三月十二日、午前八時。春の陽光がカーテンの隙間から漏れ、アパートの一室であるこの部屋を明るく照らしている。今日は春休み直前の土曜日である。昨日、二時近くまで起きていた所為か、まだ意識はぼんやりとしている。それなのに、何故俺が昨日より四時間も早く起きたのかというと、目の前にいる彼女が原因である。
「ほら、さっさと起きる! 時間は待ってはくれないのよ、それに私も待つのは苦手なの!」
そう言うと彼女は、そっぽを向いてしまう。
長く黒い髪に、整った顔。大和撫子と言うのは、彼女のような女性のことをさすのだろう。彼女の名前は須藤麗美。俺、城嶋堅司の幼馴染である。大きな声を出して俺の安眠を妨害した張本人である。何故だか理由は知らないが、ご立腹のようだ。
俺は取りあえず体を起こす。すると、頭に鈍い痛みが走った。額に手を当てる。いつもより早い時間に起きたのが原因かもしれない。痛みが引いた後、俺は彼女の方を向く。それに気づいたのか、彼女は俺のほうに顔を向ける。彼女は眉間にしわを寄せ、こちらを睨みつけてくる。俺、何かしたっけ? 記憶を探ってみるが、何分起き抜けなのでうまく思い出せない。何か大切な約束をしていたような気はするのだが。
「まさか、忘れてるの?」
彼女が呆れたような声で尋ねてくる。俺は彼女から視線を外し、首肯する。すると彼女は、こちらの顔を覗き込むようにしながら、プレッシャーをかけるように言う。
「ケンちゃん、女の人との約束を忘れるなんて最低だよ?」
そう言うと彼女は黙り込み、俺のことをじーっと見つめる。俺は項垂れて謝罪の言葉を述べる。
「す、すみません。俺が悪かったです」
彼女はそれを聞くと、ため息をつきながら姿勢を元に戻す。そして、彼女は今自分がここにいる理由を口にする。
「ケンちゃんはね、今日一日私に付き合う約束をしたんだよ。ほら、さっさと準備して。早速出かけるわよ」
* * *
外出の準備を済ませ外に出る。移動手段としては何を使うか聞いた所、いろんな所に寄りたいから自転車で行こう、という事になった。しかし彼女は自転車でここに来たわけではなかったので、俺の自転車に二人乗りすることになった。俺が自転車をこぎ、彼女が後ろに座っていると言う状況だ。普通二人乗りって言ったら、後ろから前の人にしがみついたりするもんだが、彼女はそんな様子を見せなかった。結果、自転車ではあるが余りスピードが出せなかった。
「遅いよ〜。こんなんじゃ、着く頃には夜になっちゃってるよ?」
彼女は俺がわざとスピードを落としているのに、文句をたれる。
「誰の所為で遅く走ってるのか少しは考えてくれよ」
俺は彼女に聞こえないように、小声でそれに反論する。春の陽光は温かく、風も緩やかだった。世界は生気に満ち、明るかった。
* * *
到着したのは駅前のショッピングモール。時刻は既に十一時。準備を済ませて出てきたのが九時頃だったので、二時間ほどかかっている。
俺の住んでいるアパートは町のはずれにあり、ここまで結構な距離がある。なので、俺はここにあまり訪れたことはない。よって、あまりここのことはよく知らない。彼女の家も同じようにここから距離があるが、駅の近くなので電車でよく訪れるようだ。俺のことを先導して、いろんな店に入っていく。俺はここにいる意味があるのだろうか? そんな疑問が頭をよぎる。しかし、彼女の買い物を楽しんでいる様子を見ていたら、別にいる意味がなくても良いかなと思った。
いくつかの店を見た後、俺たちは一階のフードコートで昼食をとった。朝食は、彼女に急かされていた所為でパン一枚しか食べていなかったので、ほぼ今日最初の食事である。俺はラーメンを食ったが、彼女は今ダイエット中なのと言って何も食べなかった。俺がラーメンのスープを飲みほして水を飲んでいると、彼女が話しかけてきた。
「ねぇ。私たちって、カップルに見えるかしら?」
俺は頭ん中が真っ白になり、思いっきりむせた。彼女は心配そうに俺のことを見る。いきなり何を言い出すのだろうか。文句を言ってやろうと彼女のほうを見ると、彼女の頬が仄かに赤く染まっているように見えた。それを見た所為で、俺は何も言えなくなってしまった。顔が、そこから火が出ているかのように熱い。そのまま、嫌な沈黙が俺たちの間に流れた。俺はその空気に耐えられなくなり、ここから離れようと立ち上がる。
「さ、皿返してくる!」
「わ、私、ちょっとお手洗いに行って来るね」
彼女も俺の行動に合わせて立ち上がり、歩いていく。手洗いと、俺が皿を返しに行く方向は反対なので俺と彼女はどんどん離れていった。皿を返しに行く途中も、彼女の言葉が頭を離れなかった。
「カップル、か」
小さくそう呟く。確かに見えるかもしれない。そう考えると、また顔が熱くなるのを感じた。
皿を返した後、俺は手洗い場の前で彼女が出てくるのを待っていた。なかなか出てこないので疑問に思っていると、別の女性が出てきた。
明るめの茶色の髪の女子だ。俺は彼女のことを知っていた。中学で知り合った、野坂向日葵と言う少女だ。俺が軽く手を上げて挨拶すると、彼女もこちらに気づいた。
「あれ? 城嶋、こんな所に何の用?」
軽く首を傾げながら、彼女はそう尋ねてきた。俺がここには滅多に来ないので、不思議がっているようだ。俺は、理由が何となく言いづらくて話題をそらした。
「お前こそ、何しに来たんだよ」
「先に質問したのはこっちよ。さっさと答えなさい」
そらしたけれど、あっという間に戻されてしまった。俺は観念して理由を言う。
「ちょっと、知り合いに付き添いで来てるんだよ」
誰と来ているのかは伏せて、必要な部分だけ説明する。そう言うと、彼女は訝しげにこちらをじーっと見つめる。俺は、このままじゃもっと細かいところまで説明する羽目になるんじゃないかと思い、口を開く。
「俺の理由は言ったぞ。お前はどうなんだよ」
「別に……ちょっと、近くの病院に用があったのよ」
俺が質問すると、彼女は視線をそらして言いづらそうにそう答えた。俺は、それ以上何か聞いてはいけない気がして口をつぐむ。すると彼女は視線をこちらに向け、表情をころりと変えて朗らかに笑う。
「それじゃ、私そろそろ行くね」
そう言って、彼女はこの場を立ち去る。そこで俺は、麗美が手洗い場からまだ出て来ないのが気になり、多少離れた位置にいる向日葵を呼び止めて尋ねた。
「なぁ。中にいた奴まだ出てきそうになかったか?」
手洗い場を指差し、そう尋ねる。すると彼女は怪訝な顔をし、視線をやや上に向けて記憶をたどるように少し思考した後、口を開いた。
「うん? いや、中にはもう誰もいないと思うけど? まぁ、私が気づいてないだけかもしれないけど」
「ん。分かった。ありがとな」
俺は彼女の答えに例を述べると、彼女に向かって手を振る。彼女も手を振り、出口に向かっていった。やがて彼女が見えなくなると、手洗い場から声がした。
「おまたせ〜」
麗美が出てきたようだ。俺はその声に返事をしようと振り返る。すると突然、眩暈に襲われる。目眩はあっという間に引いていった。疲れているんだろうか? 家に帰ったらゆっくり眠ることを心に誓う。
次に彼女が目に付けたのはアクセサリー屋だった。彼女に呼ばれて中に入ったものの、やっぱりこういう女性向けの店に居るのは少し恥ずかしい。周りから奇異の目で見られている気がしてしまう。俺は周りに気を配りながら、彼女についていった。
少し行くと、彼女はその場で立ち止まりディスプレイを眺める。彼女の視線の先には、ペンダントがあった。装飾はあまり派手ではなく、ルビーの周りに少しあしらってある程度だ。彼女はそのペンダントを食い入るように見ている。
「これが欲しいのか?」
「え? で、でも、ちょっと価格がね……」
値札を見ると、値段は四千円と少し。少々値は張るが、お年玉等を使えば買えるレベルだ。彼女はその微妙な値段で、買う決心がつかないようだ。俺はため息をついた後、店員を呼び止める。俺は彼女の見ていたペンダントを指差す。
「これ下さい」
それを聞いた店員は俺をレジへと案内していく。彼女は呆気にとられた様子で、押し黙っている。店員が少々お待ち下さいと言って奥に行ってしまうと、彼女は小さな声で俺に何でと尋ねてきた。俺はどう答えたら良いか分からなくて、何も答えなかった。店員がレジに入り、俺にこう聞いてきた。
「誰かへのプレゼントでしょうか?」
思考が停止する。顔が熱くなるのを感じる。しどろもどろになりながらも、俺は店員にどういう意図があってそんな事を聞いているのか尋ねた。
「プレゼントということでしたら、プレゼント用の包装を行うことになっているのです」
そう説明されたが、それにしても本人の前でそんなこと聞かなくても良いだろうに。と心の中で悪態をつく。結局、俺はそうだとは言えずに普通の包装で買った。
その後、麗美と一緒にショッピングモールの出口に向かう。次の場所に向かうそうだ。
その途中、服のコーナーにある鏡に俺の姿が映ったのをちらりと見る。鏡に映る俺の姿は、彼女の物とはまるで違うボサボサの黒髪に、大して格好良くもない冴えない男の姿だった。
俺は彼女にどう考えても不相応だ。カップルに見えるかなんて、そんなことは絶対にない。もしかしてそう見えてるかも、なんて考えるなんて馬鹿みたいだ。それに今まで入った店の店員だって、俺たち二人について何も言及しなかったじゃないか。
そう考えると、胸が小さくズキリと痛んだ。
* * *
自転車に乗り、彼女に言われた通りに進んでいく。そうしている間に日は沈んでいき、目的地に到着した頃には空が赤色に染まっていた。到着した目的地を見て、俺は驚いた。
そこは神社だった。ここは確か彼女の家だったはずだ。何でわざわざ俺に自転車で来させたのだろうか?
最初その理由が分からなかったが、神社から音が聞こえてきて分かった。そういえば、今日はこの神社で祭りがある日だった。もしかして、彼女は俺をここに連れてくるために今日の約束をしたのかもしれない。
そんな事を立ち止まって考えていると、彼女はいつの間にか階段の中腹にある広いスペースまで上りきっていた。
「何やってんの? 早く行くよ!」
彼女は大きな声でこちらに呼びかける。俺は返事をして階段を登り始める。中腹のスペースまで着いた所で、俺は先ほど買ったペンダントを自転車のカゴに置き忘れているのに気づいた。
俺はくるりと向きを変え、階段を早足で下りる。それがまずかったのか、俺は階段を踏み外してしまいそこから転げ落ちる。
* * *
「痛っつー」
気がつくと全身を痛みが襲う。あまり高いところから落ちなかったのが、不幸中の幸いといったところだろうか。頭が少し痛むが、それほど重症ではなさそうだ。体を起こして視線を上げると、が階段の上から駆けてくる。
「ケンちゃん、大丈夫?」
すぐ目の前まで来ると、彼女は心配そうに俺を見てそう言った。俺が大丈夫そうだと気づくと、彼女は安心したようにほっと息をついた。そのすぐ後に、まだ地面に座っている俺の腕を掴んで引っ張る。
「ほら、早く行こう?」
俺は立ち上がると、彼女に連れられて階段を登っていった。
* * *
階段を登りきると、そこにはたくさんの出店が並んでいた。しかし、彼女はそれらを一切気にせず進んでいく。
着いたのは神社の本殿だった。彼女はそれの通路に俺を座らせる。
「大丈夫? ちょっと休んでて。飲み物持ってくるから」
そう言うと彼女は、出店のほうに駆けていってしまう。俺は一人で神社に取り残されてしまった。
そういえば、前もこんなことがあったような気がする。あれは四年位前で、俺たちが迷子になったときだ。
あの時は、彼女に連れられて母さんたちを探したっけ。彼女は狼狽している俺に、私がついてるから大丈夫と元気付けられていた。我ながら情けないな。
その後、階段のところで待っている親を見つけたんだ。それで、実は彼女も心細かったのか俺より先に駆け出した。そして…………あれ?
俺の頭の中に、あの光景がフラッシュバックされる。赤く染まる地面、その赤に沈む彼女の髪。そんな筈はない。そんな筈ないんだ。
そこに彼女が戻ってくる。彼女は満面の笑みでこちらを見ている。俺は、うろたえながら疑問を口にする。
「お前は……誰だ?」
「何言ってるのケンちゃん。私は須藤麗美よ。四年前にここに一緒に来たじゃない。あの日の約束を果たしに来たのよ」
彼女は淡々と喋る。俺はその場に居るのが恐ろしくなった。彼女の脇をすり抜け、出口へと向かう。途中にあったはずの出店は、いつの間にか跡形もなく消えていた。鳥居をくぐり、階段に着く。視線を下に向けると、おかしな光景が広がっていた。
階段の下には赤が広がっていた。
落ちたのは低いところから。本当に?
足を自分で踏み外した。本当に?
ここに来る約束をしていた。本当に?
俺が階段の目の前で立ち竦んでいると、誰かの手がそっと視界を遮った。
「大丈夫。私が居るよ。一緒に居るよ。これから、ずっと」
頭がずきりと小さく痛む。そうして、俺は全部忘れた。
終
あとがき
皆さん、おはこんばんにちは。付月です。この作品は今回の企画で書いたものです。それでは一言言っておきます。
――私には純愛なんて書けない。
という訳で皆さんの期待を、いい感じに裏切ってみました。さて、このあとがき。書いてる時間がかなりやばいので、簡単な説明だけで終わらせていただきます。
まず今回の企画の肝であるタグですが、私に回ってきたのが、
「ホラー」、「ダメ人間」、「片思い→ヤンデレ」。最後のどういう事だよ。この結果、幽霊要素でホラー。主人公のヘタレ(?)でダメ人間。ヒロインで、ヤンデレしました。え? 片思い? そんなの知らない。
こんな感じなので、今回の作品が純愛にならなかったのは、主に最後のタグの所為であり、私には何の責任もないのです。……嘘です。ごめんなさい。書いてるのが深夜なのでテンションがおかしいですね。
さて、そろそろ、お暇させていただきます。呼んでくださりありがとうございました。付月でした。