬を赤らめ微笑んでいる。

「私も、あんたのこと大好きだよ」

 そう言い残すと、遥はこれから別れを告げる家へと戻って行った。

 遥が去ってから、俺は茫然とした状態で立ち尽くしていた。唇に残る余韻、そして最後の遥の言葉が俺をそうさせているのだろう。完全に我に返るのにしばらく時間がかかりそうだ。

 

     * *

 

 遥が俺の前から姿を消してから一週間、遥から手紙が送られてきた。

 

「ごめんね。荷物整理とかで一週間もかかっちゃった。私ね、今だから言うけど実はずっと悩んでたの。何のことかって言うと、引っ越したらあんたと一緒にいられなくなっちゃうってこと。でも、今この通り、文通っていう素敵な方法で私たちは繋がってる。

全部、あんたのお蔭。

ふつつかな女ですが、これからもよろしくね」

 今、俺は遥に別れを告げられた公園のベンチにいる。空を見上げると、あの時と同じ、満開の桜に青い空が見えた。

 

 

 

 

 

続く

 

あとがき

 こんにちは、雪鳥です。読みは「ゆきとり」、まぁ「せっちょう」って言ってもいいですけど……。できるだけ前者の読みでお願いします。

 えー、新入生の皆様、まずは入学おめでとうございます。ここで、冊子を取って頂き、私の作品及びあとがきを読んで下さり真にありがとうございます。これも何かの縁、暫し私のお話にお付き合いください。

 そして、今も私たちを支えて下さっている在校生の皆様、今後ともよろしくお願いいたします。私たちはこれからも日々文芸活動に励んでいきますので、皆様どうか応援よろしくお願いいたします。

 

 さて、挨拶が済みましたところで、今作品について多少の説明をさせていただきます。今回の作品は続き物の恋愛小説をイメージしてつくったものです。テーマ的には「遠距離恋愛」ってところですね。

 この作品の主人公はあえて、名前を公表していません。一応言っておきますが、名前が最後まで決まらなかったわけではありません(半分嘘です。実を言うと、決まりませんでした)。それでは、何故名前を出さなかったか、と言うと、「読者参加型」というのを意識してみたためです。(でも、いい名前が思いついたら、名前出そうかな?)

 ついでに、ヒロインの外見に関しての描写がないのも、それぞれ読者の皆様のご想像にお任せしたいという思いからです。

(でも、外見が定まったら、これも公表しようかな?)

 まぁ、とりあえず次回もご期待ください。

 

 それと、これは恥ずかしい話ですが、今作品のヒロイン「早川遥」は実在する私の友人、親友といってもいいでしょう、その親友をイメージした人物です。あ、でもこの作品のようなことは皆無ですよ? 共通点を強いてあげるならば……「引っ越してる」「女性」くらいです……ね。

 

 ま、それはともかく、この辺で私的な話は終えたいと思います。ここからは、業務(?)的なお話をさせて頂きます。

 お話といっても、簡単なお願いです。この冊子をお読みくださった皆様、私たち文芸同好会のメンバーになりませんか? ……こんな唐突に言っても普通に困るだけでしょう。ただ、ちょっとだけでも検討してみてくれませんか? 当たり前ですが、強制とかじゃないんでホントにちょっとでいいんで考えてみてください。

 

 さて、業務連絡(?)が終わったところで、私のあとがきを終えさせて頂きます。最後に一言、最近腰とか肩とかが朝起きるたびに痛い、どうしよ。


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