あらすじ
一九二八年 十月
大日本帝国陸軍中尉、佐藤 恭一郎は陸軍中尉、日疋 肇と共に第五十六聯隊、別名独立実験聯隊へ教官として配属された。配属先の研究所は癖のある上官や女性士官、終いには子どもまでいる理解しがたい環境だった。そんな中、恭一郎は初の水練中に事故を起こしてしまった。その直後、追い打ちをかけるように実家から帰れと電報が届く。
登場人物
指揮官
新垣 喜一 中佐 名目上第五十六聯隊隊長、不在が多い
エレン・マーティン 中佐 研究所の所長 実質的な聯隊長
マーク・トレイター 少佐 研究員 エレンの補佐を担当する
小隊長
佐藤 恭一郎 中尉 第二小隊隊長 実家から勘当されている
日疋 肇 中尉 第一小隊隊長
隊員
シンシア・マーティン 中尉 元空挺部隊 施設内をまとめている
カーレッジ・マーティン 少尉 シンシアの血の繋がっていない弟
ライラ・ライラック 曹長 元騎兵科 トビアスの実の姉
イーナ・マーティン 伍長 元衛生科 シンシアの妹的存在
トビアス・ライラック 二等兵 通称トビー 入隊したての新兵
その他
ルーツィア・マーティン 施設内の子どもの一人
佐藤 源一郎 恭一郎の父 元陸軍中将
5.しつこい奴ら
一九二八年 十月 五日
まだ昼食の時間、基地の外で海を眺めながらパンをかじる。
なんて言いまわしをすると、多少ハイカラな感じがするかもしれないが実際そんなしゃれた光景ではない。
本当は黒くて堅い、味も素っ気もないパンを坊主頭にシャツと長ズボンのむさ苦しい陸軍士官が、いかにも詰まらないという顔で一人パンをむしゃむしゃ頬張っているのだ。あまりいい絵とは言えない。
この場所は北の山を背にして廃棄された造船所が建っている。造船所は海側に開いており、我々の本拠地にあたる基地改め研究所はその地下に位置していた。
ではなぜ私がこんなところで、こんなまずいパンを食いながら、こんなことになっているかというと、それは早朝訓練の直後まで遡る。
* * *
午前六時
朝一番の着任後初訓練で失態を犯した私は、カーレッジに叱咤された後、空元気を出して午前の訓練予定を見直した。
部屋の隅にある椅子に腰かけて鉛筆を取った。取ったはいいが何だか一人の部屋というのはなんだか落ち着かない。ソワソワと貧乏ゆすりをしながら考える。
午前の訓練で分かったことは部隊員の能力の差が激しいことである。特にトビーは素人に毛が生えた程度で、基礎ができていない。
そのため基礎体力向上の訓練を中心に予定を作った。
実は午前の訓練は外地にいるときに兵や下士官の間で流行っていた遊びをそのままやってみたのだが、まさか溺れるとは思っていなかった。
もちろんトビーにも面子というものがあるから言うつもりはないのだけれど……
そんな様なことを考えていると、不意に扉からノックの音と無駄に元気なイーナの声が聞こえた。
「朝ごはんですよ、中尉!」
扉を開けると、そこにはタンクトップ姿のイーナと腰ほどの高さの少女がこちらを見ていた。少女はバスケットを抱え少しおびえたような視線を私に向ける。
この研究所内にはなぜかあり得ないほどの子どもがいる。歳や人種は様々だが、共通するのは名前には部隊長のエレンと同じマーティンという名前がついていることだ。あまりに不可解だったので何故かと訊くと、訊くなと突っぱねられ、終いには二度と訊くなと念を押された。
軍では知らぬが仏という言葉がそのまま適応されてしまうに等しい。要らぬことを知ろうものならば、あわよくば仏になりかねないのである。
そんなことはともかく、少女には見覚えがあった。確か着任後、最初に見た子供だった気がする。
確か名前は……
「ほら、ルーツィア。中尉にパンを渡して」
彼女のバスケットの中には、黒くて堅そうな何かが入っていた。傍から見たら石炭か石にしか見えなかったが、ここでは当たり前の主食なのだ。
ちなみのこの研究所内の食事はパンが配給されるだけであとは自分たちで何とかする。といっても食材は何日かに一度どこからか届くコンテナに入っているものだけで、しかもエレンに書類を通してからしか受け取れない。
小さい子や料理ができないやつは他の誰かに頼んで作ってもらったりと、いろいろな決まりはあるらしいが私は二日前に着任したばかりか、軍の生活に慣れているせいで料理もできない。私はこの二日間、この石炭みたいなパンしか食べていないのだ。ちなみに味は炭をなんとなく小麦と水で混ぜ合わせたような感じだ。要は激しくまずい。炭を食っているようなもんだった。
ルーツィアから差し出されたバスケットから炭、もといパンを受け取り頭を優しく撫でてやった。すぐにイーナの後ろに隠れてしまった。
「こら、ルーツィア失礼じゃないの」
「いや、構わないさ。見知らぬ者を怖がるのは当たり前だ」
すると、イーナが部屋の中を覗き込みながら言った。
「あれ、中尉はパンしか食べないんですか」
「あれがパンならいいのだがな……」
「え、何か言いましたか?」
パンについては言ってはいけないようだ。
「いや、私は料理をしたことがないのだ。今まで食事は出てきたものを食べていたからな」
「え、もしかしてその炭みたいなパンしか食べてないんですか? 体壊しちゃいますよ」
「なんだ、君も炭みたいだと思っていたんじゃないか、言っちゃいけないと思って遠慮したんだぞ」
「そのパンがまずいのはみんな知ってます。だから他の物食べるんですよ。それに料理ができないなら私が何か作ってあげましょうか?」
その突然の提案に一瞬胸が躍ってしまったが、甘えるわけにはいかないと思い断ることにした。
「いや、気持ちはありがたいが大丈夫だ。甘えるわけにはいかない」
「大丈夫ですよ、私いろんな子たちのをいっぺんに作ってるんで。それに軍隊は助け合わなくちゃですよ」
結局その言葉に反論できずイーナはスープを押しつけて帰ってしまった。その後はなんだか少し惨めな気持ちでスープをすするのだった。
午前六時三〇分
トビーに早朝の訓練の謝罪をするために医務室へ向かっていると、突然放送でマーク少佐の部屋へ呼び出された。
おおよそ呼び出された理由はわかる。早朝訓練に対するお叱りだろう緊張しながら扉を三回ノックする。
返答があったので中に入るとエレン中佐とマークが抱き合っていた。
あまりの光景に終始呆然としていたが、すぐに我に返り敬礼をした。「おはよう、ございます」
マークはエレン中佐を引きはがしながら、おはようと返答した。
「なに、私たちの顔に何かついてるかしら?」
いつも通りにしていたつもりだったが、中佐には私の目線が気になったようだ。
「い、いえ。お二人はそういうご関係なのだと思いまして」
そういう関係とは要は愛人とか妾とかそっちの方の関係である。
「そういうご関係も何も、夫婦なんだから別に普通でしょ」
「え……」
後に続く言葉もなければ、開いた口もふさがらなかった。
この研究所では常識が通じないどころか、今までの固定概念から何から木端微塵に吹き飛ばされっぱなしだと思う。
また一から己の価値観を見直す必要がありそうだ。
「それはともかく、早朝訓練のことについてだが……」
やはり早朝訓練についてだった。
「トビーについてはすまなかった、あいつが訓練不足なのはわかっていたんだ」
私はもう驚かなかった。普通は指導力不足を指摘されるものだが、逆に謝られた。
「君に任せた隊員たちは普通に見えて実は一癖も二癖もある者ばかりだ。未熟な者も多い。だがそんな彼らだからこそできることもあるのだ。どうか見捨てないでやってほしい」
「そんな、私の指導力不足です。彼らの個々の能力を推し量れなかった私に責任があります」
なんだかんだ言って自分の非を自分で認める形になってしまった。しかも見捨てないでほしいとお願いまでされる。
「ところで佐藤中尉、実家に帰らなくて大丈夫かね?」
マークが言っているのは早朝に届いた電報のことについてだろう。
内容は――チチキトク スグニカヘレ――
送ってきたのはおそらく妹、親父がこんなもの送ってくるはずがない。マークやエレンはおそらく検閲でこの内容を見たのだろう。
危篤ということは死にかけているんだろうが、家に帰るつもりはない。親父がくたばろうが、もう俺には関係ない
「お父上が大変みたいじゃないか、外出届は渡したはずだぞ。帰る準備はできたのか?」
「いえ、私は帰省する気はありません。それに休日以外での外出は軍法によって禁止されています」
「今回は特別に許可するとエレン中佐も言っている。それに君のお父上はあの佐藤中将だろう?」
まただ。軍関係者となれば、ほぼ必ず親父の名前を出す。親父の名前を出されるのは昔から嫌いだった。いつも私に向けられる不特定多数の過大な期待と嫉妬。親の七光りと言われたこともある。
そうではないと証明するために一人で家を飛び出し、自力で士官学校に入ったのだ。
「いえ、私は既に家を離れ、一軍人として自立していますので」
「親の死に顔くらい拝んで来いって言ってるのよ」
口を出したのはエレン中佐だった。
「親とどんな確執があるか知らないけど、せっかく特例で許可出してんだから行きなさい。許可印押した書類はもう持ってるでしょ」
おそらく早朝マークに渡されたものだ。
「いえ、確執などありません」
「じゃあなんで、そんな顔してるの?」
エレン中佐は首をかしげる。今私はどんな顔をしているのだろう。きっとひどい顔だろう。
「何も言わないとわからないわ」
「すみません」
エレンは大きくため息をついた後に、
「もういいわ、今日一日考えて答えを出しなさい」
と言い放ち私は部屋を追い出された。
何も言い返せなかった自分に不甲斐無さを感じながらも、私は訓練の準備に向かった。
午前六時五五分
第二小隊の訓練は早朝訓練、午前訓練、午後訓練と必要に応じ夜間訓練と休暇を挟む。
そして着任初の午前訓練、集合の五分前に集合場所に来ると訓練服姿で談笑する二人の姿があった。トビアス・ライラック二等兵とイーナ・マーティン伍長だった。
「おい、もう大丈夫なのか?」
こちらに気付いたトビーと話をしていたイーナはニッコリと笑って敬礼した。
「早朝訓練の時はすまなかった。もう大丈夫なのか?」
「はい、少し水を飲んでしまっただけですから」
トビーは何事もなかったように言った。
「伍長もスープをありがとう。うまかったよ」
イーナも頭を掻いてあからさまに照れながら、気にしないで下さいと言う。
「それに、なんだか他人行儀なので名前のイーナで呼んでください。私たちはちゃんと敬語を使いますから」
こういう時に本当にいい部下を持ったと思い知らされる。外地にいるときに風の噂で気の荒い兵が暴れたり、問題を起こしたりと聞こえてきたりしたが、この部隊でそれは取り越し苦労のようだ。
「もうすぐ訓練を開始するが、他はどうした?」
「あ、それは――」
急にイーナとトビーは言葉を濁した。
「あの、もうすぐ来ると思うのですが――」
「思うがどうした?」
話を切り替えた途端、二人は視線を合わせないようとしなくなった。
歯切れが悪く間違いなく何かを隠していた。
「実はシンシアが……」
「放せえ! 嫌って言ってるでしょ!」
二人の言葉をなぎ倒すように聞こえたのはシンシアの怒鳴り声だった。
「だからまだ分からないでしょうが! わがまま言ってないで行くわよシンシア!」
「姉さん、へそ曲げるには早いよ」
基地の入口から現れたのはライラとカーレッジに引きずられるシンシアだった。必死に抵抗しているが、さすがに二人係では敵わないようだ。
「いったいどうしたっていうんだ」
「実は早朝訓練の後から、ずっとこの調子なんです。もうあいつは信用できないって」
イーナは肩をすくめる。
なるほど、うちの部隊にも荒くれ者の問題児はいたようだ。
「自分は気にしていないのですが……」
トビーは苦笑いをするだけだった。
こうして一人は引きずられながらも、部隊員全員が集合した。
観念したのかシンシアは二人を荒っぽく振りほどくと、私と向かい合い私を睨みながらビッと指差し、
「私はあんたのことなんか、絶対に認めないからね」
堂々と宣言した。
溜息をつくまいと我慢したが、やっぱり溜息は出てしまった。
「阿呆が」
「なに! ケンカ売ってるの!」
つい口を衝いた言葉にシンシアは激怒した。こっちの台詞だ、と言いそうになって止めたのだが、別のことをつい言ってしまった。
「それになんで同じ階級なのに従わなきゃいけないのよ」
「指揮権が私にあるからだ。それに文句があるなら私ではなく、エレン中佐に申告してくれ」
「なんでママはこんな男を小隊長にしたのかしら」
「ん、今ママと言ったか?」
「姉さん! 混ざってる混ざってる、中尉の前だから」
「うるさいわね! 今そんなことはどうでもいいのよ。それよりアンタ! 私は絶対にあんたの命令には従わないからね!」
絶対にそこは譲らないようだ。しかし、私もここまで言われては反論しないわけにはいかない。
「確かに午前の訓練は私にも悪い部分はあった。反省している。だが命令には従ってもらわないと困る」
シンシアはもう面倒くさいと叫ぶと思い切り拳を振り上げてきた。避けることも受け止めることもできたが、あえて何もせずに拳を受けた。
拳は頬を直撃し、思わず一歩下がってしまった。一歩も動かない自信があったが、想像以上に腰の入ったいい拳だった。
「いい拳だ」
「気持ち悪いのよ!」
シンシアはそう吐き捨てて去って行った。
「なぜあそこまで怒るんだ?」
「姉さんは家族が大事なんですよ」
そう言ったのはカーレッジだった。
「姉さんにとってはこの研究所の仲間、みんなが家族ですから」
だからトビーが危険な目に合って腹が立っているのだという。
シンシアという女は、根は優しいが不器用なせいかあんな風な接し方しかできないのだろう。
「確かにトビーには悪いことをしてしまったと反省している」
「そんなことはありません。決して隊長だけの責任ではありません」
今まで黙っていたライラが口を開いた。
「トビーの訓練不足は皆知っていましたし、トビーを水中から引き上げられなかった私にも責任はあります」
ライラはシンシアとは真逆の印象を受ける。理性的で物事を冷静に判断できる指揮官タイプの人間だ。
「しかし、驚きました。隊長は相当腕力がおありのようですね」
「そうでもないだろう」
「いえ、私は水中で土の入ったリュックを抱えながらトビーを引き上げられませんでした。トビーはあの体躯ですから体重も百キロを以上あります。私はそうでもないですが、二人いっぺんに引き上げられるなんて……」
「訓練すれば私ぐらいには誰でもなれるさ。まぁいいだろう、中尉にはまたあとで個別に話でもする。準備運動から始めるぞ」
午前の訓練はシンシア抜きで行われた。長距離のランニングと筋力トレーニングの繰り返し。とりあえずは二週間この訓練内容を続けることで基礎体力を養う、と部隊員にも訓練の意図を伝え訓練は円滑に終了した。
「午前の訓練はこれで終了。午後の訓練は十三時三十分からとする。以上、解散」
部隊員たちが基地内に戻る中、イーナが申し訳なさそうな顔で近寄ってきた。
「佐藤中尉、先ほどはシンシアが失礼しました」
「イーナが気にすることじゃないさ」
「彼女も悪気はなかったと思うんです。昔から、口より先に手が出てしまう性格なので」
まるで自分のことのような顔をするイーナ。
「なぜ君はそこまで彼女を擁護するんだ?」
「やっぱり、かけがえのない家族なので……」
「家族か……」
家を離れてからはや五年、離れたというより勘当されたのだが、先ほどの電報の件もある。やはり帰るべきなのだろうか。
「そんなことより、埋め合わせをさせてもらえませんか? あの、医務室まで……」
イーナはそう言って私のシャツをそっと握った。
* * *
「はい、できました!」
イーナは医務室で殴られた頬に湿布を貼ってくれた。
「悪いな、こんなことまでしてもらって」
「気にしないでください、衛生科ですし」
イーナは楽しそうにニッと笑う。
「あの、私がこんなこと言って良いのか、分からないんですけど……」
湿布の箱を棚に戻しながら背中を向けたまま、イーナは声のトーンを変えた。
「ご実家に帰られるべきなのではありませんか?」
「なんだって?」
イーナの口から飛び出したのは思いもよらない内容だった。
「すみません、お気に触ったのなら撤回します」
「いや、別に怒っているわけじゃないんだ。ただ、なぜ君がそのことを知っているのかと思って――」
「実は少佐に佐藤中尉を帰らせるように仕向けろ、と言われてしまって。お父上がご危篤とか」
犯人はマークのようだ。あの男も気持ちは分かるが、お人よしが過ぎる。これは私個人の問題なのに――
「でも、強制されたわけではないんです。私が少佐と同じ立場だったなら、上官命令を使ってでも帰らせたと思います」
「なぜそこまでして、私を実家に帰らせようするんだ?」
「ここにいる子どもたちは私を含め、全員が戦争孤児なんです」
そう聞いてハッとした。ここにいる子どもが戦争孤児?
「小さい子ばっかりでしょう? 先の戦争で出た孤児で、みんな親が目の前で殺されたり、顔すら知らない子もいます。だから、その……」
イーナが言いたいことは痛いほど伝わってきた。
「すみません、私余計なことを」
「いや、分かった」
なるほど、トビーやカーレッジがそれに近い境遇だということはカーレッジから聞いていたが、この施設にいる全員、身寄りがないということのようだ。
それならイーナのあの態度も頷ける。逆になんだか申し訳ない気持ちになってしまう。
「ありがとう。ではまた」
さりげなく、礼を言いながら部屋を後にした。
部屋に戻る途中人の気配を感じ、気になって行ってみるとそこは畳の敷かれた道場だった。こんなものまであるのかと思っていると、気配の正体に声を掛けられた。
「ん? 佐藤中尉じゃないか、まだ基地内にいたのか」
「なんじゃ、佐藤。まだおったのか?」
そこにいたのは柔道着姿の新垣中佐と日疋だった。
「休憩時間に中佐殿からお呼びがかかってな、ちょっと柔道をな」
新垣は体がなまって仕方ない、と笑う。
「佐藤、おまえ実家に帰ったんじゃないんか?」
「私はもう帰ったと思っていたぞ」
「誰から聞いたのですか」
予想はできたが一応訊くことにした。
もちろんマーク・トレイターの名前が挙がったのは言うまでもない。それも含め自分は帰らないという意思を伝えると、
「何を馬鹿なこと言ってるんだ! お前それで後悔しないんか? 親の死に顔くらい看取んとどうするんだ、この親不孝者が!」
ブチ切れたのは日疋だった。
「だがわたしは、今勘当食らってる身なんだ」
「電報で帰ってこいと言われたんだろ? つべこべ言わんとさっさと帰らんか!」
新垣はしばらく静観していたが、ゆっくりと口を開いた。
「私も帰るべきだと思うな。君が不在の間は何とかしよう。別に強制するわけじゃないが、行くなら安心していってきなさい」
そう言うと新垣はいきり立つ日疋を連れて道場を去った。
* * *
そして、冒頭に戻るわけである。
パンをかじりながら考える。
やはり帰るべきなのだろうか? 今日一日、部隊全員から帰れと言われ続けている気がする。あのお節介少佐にここまでお膳立てされてしまうと、もう帰らないわけにはいかなくなってしまっている。
仕方がない、もうここは腹をくくって実家に帰るしかない。傍から聞いたらまるで離婚寸前の夫婦の一コマみたいな台詞だ。
午後になったら帰る支度をはじめようかとか、帰りの汽車の代金とか考えながら、まずいパンをかじり海を仰ぐ。
「ねぇ、アンタ」
声の主はシンシアだった。
「上官に対する口のきき方ではないな」
シンシアはムッとしながらも頭を下げた。
「さきほどはもうしわけありませんでしたごめんなさいもうしません」
息継ぎどころか言葉の節すら無視して一息に棒読みした。
「謝る気ないだろ」
「もういいじゃない、今休憩時間だし」
勤務時間外は敬語使わなくて言い訳なじゃいのになぁ。
「敬語はどうした、敬語は?」
「アンタって歳いくつなの? 私は二十一よ」
シンシアは私の言葉は気にも留めず、話を強引に進めてくる。
「二十二だ」
きっとここで答えてはいけなかったんだろうと、後に私は思った。
「なんだ、一つしか違わないじゃない。じゃあ呼び方はキョウ良いわよね。いちいち中尉とかつけるの面倒だし、階級も同じだし」
この女といると溜息が尽きない、と改めて思った。
「あと、帰らなくていいの? 少佐がなんかそんなようなことブツクサ言い回ってたけど」
どいつもこいつも同じことを言いやがる。
「親父さん死にかけてるって聞いたわ」
今までの誰にもないふてぶてしさだった。
「なんで帰らないの?」
「五年前に親父に勘当されたんだ」
「本当にそれだけ?」
そしてこういう奴に限って勘が鋭い。
「確かに、それだけじゃない。いろいろ親子で行き違いがあってね、気が重いだけ、気持ちの問題というのは分かっている。だがどうにも一歩が踏み出せないんだ」
「じゃあ私が行くわ」
「なんだと!」
どんな返事が来るかと思ったが、あまりにぶっ飛んだ返答に開いた口が塞がらない。
「あなたのお父さん元陸軍中将だっていうじゃない。興味あるのよね一軍の参謀がどういう人物か」
「見世物じゃないんだぞ」
「じゃああなたが行けば?」
誘導尋問という奴だろうか、完全に会話の主導権を握られてしまっている。
「わかった、帰ればいいんだろ、帰れば!」
こうして私は実家への帰省が決定した。
あとがき
憾
そんな名前のクラシックの曲がありました。はい大好きです。
最近後輩のお下劣度の急上昇に頭を悩ませています。あわよくば下ネタを挟んでくるこの後輩、殺しても構わないんですかね?
今回も原稿の提出期限が大幅に遅れてしまいました。編集さんごめんなさい。もっと苦しめ。
続モノなのにかなりグダって来ている気が否めません。次はもっと頑張って書くので勘弁してください。
ではまた