黒井純一の怪奇譚
伊集院灯架
あらすじ
俺は黒井純一。中学一年生で帰宅部、友人はいない。
これまでの一人暮らしだった日常は、たまたま道端でぶつかった一人の女の子に呆気なく壊されてしまった。
都市伝説、口裂け女。
外見はどう見ても綺麗な女の子。なのに、妖怪の類。
人間としての名前は神谷美月(みつき)。
それが、彼女の名前だ。
日本のオカルトを知らない人のための用語講座
その一・口裂け女
口の裂けた女性の妖怪的な何か。
いつの時代から存在するのかは不明で、最も古い記録は江戸時代のものと思われる。狐狸の類とされているが、それは当時の憶測によるもの。
妖怪だったり人間だったり幽霊だったりと、正体が他の都市伝説と比べるとはっきりしていない。人間を襲う動機や襲い方だけでなく、あげくの果てには外見や好きなものも嫌いなものも地方で派生した口裂け女の都市伝説ごとに異なっている。
アジアのある国でも有名で、日本とその国で二、三度映像化された。
その二・都市伝説
江戸時代の怪談や世界中の神話に似て、口伝や書物などで広がっていくもの。しかしその最大の特徴は、情報社会の現代においてどんどん新しく産まれ続けていくというウイルス並みの増殖力と伝達力にある。
個人サイト、または掲示板などで一気に話題になったかと思えば、すぐに何事も無かったかのように噂されなくなることが多い。
そう、都市伝説とは怪談よりも「噂」に近い存在で、この噂としての話題性こそが都市伝説の武器なのだ。そのためか怪談のようなおどろおどろしさを全く持たない単なる噂や迷信の類が多く、なんであれ怪談以上に聞き手の想像力に依存している。
従来の怪談に近い怪談型の都市伝説の場合は人間の想像力に影響されやすい代わりに、怪談としての話題性から都市伝説の中ではかなりの知名度を誇っている。
件の有名な吸血鬼も元々は地方の伝承に過ぎなかったが、それがヨーロッパ中に広がることで現代の形になったのと同じように、従来の怪談や都市伝説などを下地にした新しい怪談型の都市伝説が元の都市伝説の派生として広がることもある。その例として口裂け女が挙げられる。
いないはずの生徒という七不思議の一人と戦った翌日、俺と彼女は、というより彼女が朝から勉強をしていた。
なんで都市伝説の口裂け女、もとい神谷美月(かみやみつき)がわざわざ勉強をしなければならないかというと、
「四則演算はまあいいとして、鶴亀算も出来ないんじゃ後々中卒になっちまうぞ。だからまずは法則とその理屈を暗記して理解しろ」
俺がそう言うと、彼女は心底辛そうに涙を流してぼやく。
「うう、なんでこんな絶対生活で使わないようなものまで勉強しなきゃいけないのよ?」
目の前には中学受験用の教材や小中学校の教科書が山積みとなっており、彼女はそれを忌々しげに見ていた。
そう、彼女は元々小学校になんて通ってない上に、中学試験すら経験したことがないからである。
江戸時代から生きていると豪語(ごうご)しているものの、寺子屋に行ったこともない彼女からしてみれば現代の算数のパズルでさえ解くのは苦痛らしい。しかも瓦版、今でいう新聞を毎日読んでいたから漢字は暗記しているものの、肝心の四則演算に関しては今日始めて知ったのだとか。
要約すると、彼女の計算能力は小学生にも負けている。
「学校に行く間は必ず必要になるからだよ。第一印象がアホの子とか嫌だろ?」
「それにしたって、どうしてこうも多いのよ? 四角い空白に答えを入れる穴あきの文章問題とかもう頭がついてかないわ!」
そう、穴あきの文章問題ですら解けないほど、彼女の計算能力は皆無に等しいのだ。いないはずの生徒の七不思議を自分のものに出来ても、生徒として生活する為の能力というか、ノウハウとでも言うべきものまでは手にすることができなかったらしい。
俺はため息を吐いて、式を解く順番を想像させる様に式をつつく。
「イメージしろ。公式を逆算すれば出せるだろ」
「え? あ、出来た」
「たかが義務教育の勉強くらい、理屈を理解できる想像力があればどうにでもなるぞ」
「なんでもかんでもイメージで片付ける君と一緒にしないでよ!」
彼女はそう叫ぶとガツガツと鉛筆でノートに殴りこむように問題を解き始めた。そんなに俺はイメージで片付けすぎているのだろうか。
しかし、と俺は彼女の勉強するペースを見て呟いた。
「この調子なら、メシの時間までに中学受験の範囲が終わりそうだな」
「えっ、本当に!?」
そう嬉しそうに目を輝かせている彼女に少し身じろぎしながらも、俺は続けて重要なことを言った。
「ああ、中学受験の算数の範囲はな。後は中学受験の英語に理科とそうだな、今俺たちがやっている勉強を全部やってお終いだよ」
「その前に私の頭がお終いになりそうよ……」
彼女はそう言いながらも算数の参考書を解き終えると、さすがに精神的に参ってきたのかとうとう机の上に突っ伏してしまう。そして憂鬱そうにため息を吐いて、立っている消しゴムの頭を指でいじり始めた。
いや、冷静に考えれば小学校から中学受験までの範囲を、こんなにも短時間でマスターしてしまう彼女の暗記力と理解力はすでに常人の域を超えているのだが。都市伝説だけに。
「四則演算を一から教えて、それ全部を理解するのに一日もかかってないってのは一応頭がいいって言えるのか? でも、中には一夜漬けの暗記と勉強で身につけたのを、一日ですぐに忘れる奴もいるからな。放課後は今朝の分の復習と、別の教科の勉強かな」
「まだ続くの?」
「続くぜ、嫌でもな。それよりご飯食べようぜ」
下の階のリビングに降りて俺は夕飯の準備を始め、同じく降りた彼女はテレビをつけてソファーで寝転んだ。
朝ごはんのおかずは昨日作っておいたので、後は軽く食パンを焼くだけですぐに食べられる。
そもそも昨日にカレーをかなり多めに作っておいたので、栄養を考えればそれ以外のおかず、特に野菜をサラダにしてドレッシングを軽くあえるだけでも実は十分なのだがそこは都市伝説である美月のことだ。どこかの食欲旺盛な女子高校生探偵並みの食欲と胃袋があるからこそ、人間を丸呑みにしてさらうなんて芸当ができるのかもしれない。そう考えた上で、さらに多めに作っておくことにしたのだ。
「あははっ、ホンとにそんな作戦で侵略できるわけ? って、うわ、言ってすぐに失敗したよ……いやガンプラに逃げるなよ!」
彼女はリラックスして観ていた分テンションが上がったのかソファーをバンバン叩いて大きな声で笑っている。今見ているアニメが相当好きらしい。
まあ、都市伝説のように永く生きていると、毎日に退屈して娯楽を求めるようになるのだろう。一人暮らしをしていた俺にも覚えがある。
作ったサラダと焼いたパンをテーブルの上に置き、カレーを入れた皿をそれぞれテーブルの上のマットに置いて、食器も使いやすいように右に添える。
「よし、出来たぜ。それじゃあそろそろメシに――」
そう言いかけた時、俺のポケットの携帯電話が鳴り出した。
俺はそれを取り出し、彼女に少し詫びると電話に出た。
「はい、もしもし。黒井です」
「もしもし、私メリー。今あなたの家の近くにある公園にいるの」
電話をかけた相手はそれだけ言うと、すぐに電話を切ってしまった。
はて、俺の電話番号を教えた人達の中にメリーなんて名前の人がいただろうか。そもそも、俺はクラスメイトに携帯電話の電話番号を教えた覚えがないのだが。
「誰からだったの?」
彼女は興味深そうに携帯電話を見て聞いてきた。
「さあな、全然知らない人からだった。かけ間違いじゃないか?」
そうとだけ答えると、再び俺は席につこうとする。
「じゃあ、そろそろメシに」
つこうとして、また携帯電話が鳴り始めた。
再び彼女に詫びてから、電話に出る。
「はい、黒森です」
「私メリー。今あなたの家の近くにある郵便ポストの前にいるの」
またそれだけ言うと、相手はすぐに切ってしまった。
彼女はまた興味深そうにこちらを見て聞いてきた。
「さっき間違い電話した人からだった。じゃあ、今度こそメシに」
またまた携帯電話が鳴り始めた。
もう一度彼女に詫びてから、電話に出る。
「私メリー。今あなたの家の前にいるの」
今度もそれだけ言うと、相手はすぐに切ってしまった。
「……かけ間違いすぎだろ。っていうか、そうじゃないにしろマジで本物のストーカーか。いい度胸してるじゃねぇか」
そう呟いて、俺は携帯電話の電源を切る。
これなら、何度電話番号を間違えられても大丈夫だろう。
それじゃあ食べようか、と口を開きかけたところで、電源を切ったはずの携帯電話が鳴り始めた。
また彼女に詫びてから、電話に出る。
「……電源は切ったはずなのですが。ハッカーですか貴方」
「正確にはクラッカーよ。まあ、パソコンなんて私は使わな」
そう相手が言いかけたところで電話を切って、再び電源を切る。
今度は切ってすぐに電話がまたかかり、かかってすぐに電源を切る。
すると電話がまたかかり、通話ボタンを押してもいないのに勝手に通話が始まった。
「アンタふざけてるわけ? 私が誰だか知っていてやっているの?」
「はいはいメリーさんですねわかりました」
そう答えて俺は携帯を切ろうとボタンを押して、通話が終わらないことに気が付いた。
「あははははっ、私の能力をバカにしないでちょうだ」
いい加減相手にするのは疲れてきたので、俺は携帯電話のバッテリーを引き抜いて強制的に通話を終わらせた。
「ったく、とんでもなくウザイ奴だったな。まあ、こうすれば電話をかけられないだろ。じゃ、いただきま……」
俺はそう呟き彼女の方へ振り向くと、彼女は何に驚いたのか唖然とした表情で俺を見ていた。
「何だ、俺の顔になんか付いてるのか?」
そう俺が聞くと、彼女は首を横に振る。
「ううん。でも君にまた都市伝説が憑いちゃったみたい」
「……は?」
それはどういうことだと開こうとすると、一階の玄関のドアを叩く音が聴こえてきた。なんだろう、妙な既視感がする。
嫌な予感を抱きながら窓を開けると、そこには池袋の乙女ロードなんかでよく見るゴシックロリータの服装をした小学校低学年生ぐらいの女の子が、玄関のドアを叩いて叫んでいた。
「ちょ、ちょっとアンタ電話に出なさいよ、出ないと後ろに立てないじゃない!」
俺は腕を組んで、頭にふと引っかかる何かをひねり出そうとする。
ため息を吐いた口裂け女は、片手を額に当ててボソッと呟いた。
「『メリーさんの電話』のメリーさんだよ。電話に出る相手に伝えた場所へ移動して、最後に相手の背中に回って襲い掛かる人形の都市伝説。本当に君、都市伝説を知らないんだね」
なるほど、そういうことか。
俺はようやく理解すると、古本をまとめるプラスチックの紐をタンスから取り出し、彼女の手を引いて玄関へと急いだ。
◆ ◆ ◆
「ちょっと、女の子に対して失礼じゃないですかぁ?」
そう不満げに口を尖らせるメリーさんにプラスチックのロープを使い身動きできないように縛る。
電話を使わなくても、俺を殺せるかどうかがわからないからだ。
「何も都市伝説のみんながみんな人を殺すってわけじゃないんですよ? 私だってたまに人を刺したりするけど、殺したりなんてしませんよぉ」
「ようはお前の気まぐれしだいなんだろ? だったら刺される前に縛っておいたほうがいいに決まっている」
「だから殺さないって何度も言ってるでしょうが!」
メリーさんらしき少女が何やらほざいているようだが、それでも紐を強く縛り手足だけでなく両手足の親指も縛り、ついでに腕に力を入れられないように腕を伸ばしきった状態に固定した。
「ちょっと、これ下手したらそっちが犯罪者じゃないですか! こんな年端もいかない女の子を拘束して監禁なんて都条例に引っかかるでしょ、警察呼びますよ!?」
「大丈夫だ、問題ない。そもそも都市伝説って時点で実年齢が三十路を越えているだろ」
「……それってまさか、私のことも言っているの?」
後ろからなんとなく陰鬱な視線を感じた俺はメリーさんを縛り上げると、何事もなかったかのようにテーブルの席に座った。
美月は何かを言いたそうに眉根を寄せると、小さくぼそぼそと唇を動かして席に座る。
メリーさんは、じっとテーブルの上にあるカレーライスをじっと見つめて唾を飲んだ。
「あの、それちょっと頂けません? いくら都市伝説でもお腹は減るというか、人間の姿を維持するのって色々と反則技だから体力を使うというか、そもそも去年からまともな料理を何も食べてないというか」
俺はカレーをすくっていたスプーンを皿に置き、メリーさんに振り向いて話しかける。
「……メシをやったら、お前はどうするんだ」
すると彼女はどんどん口から流れ続けるよだれを慌てて飲み込み、それでも食欲を我慢しきれず再びよだれを流しながら答えた。
「大人しく帰ります。後ろから驚かすだけにして帰ります」
「つまり、帰ってくれるんだな」
すると彼女は首を縦にぶんぶんと振り、体を揺らして紐の呪縛から逃れようとする。
「ええ、ですから紐を解いてく」
「断る。大人しく元の姿とやらに戻って餓死しやがれ」
「そんな殺生な!」
俺は席から立ち上がり、自分の分のカレーを持って彼女の目の前に立つ。よく見ると彼女の顔色は青白く、ただでさえ白い肌を持っているのに不健康なものだから怪談の人形だとかの理屈以前にものすごく不気味に見えた。青い眼もどこか暗く金髪もかなり傷んでいる。
「冗談だ、ほら食えよ」
「面目ないです、頂きます!」
紐を緩めて両手を解放しカレーを差し出してやると、メリーさんはスプーンで掬ってはそれにがっつくようにどんどん食べて飲み込むのを繰り返す。メリーさんの喉にカレーが流れていくたびに、どんどん表情が明るくなっていくのがよくわかった。
最後のカレーを飲み込んだ頃には、だいぶ顔色も良くなっていた。
「ご馳走様でした、すごく美味しかったです」
メリーさんは久しぶりに腹を満たして落ち着いたのか、笑みを浮かべるとすぐに眠り始める。ずいぶんと現金な奴だ。
美月はそれを見て何を思ったのか、俺に聞こえない小さな声でぼそりと呟いた。
「そういうの、人間としてどうなんだろう?」
メリーさんを解放し家から出てもらい、そのついでに俺たちも学校へ行こうと家から出た。
通学路を歩いていると、家からすぐ近くのゴミ捨て場で学生服を着た少女が何かを捨てているのを見た。
よく目を凝らして見てみると、捨てられている物はクマの人形のようだった。ようだった、というのはパッと見ただけではそうだと気づけないほどにツギハギだらけでワタもはみ出ている不格好な姿だったからだ。
少女は人形に頭を下げると、駆け足でその場から離れていく。
「変なヤツだな」
俺がそう呟くと、美月はジト目でこちらを見る。
「キミは何か物を大切にしたことはないわけ?」
「無いな。物は使い捨てるものだろ?」
すると美月は呆れたようにため息を吐いて先を歩き始めた。
「お、おい、行き先わかってるのかよ?」
「わかってるよ、そのくらい」
俺は慌てて彼女の後を追う。
追ってすぐ、通り過ぎたごみ捨て場から音が聞こえた気がした。
ふと気になって後ろを見てみると、ボロボロのクマ人形が拾ってほしそうにこちらを見ている。
「なあ、美月」
「なに?」
「お前らって、科学だけで考えたら絶対ありえない生き物だよな。それがなんでメシ食って化学反応を起こして生きてるんだ?」
すると彼女はこちらに振り向いて、人差し指を立てながら答えた。
「あのね、私たちは人間に『こういう生き物がいる』って信じられているからその通りに生きるの。例えば人間はご飯を食べて動いて体洗ってトイレに行ったりして寝るでしょ? 人間は元々そういう生き物だけど私たちは元々いない生き物だから、人間が私たちを想像するとき必ずイメージの元となる種が必要なの。私なら種は人間で、メリーちゃんは人形。でも動いている人形って言っても、最近はアニメとかの立ち絵をそのままに人形にするとその違いがかなり曖昧になっちゃうから、その影響で人間の姿にもなれるようになったのかもしれないね。まあ具体的にそこを話すとややこしくなるけど要するにあ痛っ!」
美月が急に頭を抱えてしゃがみこんだ。
何事かと思ってよく前を見ると、彼女の後ろに電信柱が立っている。
「馬鹿だろ。お前絶対馬鹿だろ」
「せっかく人にカッコいいところ見せられると思ってたのに……」
かなり痛そうに頭をさすりながら立ち上がると、彼女は全身を横に回しながら踵(かかと)を上げた。何か白いものが下に見えた気がしたが見なかったことにしよう。いや、その前に一体何を、
「こんな狭い歩道に立てるな!」
しようとしたのかが嫌でも理解できた。
なぜなら、そう思ったときには既に電信柱がかかと回し蹴りでへし折れていたからだ。
一瞬何が起こったのかがわからなくなったので、後を追って少しゆっくりして思い出していってみよう。
彼女は体を半周回して踵を上げた。
何か白いのが見えた。
踵が円を描きながら電信柱のコンクリートにめり込んで、そこから無数の亀裂が電信柱に走った。
そして彼女が踵を振り切った時にはコンクリートの破片が飛び散り、電信柱のバランスが崩れた。
たった今電信柱がコンクリートの道路に倒れ込み、道路と自身に亀裂を走らせさらに砕ける。
自爆攻撃を受けた格闘漫画のキャラクターのごとく粉塵を舞わせて倒れている電信柱を見て、俺が至った真実はただ一つ。
器物損壊。しかも公共のものを。
前科者になったよやったね君。ではなくて。
「何やらかしてるんだよコラ下手しなくても送電止まったじゃねぇかどうすんだよこれ!」
思わず俺は美月の胸ぐらをつかんで叫んでしまったが、彼女はカエルの面に水でもかけたかのようにケロッとした表情になっていた。
「え、こんなのただの子供ができるなんて誰も思わないでしょ?」
しまった、彼女は腐っても都市伝説の一人なのだ。
他人を自らの足で追い回し腕力であごを裂いて殺すことができるような超人、いや人ですらないが、ともかくそんなことができるような生き物だからこそこんなことができてしまうのだ。
当然、そんな奴が憂さ晴らしで電信柱を蹴り飛ばしても誰も文句は言えないのである。そもそもこいつに出会った時点で襲われるのは都市伝説で確定しているのだから。
最も助かってそれらの出来事を他人に話そうがそれは都市伝説たる彼女にとってどうでも良いことであるし、逆に言った本人の正気を疑われるだけだ。
「そんなことより続きなんだけどね、つまり私たちは『いるからそうだと想像される』んじゃなくて、『見えないからそうだと想像されて、初めてそこにいることになる』生き物ってこと」
あれだけのことをそんなことの一言であっさりと切り捨てると、彼女はそう言った。
「神様や天使、悪魔や精霊、もちろん霊魂妖怪空気その他もろもろも見えないからそうだと仮定して想像してるでしょ? 私たちはそれに命が与えられた、生きる噂なの。もちろん衣食住や趣味嗜好もそれに準じているんだよ」
胸を張りながら自信満々にそう言うと、美月は俺に指を指す。
「当然、そこにいる生まれたての子もね」
いや、その指は俺ではなくてもっと後ろにある何かを指していた。
ゆっくりと振り返ってみると、そこにはクマの人形が立っていた。
目がおかしくなったのだろうか。目をこすりもう一度振り返ってみる。
そこにはクマの人形が割れたガラス瓶を持って立っていた。
「多分捨てた女の子の罪悪感で生まれたイメージが今になって動いたんじゃない?」
ガラス瓶がクマの人形の手から落ちて、音を立てて割れる。
クマの人形の体は小刻みに震えていた。
「あ、黒井くんに手を出したらこうなるからね。あの子を追って襲う気なら別にいいけど、それやったら私の学校生活が困るからやっぱりこうするからね」
「どれを選んでも殺す気なのかよ。あと日本語おかしいぞお前」
そう言いながら俺はクマの人形を見る。
表情はうかがい知れないが、どう見ても怯えていた。
「だって当然でしょ、君が死んだら私も死んじゃうんだから」
彼女は学生鞄から鉈を取り出して笑った。
「大丈夫、君が私を綺麗って言うまで死なせないからね!」
それは太陽に照らされた花が咲くかのような笑顔だった。
せめて片手に鉈を持っていなければ、こうも猟奇的で残念な笑顔には見えなかっただろうに。
一方クマの人形は腰を抜かして、彼女から少しでも離れようと一生懸命手足を動かしていた。もうどっちが悪いのかわからない。
ちょうどその時、クマの人形の背中が小さな女の子の靴に当たった。
俺は視線をクマの人形から上へと動かすと、そこにはつい先ほど別れたメリーさんが立っていることに気がついた。いつの間に来たのだろうか。びっくりしたクマの人形は慌てて彼女からも離れようとして、立ち上がるもすぐに転んでしまう。
「それじゃあ早速……あれ、メリーちゃん?」
スイカ割りでもするかのように鉈を大きく上へ構えた美月もメリーさんに気づいたのか、鉈を振り下ろさずにメリーさんに話しかけた。
「ああ、そういえば携帯電話のやり取り、一番最後にやるお決まりのセリフを言えてなかったんだよね。なんなら今のうちにやっちゃう?」
「それはいいですよ、私が興味あるのはこの子です」
びくりと大きく体を震え上がらせたクマの人形に彼女は柔らかく微笑むと、抱きかかえて話しかける。
「私もあなたとおんなじです、怖がらないで。まだ持ち主が生きている間なら私にはなりませんよ」
しばらくクマの人形はジタバタと暴れたが、彼女に優しくなでられて次第に落ち着きを取り戻してきたのか抵抗をやめる。
彼女は安心したのかほっとため息を吐いて、こちらを見て話しかけた。
「この子は大丈夫ですよ。この子を産みだした女の子がこの子の印象を変えてくれれば、今日みたいなことにはなりませんから」
「それってどういうことだ?」
俺がそう聞くと、美月がそれに答えた。
「人間のイメージから私たちが生まれたことは説明したよね? 私たちの存在が人間のイメージで作られているということは、当然人間側が認識を変えてくれればいくらでも在り方を変えられるということでもあるの。まあ、それが成功するのは生まれてすぐくらいなんだけどね」
「要するに、人間が動けば影も動くようなもんか?」
「極端だけど、まあそんなところだよ」
俺はそれを聞いて、心のどこかで安心と不安を感じた。
具体的になぜそう感じたのか自分でもわからない。だがそれは自分の影を見て確信に近いものへと変わっていくのがわかった。
「それじゃあ、私はすぐにこの子の用を済ませますね」
メリーさんは急いで俺たちの先を走っていき、何かを思い出したかのようにこちらへ振り向いた。
「ああ、言い忘れました。私の名前は便宜上メアリー・キャロシーンということにしてください。少々ややこしいことになりますから」
そして再び前を見ると、すぐに走りだして、
「え、あ、ひゃあ!」
美月が先ほど破壊した電信柱の破片に靴のつま先を引っ掛けて転んだ。
彼女の今の行動で、完全に確信した。
その本質や産まれ方はどうあれ、彼女たち都市伝説が俺たち人間と全く同じ存在なのだということに。
他人からこういう存在だと言われて、初めて自分を認識する。
自他の先入観で自分や相手のイメージを良くも悪くも決めてしまう。
それは人が地面に写す影のようで、彼女たちはそれに命を与えられただけにすぎない。そうにすぎない存在だからこそ、先程は得体の知れないものに対する不安と、親近感からくる安心のようなものを抱いていたのだ。
「どうしたの黒井くん?」
心配そうに俺の顔を覗き込む美月。
彼女にはわかるのだろうか。自分が想像したものが勝手に動き出すという事実への恐怖が。自分の描いた絵、造った物、地面に写る影。それらが命を得て動き出すというに等しい怪奇への不安が。
そう、俺の怪奇譚はまさに、この時から始まったのだった。
俺が嫌でも、続く。
あとがき
どうも、おはこんばんちわ(Drスランプより)。伊集院灯架です。
ええと、今回はヒロインの名前の由来について語ろうと思います。
神病み付き、じゃなくて神谷美月は、こっくりさんなどでお馴染みのお稲荷様からとりました。
具体的に説明すると長くなるので簡略に言いますとお稲荷様の一人宇迦之(うかの)御魂神(みたまのかみ)の別名御饌(みけ)津神(つのかみ)から取りました。
「みけつのかみ」から、み→美、けつ→げつ→月、かみ→神で、神のつく苗字「神谷」に美月でみつきと読んで足し、神谷美月。
別に彼女が神様だから、という意味ではありません。
ついでに主人公はというと、黒い→黒井、純粋に→純一で黒井純一。実際に性格が悪くて腹黒いですよね、ちなみに主役の名前などが思いつかないときは大抵これを(仮)の名前として使っていました。おや、誰かが来たようだ。
今回出てきた彼女はというと、純粋に人名を別の呼び方でとって、メリー→メアリー。彼女の苗字はキャロシーンですが、これは……ああ、うん、過労死。
過労死→かろうし→きゃろぉし→キャロシーン。
メリー(さんの電話)・過労死で、メアリー・キャロシーン。
始まってすぐに主人公にぞんざいな扱いをされたメリーさん。さて、これを彼女の役割として定着させると(あとはイメージしてください)。
彼女、ネットの派生ではロリキャラ&ドジっ子キャラ扱いですので結構ネットじゃ出番多いんですよね。過労死するんじゃないんですかね?
具体的にどんな感じかはネットで検索してください。小学生時代の恐怖がただの萌えに産まれ変わっていますよ。
そこはさすが正気度底なしなオタク大国日本、日本鬼子を日本鬼娘なんて萌えキャラにしたりクトゥルフ神話の名状し難い造形の邪神達を女の子に擬人化させたりするだけはあって、そっちの方向にはだいぶ免疫力があるようです。かのリングの貞子もイラストを探してみれば可愛い女の子に……どういう、ことだ……?
そんなちょっぴり(?)可愛いドジな彼女の一面を出せればいいかなと思っています。
さて、これはガチなホラー小説ではなく居候モノのようなほんわかとした日常物(のつもり)です。
といっても、主人公は元々帰宅部ですので生徒会云々が関わっていくのはかなり後になるでしょう。
それ以前に、「セイトカイッテナニソレ、オ〜イシイモノデースカ?」なくらいに高専以外の生徒会について知りません。さあ、そっち系の本を買いに行こう。あと妹に聞こう。
PS
帰ってテレビを観ていたい、最近ケロ●(原作)が面白い。
さらに言うと、某ニャルラトホテプの少女がウニャウニャするアニメ化されたライトノベルにもはまっています。だからって真似した訳じゃないですよええ本当に偶然の一致です。やっぱり人間のアイデアなんて被ってとうぜ(そろそろ黙ろうか)