悲劇はいつだって突然やってくる。

 四年前の景色と重なる、視界を覆いつくす巨体。

 高速で近づくそれはわたしに向かって雄叫びを上げ――
「ひゃあっ!」
 後ろからの衝撃、目の前を走り去る脅威。
 わたしはゆっくりと現状を確認する。
 周囲の人はわたしを――いや、わたしたちを驚きと好奇の目で見ている。当たり前だ。人がトラックに()かれそうだったのだから。
「大丈夫だったか」
 心の底からわたしを心配しているのだろうか、表情も声も不安そうだ。でも、そんなはずはない。わたしなんかを心配してくれるのは幼馴染の(ゆう)()くんと家族ぐらいだ。
 今わたしを助けてくれた人は、金髪でヤクザ顔、金属のアクセサリーを身につけている。帽子で目元はよく見えないが、男の持っている雰囲気はわたしを竦ませる。この人はいわゆるDQN(ドキュン)だろうか。
 この事を出汁(だし)に、お金を搾取されるのだろうか。
「ね、怪我はない?」
 わたしは大丈夫、そう答えたかった。
「わだし、は、だイじょ、ぶ」
 昔のちゃんと話せた頃の名残か、(ある)いは恐怖に(さら)されたからか、つい口から言葉が紡がれる。
 わたしは上手く声が出せない。周りの人は哀れむような目でそれを見る。
 いやだ。やめて。わたしは見世物なんかじゃない。
「こっちだ。来い」
 ヤクザ顔はわたしの手を取り、走り出す。手を引かれる。足が(もつ)れる。恐怖が迫る。
 視界が、(ゆが)む。
「やっ、まっで!」
 わたしは手を振り払い、その場にしゃがみ込む。
「え?」
 驚くだろう。誰だってそうだ。()かれと思ってした事を拒絶されたのだから。
 自分の足で歩道へ行き、わたしはバッグからメモとペンを取り出す。
『わたしはロービジョン』
 そう書いてヤクザ顔に渡す。
 ヤクザ顔がよくわからないと言った風にメモを見ている間、二枚目のメモを書く。
『ロービジョンは、弱視のこと。わたしは視力がすごく悪くて、普通の人より視界が狭い』
 このメモでヤクザ顔はやっと理解したようだ。
『それと、うまく声が出ない。構音障害って言う』
「えっと、事故、か?」
 恐る恐る紡がれる言葉。わたしは首肯する。
『今日は本当にありがとうございました』
 わたしはメモを渡し、お辞儀をする。
「な、これから時間無い?」
 わたしはこれで帰ろうと思っていたのだが、ヤクザ顔に引き留められる。ああ、やっぱりお金を取られてしまうのかな。それとも人気の無い所に連れて行かれて、ストレスの()け口にされるのだろうか。痛いのは嫌だなあ。
『わたしはこれから行くところがあるので』
「んじゃ、送って行くよ。一人じゃ危ないよ」
 この人は善意で行動しているのだろうが、わたしの視点から見ればお節介。わたしはそこに恐怖しか(いだ)かない。
『必要無いです』
「じゃあさ、なんでさっきトラックに跳ねられそうになったのさ」
「う」
 正論にペンが一瞬止まる。しかしすぐにペンを走らせる。
『今日はたまたま目の調子が悪かっただけ』
 見せてから気付いた。墓穴を掘ってしまった。ヤクザ顔はニヤッと笑う。思いの外、爽やかだった。
「目的地はどこ?」
 わたしは歩き始める。ヤクザ顔はついて来る。
「あ、自己紹介まだだったな。俺は雹花(ひょうか)。空から降ってくる雹に、植物の花。君は?」
 ぴっ、と後ろを見ずに紙だけ差し出す。
向原(むかいはら) 綺華(あやか)
「綺華か。いい名前じゃん。()めたくなるね。ぺろぺろ」
 え、何この人。
『よくそんなに馴れ馴れしくできるね』
「だって堅苦しいのなんてつまんないじゃんか。人生楽しもうぜ」
 楽しむ、か。
『あなたがいると人生を楽しめない。帰ってください』
「うっひょー。厳しいね。これが俗に言うツンデレかな?」

『絶対デレることは無いので安心してください』

「ああ、綺華たんの黒髪ロングハスハス」
『言っていて虚しくならないのですか』
「ならないならない。綺華たんと一緒にいるだけで充実してる」
『気持ち悪いです』
「俺は気持ちいいぜ」
 なんだろう。この人は。言っていることはムカつくし、馴れ馴れしいし、なのに嫌いにならない。なれない。すごく変な人だ。
「俺にとってはご褒美だからな」
 変人だ。
『目的地についた』
 しばらく歩くと、緑色の看板を立てた、目立たない飲食店に着く。
「ここは、ぼすばーがー?」
 わたしはボーッと建物を見ている雹花を置いて、店内へ入る。
「らっしゃいやせー。ご注文お決まりでしたらこちらへ来やがれくださいー」
 明るい女性店員の声。耳元で雹花が囁く。
「なあ、この店員態度悪くねえか」
 雹花、人のこと言えないよ。
『雹花は何が食べたい』
「んー、じゃあこのカタギバーガーっていうので、ポテトSセットのコーラ」
 わたしはカウンターへ向かう。
『カタギバーガーのポテトSセットでコーラと、ナンダト・コノタコスの鬼ポテセットでアイスティ、ボスだがザコチップスを一つ』
「わっかりやしたぁ。オーダー! パティ、ポテトS、鬼ポテ、チップ、タコス!」
「押忍!」
 カウンターの店員と厨房から聞こえた声に、雹花が顔をしかめる。
「ここ、大丈夫なのか」
『おいしいから問題無い』
「番号札ε(いぷしろん)でお待ちください!」
 番号札とドリンクの載ったトレーを持ち、空いている席に座る。
「にしてもさりげなく俺を気遣ってくれるだなんて、やっぱり綺華はツンデレ?」
 わたしには思い当たる節がない。雹花なんかを気遣うだなんて。表情に出ていたのだろうか。ニヤニヤしながら雹花は続ける。
「何も言わなければ俺は帰ったかもしれないのに、何が食べたいか聞いたじゃん」
 しまった。
「綺華はさり気なく人を気遣えるいい()……いや、そんなに嫌そうな顔しなくても」
『わたし他の席に行く』
 立ち上がって見渡すと、どこも席は埋まっていた。その中、見覚えのある顔。見たくない顔。
「あ……」
「お、綺華ちゃんじゃーん!」
 目が合う。中学時代の同級生、立花(たちばな) 冬弥(とうや)山門(やまと) 耕太(こうた)だ。馴れ馴れしくわたしに寄ってくる。
「ん? 綺華の友達なのか」
 雹花は親しげにわたしに絡む二人を、わたしの友達と認識したようだ。
「俺たちは友達だよな、綺華」
 首を縦に振るしか無い。
 雹花を見る。こいつらは友達なんかじゃない。そう伝えたい。

***

 昔、わたしが中学一年生の秋。学校の帰り道で信号無視をしたトラックに撥ねられた。
 生きてはいたものの、わたしはその事故で後遺症、小視症と弱視と運動性構音障害が残った。他に手脚の骨折など、全治五ヶ月の怪我をした。
 わたしが入院している間、同級生たちは進級し、クラス変えもあった。入院中は必死に勉強した。クラスの皆に仲間外れにされたくなかった。
 やがて怪我が治り、久しぶりに登校したわたしはクラスに馴染めなかった。
「綺華がいると会話のテンポが崩れる」「声、気持ち悪い」「視力が悪いって言っても見えてるんでしょ?」「ちゃんと前を見て歩いてよ」
 わたしはクラス中からいじめられた。担任も見て見ぬ振りをした。校長も、定年退職直前に問題を起こしたく無かったのか、いじめを全て揉み消した。教師なんて信用できない。そう思った。
 親にも相談できない。ただでさえ迷惑をかけているのに、これ以上心配させたくない。
 わたしは意地でしばらくは学校へ通っていた。
 誰からも無視される。肩をわざとぶつけられる。視界が狭いから相手を認識できない。無視されるから黙った。生意気という理由で殴られた。傷ももちろん痛かったが、それよりも仲のよかった友達に無視されるのは精神に(こた)えた。
 そして、そのいじめの中心だったのが立花と山門であった。
 立花は頭がキレるやつで、お腹や胸など、傷が残っても目立たない場所を狙って殴ってきた。
 山門は昔、事故前にわたしに告白してきた。わたしが振ると、ねちねちとした嫌がらせをしてきた。事故前は大したことでも無かったが、事故後はどんどんエスカ レートしていった。立花と共に気絶するまで殴られたこともあった。
 その上こいつらは、わたしの家に友達面して上がり込み、わたしは休日までもやつらの言いなりになった。絶望した。
 わたしが登校を拒否しても、毎日のように家に来た。お母さんは喜んで家へ上げ、わたしは自殺を考えた。しかし、実際やろうとすると恐怖が勝り、いつも未遂で終わった。
 いつだったか、やつらは突然家に来なくなった。他の子が標的になったらしい。わたしよりもずっとずっと可愛くて、いつも図書室で本を読んでいた、雑賀(さいか) 高音(たかね)という子らしい。違うクラスのため、あまり親しくはない。彼女には悪いが、正直ホッとした。
 やつらはたまに家に来て、雑賀さんの動画を自慢げに見せてきた。大勢の前で暴行を受ける姿や、目の前で手紙の様な物を破られ眼に涙を浮かべる姿。
 やがてクラスメートは卒業。わたしは学力の問題で通信制を選び、親には静かな場所へ行きたいという理由で、郊外で一人暮らしを始めた。最近は殆ど通販で何とかなると言って説得した。実家からも電車で三十分と遠くない。

 それから一年、わたしは平和でそこそこ充実した生活を楽しんでいた。
 それなのに、なんで。
「ね、久々に遊ぼうぜ。綺華ちゃん」
 山門が汚い手でわたしの肩に触れる。
「ん、悪かった。そういう用事があったんだな」
「あっ……」
 俺は帰ると言って、雹花は行ってしまった。気まずそうな顔で。
「んじゃ、どこ行こっか?」
 立花がにやにやして言う。
「俺欲しいものあんだよな」
「では買い物に行きますか」
 わたしたちを冷ややかに見ている少女がいた。
 綺麗なセミロングの黒髪。姿は小学生のそれだが、放つ雰囲気はわたしより年上に感じる。薄い緑色のワンピースに白いカーディガン。儚く消えてしまいそうな、けれど自信に満ちていて。その視線は、わたしを非難している様に見えた。
「おい、立て。行くぞ」
 わたしの狭い視界から、少女は簡単に消えた。

***

「っく……ふ、あ……」
 脚が痛む。いや、脚だけじゃない。全身が痛む。
 時刻は十時半を過ぎている。辺りは暗く、街灯と民家から漏れる光だけが道を照らす。普段通る路地が、わたしを拒絶している。
 やっとの思いで家に着く。
 鍵を開け、リビングへ。ソファーに倒れ込む。
「っはぁ、く……っふ……」
 頭がぐるぐる回る。焦点が上手く定まらない。
 照明を点けなかったせいか、すぐに眠気がやって来た。当然か。普段寝る時間だし。
 そういえば昼から何も食べてないや。
 でもお腹空いてないしな。
 ああ、雹花の連絡先聞いてないや。
 また会いたいな。
 色々な事が頭で広がる。
 わたしは目を閉じた。

***

 朝。時計を見ると六時過ぎ。起きる時間はいつも通り。引きこもりニートで社会のクズの癖に、起きる時間は一人前だ。
「う……」
 シャワーを浴びよう。
 昨日は帰ってすぐ寝ちゃったから、身体が少しべたべたする。Tシャツを脱ごうとするとつっかかる。
 お腹には痣。押すと痛い。
 生きている証拠だ、なんて誰かが言っていたけど、こんなの苦しみ以外の何物でもない。
 シャワーを浴びてしばらくしたら、気晴らしにカードショップにでも行こう。

 今日は月曜日だ。呟き投稿型の某SNSのタイムラインでは、みんなが学校ないしは会社に行きたくないと叫んでいる。
 わたしは行きつけのカードショップへ行く。まだ開店から間もないこと、平日であることで、お客さんは数える程しかいない。
「綺華ちゃんか。いらっしゃい」
ZX(ぜくす)の最新弾を二箱ください』
「最新弾ね。ほい、一万六百円だよ」
 代金を渡してフリー対戦スペースへ行く。見渡すといつもいるメンバー。自称ミュージシャンの坂田(さかた)さん、ノベルゲームのシナリオライター水野(みずの)さん、そしておなじ学校でサボり癖のある幼馴染、砥部(とべ) 雄堵(ゆうと)くん。

 わたしを含めたこの四人は、ここで顔をよく合わせるメンバーで、たまにタッグで大会に出たりする。主にZXというカードゲームをやる。ZXは、ゼクスという異世界の住人を操り、イベントカードを駆使し、四ある相手のライフを0にすると勝利だ。カードの種族には赤、青、黄色、黒、緑の世界という大まかな(くく)りがあり、それぞれ何らかの戦術に特化している。
「お、絢香ちゃんも来たね」
 わたしは軽く会釈(えしゃく)をする。
「あ、やっぱり最新弾買ったんだ」

 わたしの手に提げられた二つの箱を見て言う。
『坂田さんは何か出ましたか』
「僕? 青の世界のキラは出たけど、赤の世界は全然ハズレ。再録の絵違いとか出てきたし。もし赤の世界のキラカード出たら交換してよ」
 首肯する。
「坂田さん、対戦しましょう」
 水野さんはデッキをシャッフルしながら坂田さんの前に座る。
「お、いいね」
 二人は対戦を始める。坂田さんは赤の世界のカードを軸にし、コストの低いカードにイベントを使い、フィールドをパワーで制圧するデッキ。水野さんは緑の世界のカードを軸に、自分のリソースを大量に生んでから、イベントで相手のカードをリソースへ送るデッキ。
「今回は水野さんが勝つかもな」
 二人が対戦している隣では、雄堵くんがデッキを広げていた。
『水野さんは、何かいいカードが出たの?』
「ああ。確か、自分のリブート状態のリソースを任意の枚数捨てて、それ以下のコストのゼクスを全てスリープ状態でリソースへ送る、みたいな感じだった」
 ゲームは進行し、カードが出されては入れ替わっていく。
 正直、水野さんはあまり強くない。わたし達と比べて、掛けているお金が少な過ぎる。ただ、運要素も強いこのゲームでは、運さえ味方すれば一方的に勝てる。
「お、出た」
 水野さんは雄堵くんの言っていたカード、「猿田毘古神(さるたひこのかみ)」を場に出す。坂田さんのゼクスはリソースへ行き、場は一気に水野さんのゼクスで埋まる。坂田さんのライフは一気に二減り、残りは二だ。しかし水野さんは残り一。
「すみませんね、今回も頂きます」
 しかし坂田さんは余裕の笑みでそう言った。そして手札からカードを出す。
「ありゃ、坂田さんもそれなりにいいカード出てたんだな」
 フィールドに呼ばれた「邇邇芸命(ににぎのみこと)」によって、水野さんの最後のライフが削られる。
「いやはや、流石ですな」
「でも水野さんも猿田毘古(さるたひこ)を出すタイミング良かったっすよ。邇邇芸(ににぎ)が無かったら多分負けてましたし」
 二人はお互いのデッキを見せ合い、改良点を模索し始めた。
「綺華もやるか?」
「んー」
 まだパックを開けてないから、と断る。雄堵くんは気にした様子もなく、二人の会話へ参加していった。
 パックを開けよう。

 今回のパックは日本神話をテーマにしたパックで、さっき坂田さん達が使った「猿田彦神」や「邇邇芸命」の他にも、「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」、「天忍穂耳命(あめのおしほみみ)」などがカード化されている。
 わたしは出たカードをスリーブに入れる。「邇邇芸命」、「猿田彦神」、「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」、「八咫鏡(やたのかがみ)」、「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」、「木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)」の六枚のキラカードが出だ。

「お、佐久夜(ひめ)ちゃん出たんだ」

 坂田さんが話しかけてきた。

『佐久夜毘売(びめ)です』

「どっちでもいいじゃん。いいなあ、佐久夜姫」

 (きら)びやかな装飾、和服に身を包んだ綺麗な女性が描かれている。

『綺麗な絵ですよね』

「な。効果も強いし、欲しかったんだよな」

 佐久夜毘売は緑の世界のカードだ。効果は、「このカードは相手のカードの効果の対象にならない」。

『わたしはコンプしたいのであげませんよ』

「ありゃりゃ、振られちゃったよ」

 おどけて笑う坂田さん。

『最近の調子はどうですか』

「仕事? うーん。まあ、ぼちぼちかなあ。こうしてカードするにはかなり切り詰めないといけないけど」

 どうやら真面目に音楽活動をしているようだ。

『こう言っちゃ何ですけど、坂田さんって真面目に音楽活動していると思っていませんでした』

「あはは。実際売れっこ無いしね。最近は水野さんとこにしか作ってないよ」

 坂田さんは笑っている。笑っていられる。なぜなら、

「僕には才能があるからね。時が満ちればなるようになるさ」

 この無尽蔵の自信があるからだ。

 

 実際、坂田さんの曲は素敵だ。そこらのプロにだって負けていない。それはここにいるみんながよく知っている。その上、努力も忘れず、日々実力は向上している。

 しかし、坂田さんと同じように、実力がある人は世界に五万と居る。

 水野さんにしたってそうだ。

 水野さんのシナリオゲームには毎回数多くのファンレターが届き、固定ファンも居る。いつ有名になってもおかしくない。

「んでな、今回は砥部にも原画を手伝ってもらったんだよ」

 雄堵くんは、絵が上手い。まだ高校生だし、プロ程ではないにしても、胸を張って人に見せることはできるだろう。

『ゆうとくんがとうとうプロデビューするんですか』

「まあ大まかに言えばそういうことだな。実際、ちゃんと給料は払われてるし」

 雄堵くんは水野さんたちと働くのが夢だと、常々言っていた。今回、その夢に大きく近づいたのだ。

「砥部も、あれさえなければな」

 雄堵君は昔からネットに絵を投稿していた。人気もあった。そしてある時、小さな賞に応募した。ファンの人たちも、わたしたちも、何かしらの賞はもらえると確信していた。

 しかし、事件が起きた。

 雄堵くんの人気を妬むある人物が、雄堵くんの絵にそっくりな絵を投稿した。その人はあの手この手を使い、世論を味方につけた。

 結果、雄堵くんは盗作の疑いでエントリーは取り消し。ネットでも散々叩かれ、現実に嫌がらせの手紙や電話が来るようになった。

 そしてその人物からメールが来た。

「キミはもうおしまいだ。ボクの不幸な程の人気の無さも、おしまいだ」

 そしてその人物は大賞を取り、今ではプロ原画師として人気を急上昇させている。

 わたしたちに足りないのは、運だった。

 

『ゆうとくんを、お願いします』

「まかせろい。立派なプロイラストレーターに育ててやんよ」

『そのときは「俺が育てた」なんて言ってやってください』

 坂田さんは爽快に笑うと、デッキの調整に戻った。

 ちりん、とドアに取り付けられた鈴が鳴った。

「いらっしゃい」

 店長の声。

「店長、最新弾五つちょうだい」

「!」

 聞いたことのある声。忘れられず、会いたかった人。

「ひょ、ヴが」

 なんで、こんなにも、うれしいのだろう。

「お、綺華ちゃんか。綺華ちゃんもここによく来るの?」

 雹花が顔を現す。わたしはこくりと頷く。

「おお、今日はずいぶんたくさん居るね」

 雹花はみんなを見て嘆息する。それぞれと自己紹介をし、すぐに打ち解けてしまう。

「綺華も来なよ」

 雹花にまた会えたことが嬉しくて、思わず頬が緩んだ。

 近づくと、雹華は早速パックを開けていた。五パックしか買ってないから、あまり期待できないだろう。

「ん」

 雹華の肩越しに手元を覗く。(ふち)銀箔押しで輝いている。間違いない。キラカードだ。

石長比売(いわながひめ)、か」

 黒の世界のゼクス。効果は「このカードが相手プレーヤーにダメージを与えたターンの終了時、デッキの一番上のカードを裏向きのまま自分のライフに加える」。

「効果はいいんだけどな」

 描かれている絵は佐久夜毘売に比べ、厳つい顔つきをしている。邇邇芸が婚約を蹴ったのも頷ける。この容姿はもはや男だ。

「よっしゃ綺華、対戦するぞ」

 雹華の誘いに、わたしは快く頷いた。

 

***

 

 雹花はなかなか強くて、最後には坂田さんも倒してしまった。自分の手札を見られているような。というか、雹花の思うとおりに自分がカードを出しているような感覚だった。

 それからわたしたちは昼食を食べに行くことにした。水野さんは仕事、坂田さんはライブに行くと言って抜けてしまった。三人でどこへ行くか話し合う。

「俺はコンビニおにぎりでもいいんだが」

 そう言ったのは雹花。普段、コンビニのおにぎり等で済ますらしい。栄養が偏っちゃうよ。

「んじゃどうするよ」

 投げやりな発言。雄堵くんも考えてよ。もう。

「あ。俺、昨日は結局ボスバーガー食いそびれたわ」

 雹花は突然思い出したように言う。わたしは急いでペンを走らせる。

『ごめんなさい』

 わたしがあわててお財布からお金を出すと、雹花はそれを制した。。

「あれ、友達なんでしょ。大事にしなきゃ」

 それは違う。

「もしかして彼氏だったりする? 綺華は可愛いから彼氏が居てもおかしくないよな」

 違う。

『あいつらは ともだちなんかじゃ ない』

 メモを見た雹花の表情が固まる。

「えっと、どうした」

 わたしのメモを見た雄堵くんは、目でわたしに問う。「言っていいのか?」と。

 雹花には知ってほしい。わたしは頷く。

 涙が零れた。

 

「悪かった」

 雄堵くんから事情を一通り聞いた雹花は、わたしに頭を下げる。わたしはあわててしまう。

「ぢ、ぢがウ、ひょヴかは、わるぐ、なイ」

 わたしの汚い声。出してから後悔する。雹花に、雄堵くんに、不快な思いをさせた。

「そっか。ありがとな」

 雹花はそう言って笑った。胸が締め付けられた。恥ずかしくなって、わたしはペンを走らせる。

『そんなことより、お腹すいた』

 雹花はクスりと笑って言う。

「じゃあ金たこでも行くか」

 雹花の笑顔に、わたしの胸は高鳴った。

「あ、うぅ……」

 顔が熱くなる。雹花の笑顔に、わたしは、なんで。

 助けを求めようとして見た雄堵くんは、一人で意味深に笑うと、俺はお腹いっぱいだからと言って、一人でどこかへ行ってしまった。

「綺華」

「ひぅっ」

「いや、そんなおどろかなくても……」

 ああ、もうダメだ。雹花がわたしを心配そうに見る。

「大丈夫か? やっぱ、昨日のこと気にしてるのか」

『全然平気、大丈夫』

 そう、大丈夫。大丈夫なのだ。わたしに問題は無い。

「ん。なら行こうぜ」

 雹花は当然のようにわたしの手を握ってきた。

「ほら。俺が綺華の代わりに世界を見てやるよ」

 わたしは雹花に手を引かれて歩き出す。心臓が破裂しそうなほど鼓動を早めている。

「綺華、顔赤いぞ」

 雹花のせいだ。そう書こうとしたが、片手が、しかも利き手の右が雹花に握られている。

「綺華、何も文句は書かせないから」

 雹花はそう言うと、道の真ん中だと言うのに立ち止まる。

「え」

 雹花はわたしを抱き寄せる。息がかかる。とても近い距離。

「目え閉じろ」

 わたしは目を閉じる。

 視界が黒く染まった直後。わたしの唇に、やわらかい感触が触れる。

「んっ……」

 息を止める。

 不意に、暖かいその感触は離れる。

 目を開けると、最愛の人がいた。

「綺華、俺と付き合え」

 わたしは頷いた。

 

 金たこで食事をしている間、会話は無かった。ただ心地よい沈黙だけが場を支配していた。

 その帰り道、再び雹花に手を引かれて歩く。さっきとは手の握り方が違った。

「綺華、心配しなくていいから」

 何が? と首を(かし)て恋人を見上げる。

「俺が綺華の体になる。ずっと綺華を守るし、ずっと綺華の傍にいるから」

 舞い上がる心。降り積もる思い。繋いだ手に夢を見る。いつまでも、共に歩む道。

 通いなれた道を並んで歩いた。どこまでも行ける気がした。

 降り注ぐ太陽はわたしたちを祝福し、すれ違う人々の足音が拍手をしている。なないろに輝く世界を、わたしは見る。

 狭い視界に映るのは、いつもの雑踏。代わり映えのしないはずの、けれどどこか知らない場所のような気がする道。

 目を細めて恋人を見上げる。口元は知らずに緩む。微笑み返す愛しい人。手を握りなおす。腕に寄り添い、鼓動を聞く。

 瞬く時間に身を任せ、ゆっくりと歩を進める。

 着いた先は、雹花の家だった。

 

***

 

 何も纏わず、触れ合う体温に愛を求める。わたしたちを包む。やさしく包む。そっと体に触れ合う。いたわる様に、そっと。

 魔法のように心を乱される。もっと、もっとと求め合う欲。ふたり繋がったキセキを感じる。

 ついばむ様に唇を重ねる。見つめ合っては頬を染める。甘い、甘い時間。破瓜の痛み、それさえも心地よい。

 世界がわたしたちの見方をしている。そっとわたしたちを見守っている。それは嵐の前の静けさ? ううん、春の訪れ。

 

 優しい朝日がわたしを呼ぶ。静かな寝息がわたしを撫でる。

 そっと口付けをする。起こさないよう、できる限りやさしく。

 

 わたしには雹花がいる。

 

***

 

「ん、起きてたのか」

 わたしが台所で朝食を作っていると、雹花が現れた。

「綺華」

「んっ……」

 後ろから抱きしめられ、首筋にキスされる。くすぐったさに吐息が漏れてしまう。それだけで頭に(もや)がかかったように、思考が上手く働かなくなる。

「俺な、綺華に言ってない事があるんだ」

 雹花の声のトーンが少し下がる。

「俺は――」

 

***

 

 最近は記憶があいまいだったり、自分が何をしているのか分からなくなることがある。

 恋は盲目(もうもく)と言うが、わたしは雹花が見えているのだろうか。

 何か大事なことを忘れている気がする。

 

「ある神様が土地を統べるために天降(あまくだ)りました。その神様は、さまざまな困難を乗り越え、とても美しい娘に会いました。神様が求婚すると、娘は父に聞くようにと答えました。父は大変喜び、娘の姉とともに差し出しました。しかし、娘の姉は大変醜かったので、神様は姉を送り返し、娘一人を妻にしました」

「それを知った父は真実を告げる。知りえもしない、だが誰もが望む願い。その神は願いを叶える機会を失った」

「そして幸せに寿命を(まっと)うした神様と娘を見て、姉は思いました。わたしも幸せになりたい。もう少し、何か一つでも妹に勝てていたなら。ううん、妹さえ居なければいいの」

「生まれ変わったなら、次はあなたと結ばれたい」

 

***

 

 今日は、雹花の友達に会いました。わたしにそっくりな女の子です。綺麗なセミロングの黒髪をしていて、姿は小学生のようですが、放つ雰囲気はわたしより年上に感じます。薄い緑色のワンピースに白いカーディガン。儚く消えてしまいそうな、けれど自信に満ちていて、その視線は、わたしたちを非難している様に見えました。

 きっと、彼女も雹花を好きだったのかな。

 

 彼女には、雹花は、渡さない。

 

***

 

 今日も、雹花はおともだちと会っていました。わたしに似ている娘です。透きとうるようなセミロングのくろい髪で、見た目はしょーがくせいみたいですが、ふいんきはわたしより年上みたいです。すこし緑色のワンピース、色のないカーデガン。どこかに消えてしまいそうな、けど自信であふれていて、その視線は、わたしを羨ましがっているようにみえました。

 きっと、彼女は雹花を好きに違いない。

 

 ぜったい、ひょうかは、わたさない。

 

***

 

 きょうは、雹花のともだちの、おんなのこと、けんかしました。

 彼女は、雹花が好きだから、わたしをうらんでいます。

 雹花はわたしだけを愛してるの。あなたなんかに見向きはしない。ずっとわたしだけを見ているの。雹花はわたしのことが好きなの。わたしも雹花が好きなの。嫌だやめて。わたしから雹花を取らないで。雹花はわたしじゃないとダメなの。あなたが入るばしょなんて、ない。

 

***

 

 あなただけは幸せにさせない。

 呪ってやる。

 

 ぜったいに、ゆるさない。

 

***

 

 目が覚めると、雹花は居なかった。家を探したら、死んだきつねが一匹居た。

 

 ああ。

 わたしには、何も、見えていなかった。

 けっきょく、勝てないんだ。

 また、次へ行こう。次こそは、上手くやろう。

 

 

 横断歩道。

 四年前の景色と重なる、視界を覆いつくす巨体。

 高速で近づくそれはわたしに向かって雄叫びを上げ――

 

 

 

 

 

 

 後書きは見えません

 

 前回大失敗した奏月です。あれは熱に犯され、自分以外の自分が覚醒して書いたものなので、言い訳をしますと、あれ、何も出てこない……

 

 今回は三つのテーマ(自分は「神話」、「妖怪」、「カードゲーム」)を含めて書くものでして、前回に比べれば人に見せられるものにはなったと思い……ませんマジすいません。

 なんというか、ある小説に影響を受けて、自分もこんなの書いてみたいよ! よし、やるかボブ! みたいに書いたものなので、その辺はお察しください。本当にすみません。

 なんていうか、バッドエンドが好きなんです。

 

 そんなことよりモ○バーガーいいですよね。この文章のほとんどは青い物の横にある町の駅の近くにある、緑色の看板がチャームポイントの某ハンバーガーショップで、電源をありがたく借り、スパイシーなハンバーガーと細く切られたジャガイモのフライにしゃぶりつきながら書かれたものです。

 最近は店内にハロウィンの飾りつけがされていて、とっても見目麗しゅうございます。

 

 というわけで、最近のマイブームは腕のすね毛抜き、チャーミーでプリティーな奏月がお送りしました。