青白い氷柱のような月の光が窓から射し込み、部屋はボンヤリとした深みを帯びている。なんだかまるで、透明なシリコンを注ぎ込んで固めたみたいに、部屋の中の何もが静的に感じられた。
私の部屋には物が少ない。
子供の頃からそうだ。別に変わった子供では無かったと思うけど、部屋の中だけは整然としていないと嫌だった。
こまめに掃除しているフローリングの上には、小学生になる時に買ってもらった勉強机と、いま私が座っているベッド。本棚の中身は子供の頃に読んでいたマンガから最近買った学術書まで、色々な本がキッチリと並べてある。
しかし私にとって最も大事なのは、南向きの大きなガラス窓だ。この窓のカーテンは夜でも閉めないように開けっ放しにしている。
私にとって、この部屋はどうしても夜と繋がっていなければいけない。暗いと落ち着くとか綺麗だとかではなく、この部屋が本当の姿を取り戻したように思えるのだ。
部屋に余計なものを置かないようにし始めたのも、ここに夜を迎え入れる上で邪魔に思えたからだった。部屋の全てに夜が染み込んで、夜空の一部になるような――その感覚を味わうために。
だけど一つだけ、この部屋にも飾り物がある。勉強机の片隅に置いてある写真立てだ。そこに写っているのは、現役を引退するより少し前の母さん――まだ『星集めの飛行士』だった頃の母さんだ。
星集めの飛行士は世界で最も夢のある職業といわれる。実際、そう言われてわざわざ否定する理由も無いと思う。
飛行士がロケットに乗って目指すのは大気圏を超えた先、アストラル界と呼ばれる星の領域だ。そこは何も無い真空の世界で、数限りない星だけが散らばっている。
そして飛行士はロケットから飛び出して、宇宙服と命綱を頼りにしながら真空を泳ぎ、手に持った網で星を集めるのだ。
アストラル界から持ち帰った星粒は色とりどりの宝石のようでありながら、どの宝石とも違っている。その輝きは、不思議な力でもって人の心へ直接訴えかけるのだ。多くの人々は星粒を見ても気持ち悪いと言って欲しがらないけど、手に取るだけで涙を流して感激する人もいる。それだけの何かが、星の中には秘められているのだ。
今でこそ学校の講師をやっている母さんも、かつては星集めの飛行士の一人だった。女性の飛行士は珍しいけれど、母さんは人一倍に優秀な飛行士だったそうだ。何度もアストラル界の波動を浴び続けた結果、髪の毛は綺麗な銀色に染まっている。
そんな母さんが飛行士を引退した理由は、同じく飛行士だった父さんと結婚したからだった。この決断は母さんをとても悩ませたそうだけど、たとえ仕事が出来なくなってもいいから家庭が欲しかったらしい。
だけど結局、母さんの望んだ幸せな家庭は実現しなかった。私が生まれるより早く、父さんが死んでしまったのだ。アストラル界で星を集めている最中に流れ星とぶつかったらしい。
その時の母さんはひどく取り乱して、父さんを追うためにロケットへ乗ろうとしたのだとか。
母さんの悲しみがどれだけ深かったのかは、私も知っている。いつもは何でも明るく話すのに、父さんの話をする時だけは少し無理をした表情になるから。
きっと母さんは、自分の悲しみを私に気付かせないつもりだったのだと思う。親が自分のことを語ると押し付けがましくなる、とも言っていた。
でも私は母さんの悲しみに気付いていた。そして、それは私を一つの決心へ駆り立てた。小学二年生の頃の、ある日の晩のことだ。
私は夕御飯を食べた後、なんとなくお風呂に入るのが面倒臭くて、ベッドで仰向けになって本を読んでいた。そんな時は、いつの間にか眠ってしまうものだ。
眠りに落ちた私は変な夢を見た。そこは巨大な天球儀の中で、私が立っているのは銀色の水平板の上なのだった。傾いた地軸を中心にして、星座や太陽が描かれた真鍮のリングが回り、天球儀の外側には、本当の星空が広がっている。
いつの間にか隣に人が立っていた。白衣のポケットに両手を突っ込んで、ボサボサの白髪を長く垂らした、年齢がよく分からない男性だった。
私は尋ねた。
「おじさん誰? こんなところで何してるの?」
「誰と言われたら、私は天文学者だ。こんなところで星の研究をしている」
天文学者はハリのある声で、私がビックリするほど大仰に答えた。
「ところで君は、星と魂の関係を知りたいかね? 知りたくないかね?」
「た、魂……?」
私は勢いに押されて、なんとなく頷いてしまった。すると天文学者はさらに得意気になって語りだす。
「そうとも、死んだ人は星になるのだ! 何も難しいことは無い、死んだ人の体は土に、死んだ人の魂はアストラル界に!」
変なことを言うものだと思ったけど、言葉の意味は理解できた。そして私は、なぜかこの変てこな天文学者の言葉に惹かれそうになっていた。
「死んだ人はみんなあの空にいるの?」
「その通り! ここから見えるたくさんの星たちに、死者の魂が封じられているのだ!」
「じゃあ私のお父さんは、この空のどこにいるの?」
「残念だが、それを私は知らない。だって星たちは、星の数ほどあるのだからな」
結局のところ、それは何も知らないのと同じことじゃないか。そう思いながらも、私は、もどかしさのようなものを感じていた。その隙間を埋めるように、天文学者はさらに言葉を重ねる。
「しかし! 手を伸ばしてみなければ絶対に手に入らない。手を伸ばしてみれば、一回きりで手に入るかもしれない。おや、こうしている間にも星々が回っていくではないか」
確かに、さっきから天球の回転が速くなっているような気がする。私は無性に焦りを感じて、天文学者に問いかけた。
「ねえ私はどうすればいいの? そんなこと本当に意味があるの?」
「それも私は知らない。だが、他に何が出来る? 星が持っている不思議な力を知っているのだろう? 君に出来ることは一つだ」
そして天文学者は、水平板の中心にある穴へと消えてしまった。私は一人で残されて、どうしたらいいのか分からなくなって泣きそうになった。
そこでいきなり目が覚めた。いつの間にか部屋の中は暗くなっていて、開けっ放しになっていたカーテンから月の光が射し込んでいる。それは私にとって、一生忘れられないほど印象的な風景だった。
夜空を見上げた時の虚しさみたいなものが部屋中を満たしていて、ここがアストラル界のような気さえした。こんなにも「ここが自分の居場所だ」と強く感じたのは初めてだった。
その日から、私はある夢を頻繁に見るようになった。星集めの飛行士として、アストラル界をさまよう夢だ。
でも多分、その夢の中の飛行士は私じゃない。その夢の中で私が持っているのは感覚だけで、身体は私の意思に関係なく勝手に動いているのだ。
飛行士はゆっくりと、星の海を泳いでいく。そして一つ、温かい橙色に輝く星を見付けて手を伸ばし、宇宙服のグローブに乗せる。
その星を見ていると、なぜだかとても懐かしい感覚になって、目尻が熱くなってくる。そしてついに涙を流しながら、飛行士は星に語り掛けるのだ。涙まじりの声で「やっと逢えたね」と。
いつも必ずその瞬間に目を覚まし、私はベッドの上で初めて気付く。夢の最後に聞こえた声が、母さんの声だったことに。
そんな夢を何度か見るうち、私は星集めの飛行士になりたいと思い始めた。一度そう思ってしまうと、自分は飛行士にならなくてはいけないという考え方が際限なく膨らみだす。
ある日、私は母さんにこのことを話した。まあ思っていた通り、母さんは喜びはしなかった。一瞬だけ怯えるような表情をした後、「本当にそれがあなたの夢なの?」と何度も聞いてきた。だから私はそのたびに、「そうよ」と答えた。
きっと母さんは、こうなることを恐れていたから積極的に過去を語らなかったのだろう。そして私の「そうよ」が半分嘘であることにも気付いただろう。
確かに、母さんの質問の意味を考えれば嘘になる。でも確かに、私にとっては飛行士が夢なのだ。人生を賭けてもいいと思えるほどの。
それから私は飛行士になるために努力し続けた。飛行士になるには健康な肉体だけでなく、四十二宿式天文観測術やアストラル航法の知識も必要になってくる。決して簡単な道ではなかった。
そして私はついに星集めの飛行士になり、今までに何度か星を取りに行ってきた。アストラル波を何度も浴びた証拠の『銀章』だってちゃんとある。まだ前髪の一部分だけど。
もちろん大変な仕事ではあるし、そしてそれ以上にやりがいがある。母さんも父さんも、同じように星を集めていたのだ。
でも時々、網を持ちながらアストラル界を泳いでいると、いきなり不安感に襲われることがある。背後からとても大きな何かが近付いてきて、知らないうちに私を飲み込んでしまうような感じだ。
そんな時は母さんの言葉を思い出すようにしている。私が初めての飛行に行く前に、母さんは目尻に涙を浮かべながら「本当にありがとう、頑張って」と言ってくれた。
本当は誰よりも、母さん自身が行きたいくせに。だけど母さんの身体で飛ぶのは無理だし、気長に待ってもらうしかない。
もしかしたら、いつか父さんの星を見付けて帰って来るかもしれないから。
『それは紛れもなく後書き』
こんにちは。最近ペンネームに「〜童子」って付けるのが流行ってるらしいので「鬼童子丸」に改名しようかと考えている鬼童丸です。これでもいちおう会長です。
今回の小説は、〆切前に一日で書き上げたので短いです。ミスは無いと思いますが、中身もそれほどありません。雰囲気で読んでもらえると助かります。
ちなみにこの小説は私が見た夢から着想を得て作っています。世界観がフワフワしてて曖昧なのも、そのせいかもしれません。
話の方向性は、私がいつも書いてるのとあまり変わりませんね。思い出探しとか、短編三連とか、そこらへんの過去作品と比べれば分かると思います。
ちなみに、私の作品に出てくる女性は乙女ばっかりですね。しかも年を取っても乙女のままなのが怖いところです(今作の母親とか)。私の小説内では「乙女遺伝子」という奇妙な異伝要素があるのかもしれません。
あと裏設定ですが、今作の主人公の名前は「綺羅姫星美」です。検索すると何かが出て来るかもしれません。
どうせ会長挨拶にも何か書くので、ここらで失礼します。