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――これは一人の鬼が語る鬼達の昔話。

 

時代は平安時代。大陸から伝わる文化と、日本独自の文化。二つの文化が混ざり合い、優雅で煌びやかな時代を築いていた。しかし、煌びやかなのは京を中心とした地域だけで都を離れればそこはまだ未開の地。少し北に進めばまだ開墾すらまともにされていない田舎だった。そんな場所で俺は生まれた。

 

 物心のついた頃から、俺は寺で暮らしていた。両親の顔は、記憶の中には存在していない。なぜなら、俺は親に見捨てられた子供だったからだ。

 自分の境遇を苦に思った事は無い。そもそも捨て子なんて珍しいものでも何でもなかった。飢餓に貧困、口減らしのために親が子を捨てるなんて事は、日常の出来事だった。

 ただ、俺の捨てられた理由はそれとは別の理由があったことを後に知ることになる。俺を育ててくれた寺の和尚が、ある日こんなことを教えてくれた。

「普通、子供は十月十日で産まれてくるものじゃが、お前は母親の胎内に十六カ月も居てな。しかも、産まれた時には歯が生え揃っており、自らの足で立ち上がったのじゃ。お前の両親は気味悪がって、私に預けたのじゃよ」

 もちろんそんな事、ちっとも覚えていない。怪訝そうな表情を浮かべる私に、和尚は続けてこう言った。

「釈迦十大弟子の一人、ラーフラ。あのお方は母君ヤショーダラーの胎内に三年六カ月も居たと言われておる。お主も彼等の様な特別な存在に違いない筈じゃ」

 この話を聞いて、二つ理解出来たことがある。まず、どうして修行僧でもないのに文字の読み書きなどを俺に課していたのかという疑問。和尚は俺に歴史に名を残すような人物に成長して欲しいのだろうということ。

 そしてもう一つ。やはり俺は捨てられていたのだ、という現実。それまでは、いつか両親が俺を迎えに来てくれるのではないかと心の底で思っていた。それだけに、気味悪がられて捨てられたのだという現実は俺の心に深く傷をつけた。

 特別な生い立ちなんていらない、自分の名を歴史に残そうなんて思わない。ただ、単純に親と暮らしたかった。

 せめて、大きくなったら好きな人と子を作り、その子だけは何があっても守ろう。子供が成長するまで、ずっと一緒に居てあげよう。俺と同じ悲しみを味わわせる事は、絶対にしない。

 まぁ、こんな境遇とはいえ、結構まともな部類なんだけどな。捨てられた子の末路は、飢えて死ぬか、盗賊になるか、または口に出す事も憚れるようなものになるしかないのだから。寺で暮らすのは色々大変だけど、少なくとも飢えて死ぬことは無かったから、生きて暮らせるだけでも十分まともだった。

 

 しばらく、寺で暮らして気付いた事だが、俺は美少年だった。美少年、と言えば少々自意識過剰の様な気がするけども十人いれば十人振り返る程の容姿をしていた。

 ただ俺にはとても大きな悩みがあったんだ。その悩みっていうのが……モテるって事。

「あの村には、絶世の美少年がいる」

 そんな噂が、行商人を通じて都にまで届いたみたいで俺の周りには常に女の子達が黄色い声を上げていた。農作業をしている時も、寺の手伝いをしている時も、一人でいたい時も。

 とにかく俺は彼女達の想いを、全て断り続けたんだ。仕事が忙しいとか修行中の身だとか色々な理由をつけてね。そういえば一度だけ、「俺は男が好きなんだ。だから君達とは付き合えない」って言ってみたんだけど、逆にあいつら喜んじゃってね。数日後にはそれ目当ての新たな層が周りに集まってしまってね。とんだ誤算だったよ。

 そのうち全てを鬱陶しいとしか感じられなくなってきたんだ。相手にするのも面倒になって何もかも無視し始めた。そのうち興味を持たなくなるだろうと思ってね。でも事態はとんでもない方向に進み始めたんだ。

 村で若い娘の自殺が続いた。

その知らせを聞いて和尚と一緒に葬儀に行ったんだ。悪い予感はしていたんだけど……そこで見たのは私に好意を寄せていた者達の遺体だった。

「こっちを見てもらえないのが辛い」

 そう言い残して皆、命を絶っていったそうだ。

 それからの日々は地獄だった。寺に娘の遺族たちが乗り込んできては口々に俺への罵詈雑言を寺中で叫んでいたのだから。そして数日後、俺は和尚に呼び出された。

「もう、この寺に置いておく事は出来ん」

 まぁ、何となくは察していた。

「今まで、お世話になりました」

それが、俺が育ての親と交わした、最後の言葉だった。

 

***

 

 そんなこんなで寺を追い出された俺は荷物片手に途方に暮れていた。寺から持ち出した荷物を投げて、その場にへたり込んでもうどうにでもなれって思った。先が全く見えないことへの苛立ちと焦燥感、そして倦怠感。何もかも嫌になったその時、俺の目にあるものが映った。

 ばらばらになった荷物の中に紛れ込んでいた、大量の手紙。封も切らずに乱雑に束ねてあったそれは、女性からの恋文だった。

 その手紙が目に入った瞬間、俺の心の中に燻っていたものが一気に爆発したんだ。

 何故、俺がこんな目に遭わなければいけないのか、何故俺だけが悪者扱いなのか。俺は悪くない、悪いのはこんな手紙を寄こした連中なんだ。こっちの気持ちを無視して、好き勝手に惚れて、好き勝手に死んで迷惑をかける。悪いのは俺じゃない、こいつらだ。

 そう思うことで俺は自分の置かれた状況を誰かの所為にした。そうしなければ心が押しつぶされそうだった。そして俺は荷物から火打石を取り出して手紙に火を付けた。手紙をこの世界から消し去ることによって全てを断ち切り、新しい自分に生まれ変わりたかったんだ。

――ここから俺の運命は大きく変わる。

 灰になった手紙から突然『黒い煙』が噴き出した。煙はあっという間に広がり私の全身を包んでいく。俺は逃げようとしたが体が金縛りにあったように動かない。ゆっくりと全身を包んでいた煙が体内に吸収されていく。全身を浸食されていく感覚にたまらず俺は気を失った。

 それからどれだけ時間が経ったのか。俺はいつの間にか道端でうつ伏せのまま倒れていた。起き上がろうとすると頭が少し重かった。足もふらついて上手く歩く事ができない。なんだったんだろう、今の煙は……何が起きたのか理解できないまま、とりあえず顔を洗おうと川辺に近づいた時、俺は自分の変化に気付いた。

 水面に映っていた、自分の姿。頭が重くて当然だった。なんせ、頭から二本の角が生えていたのだから……

 頭からにょきにょきっと生えた二本の角はおよそ二尺はあろうかという程大きく、髪は短めにしていたのに肩にかかるくらいの長さになっていた。犬歯は伸び、良く見ると爪も伸びている。水面に映った自分の姿を最初は自分自身だとはとても思えなかった。川の底に化け物がいるんじゃないか、そう疑った程の変化だった。

 慌てた俺は心の中でこれは一時的な呪いや何かで寺の和尚なら治してくれる、そう考えなりふり構わず寺に向かって走った。

 だがその期待は、一瞬で打ち砕かれた。何処かしこで妖怪が出ただの、人間が食べられただのと噂が広がる度に、怖がっていた人間達。目の前に私の様な妖怪が現れたら、どう対応するか……分かるだろう?

 逃げだすか、集団で追い回すか、そのどちらかだ。

「この村から出て行け、化け物め!」

 どうやら俺の住んでいた村は勇敢な者ばかりだったんだろうな。私を見るや否や、竹槍を持ってこっちに向かって来たのだから。

 かつて一緒に暮らしていた村の子供たち、和尚、村の人達。そして俺に好意を寄せていた若い娘達。全てが俺を恐れ、石を投げ、槍を投げつけた。誰も、目の前に居る有角の妖怪を、俺だとは気付かなかった。

 

山は妖怪の楽園。人の侵す場所あらず。もし侵せば、その者に災いあり。

当時の山には数多くの妖怪達が住んでいた。山にのこのこ入って来る人間がいればそれは悉く妖怪共の餌食。だから、わざわざ山に入っていく人間なんて、どこにもいやしなかった。俺のように、人間達に追われて逃げ込む以外は……

 村の連中に追われて必死に逃げ込んだ伊吹山は、平地の森とは全く雰囲気が異なっていた。まだ昼過ぎであるにも関わらず、森の中は夜の様に暗い。突然吹き抜ける風は、まるで山が呼吸しているようだった。開墾された土地が人間の世界なら、ここは妖怪の世界。いつ、どこから妖怪が現れても、全く不思議じゃない深い闇の世界だった。

 でも、そんな恐ろしげな場所であろうとも、俺は森に入った瞬間に少し安堵していた。追っ手の声が、だんだん遠くなったからね。俺はまだ見ぬ妖怪なんかより、血眼で私を追いかけ回す、見知った顔の方が恐怖だった。追っ手を撒いて、日が沈む頃になってようやく俺は山に立ち入っているという現実に恐怖を感じたんだけどね。

 初めての夜の山は、とにかく怖かった記憶しかない。木々が空を覆い隠して月や星の光も遮っていたし、そこかしこから、がさがさと何かが蠢く音がして、恐怖でどうにかなりそうだった。でもしばらくじっとしていると微かに水の音が聞こえたんだ。水の流れる音がすることに気付いた私は、音のする方向に歩き出した。びくびく、おどおどしながらね。ようやく川を見つけたのは、半刻ほど歩いた場所だったんだ。

 川辺はちょうど木々が分かれていて、月の光がけっこう明るくて、少しだけホッとした。俺は頭から川に顔を突っ込んで水を飲み、ようやく一息ついたのさ。

 それからしばらくの間、俺はその川原で暮らしていた。何処にも行く宛ては無かったし、仮にあってもこんな姿で人前に出れば、きっとまた追い掛け回される。川の近くは食料となる果実や魚なんかも豊富で食べて行く分には困ることは無かったからね。

 

 川辺の暮らしに慣れてきた頃だった。色んな出来事に対する心の整理をつけた俺はそこでようやく、自分の身体能力の変化に気付くことが出来たのだ。その変化を最初に実感したのはそう、熊に襲われた時だった。

 川辺で暮らし始めて、しばらく経ったある日のことだった。川辺で魚獲りをしていた俺は突然、熊に襲われたんだ。熊からしてみれば、馳走に見えたのだろうね。熊に睨まれた時は流石に死を覚悟した。でも、奴の爪は肌に一切の傷をつける事は無かった。いくら攻撃してもびくともしない俺に、熊も驚いている様子だった。最も一番驚いたのは俺自身だったけどね。

 相手の攻撃が効かないと理解すれば、もう怖くは無かった。俺は、熊の懐に潜り込み、腹部にめがけて本気の正拳突きを放った。これで怯んでくれれば、くらいに考えていたその攻撃は思った以上に熊にダメージを与えた。もう二度と起き上がる事は無い程の、深く重いダメージを。

 鋼の肉体、強大な力。妖怪となった俺の身には、一人で生きていくには十分すぎる能力が備わっていた。本格的に自信がついたのは、その少し後。とある出来事が俺の力を覚醒させたんだ。

 

 そいつらは、突然茂みから現れた。人型で、頭部に獣耳を生やした生き物。おそらくは山に住む妖怪の一種だろう。牙をむき出しにして唸りながら、そいつらは俺めがけて襲い掛かってきた。

 妖怪に襲われるなんて初めての事で少し戸惑ったけど、すぐにどうってことはない事に気付いた。そいつらは熊より弱かったからな。俺が首根っこを掴んで全員投げ飛ばしてそれで終わりだった。

 その次の日、雑魚を倒せば最後にボスが出てくる、そんなパターン通り、そいつは俺の前に現れた。

 赤坊主、そう呼ばれた妖怪がこの伊吹山のボスだった。俺の倍はあるかという程の巨躯で、力も強く、妖力で全身に炎を纏っていた。

 とにかくやりにくい相手で、リーチは長いし近付いても炎が熱くてまともに戦えない。こっちは手詰まり状態だった。戦いながら思ったんだ、こいつより大きい体があればなぁ、てな。それが切欠で自分の中に眠る不思議な力に気付けたんだ。

 赤坊主の拳が、俺の体を貫く。奴は勝利を確信してにやりと笑った。でも次の瞬間、俺もにやりと笑っていた。貫かれた体は黒い煙へと変わり周囲に散る。そして数秒後には俺は奴を見下ろしていた。

 

 自分の体の密度を変える能力。まぁ、簡単に言えば体の大きさを変えたり、体の硬度を変えたりする能力。本気を出せば体を素粒子程の大きさにまで散らして煙のようになることも出来る。そんな能力だった。

 

それからの俺は山を転々としながら、強い妖怪達と戦いを繰り広げていったんだ。俺は随分と荒れていたんだよ。鬱憤とした気持ちを暴れることで晴らしていたんだ、修行という名目でな。最初の頃は向こうから襲いかかって来たんだけど、何時しか俺の名前は妖怪達の間で広く知れ渡るようになって、俺が山に入った瞬間には山の妖怪全てが逃げ出す程になっていたよ。

 当時の俺は、酒の入った瓢箪片手に常に酒を呑み続けていた。その姿から妖怪達の間では【酒呑童子】という名で呼ばれるようになっていたんだ。まぁ、酒は倒した妖怪達から無理やり奪って毎日呑んでいたから妙にこの名前を気に入ってしまってね、俺自身もそう名乗る様になったんだ。

 名が知れ渡ってしばらく経った、ある日のこと。一人の女が現れたんだ。

 そいつは遠方から俺の噂を聞きつけて会いに来たのだと言う。そいつは挨拶もそこそこに突如身構えてきた。いきなり攻撃でもしてくるのかと思ったんだけどそいつは笑顔のままで、こう語り出した。

「とりあえず、どっちが強いか白黒つけましょ。話はそれからでも遅くないでしょう?」

 黒色の髪にまだどこか幼さの残る顔立ち。頭上から伸びる角。初めて会った同族は、いきなり喧嘩腰だった。名も聞かぬまま、三日三晩、拳を交え続けて、最後には二人とも精根尽き果てて倒れていた。それが茨木童子との出会いだった。

 戦いの後、俺達はお互いの状況を語り合った。茨木は遠方の村に住んでいた人間で、私と同じ捨て子だったらしい。忌み子として村で差別を受け、追い出され、各地を渡り歩くうちにいつしか姿形がこの様に変貌していた……って本人は笑いながら語ってくれた。最初はやっぱり驚いたらしいんだが、その姿になってからは不思議な力が使えるようになって、むしろ役立つ事ばかりでありがたいとさえ感じているみたいだった。そうそう、茨木の能力は集める力、というもので自分の願ったものを自身の周囲に呼び寄せるものだった。試しに酒を集めてもらったらいきなり小さな妖怪が酒を献上してきてとても驚いたよ。

 そして、酒を飲みながら互いに話しているうちに意気投合して、自分と同じような境遇を持つ茨木は俺にとって最初の同志で、一番の友達になった。

 

 もしかしたら、俺達のような境遇の妖怪はまだ居るかもしれない。そう思った俺達は茨木の能力を使い、それらを集める事にしたんだ。俺も彼女も、口には出さなかったけど寂しさを感じていたからな。あいつが俺に会った時の笑顔は同じ境遇の者に会えた喜びだったんだろうな。

 それから、一人、また一人と、同じ境遇の連中が集まってきた。そいつらはどいつもこいつも一癖も二癖もある連中だったけど、総じて寂しがり屋だったよ。皆と居ることの楽しさと、一人で居ることの辛さ。強大な力を身につけてはいても、元は人間だったんだからメンタルが弱くて当然だったのかもしれないな。そんな連中に、俺は自分に言い聞かせる意味も込めてこう言ってやった。

「細かい事は気にしないでいこうや。酒を飲んで暴れて、楽しもう。大丈夫だ、俺達は互いを裏切らないし、嘘もつかない。これからはみんな一緒さ」

 いつからか、山には多くの同胞たちが集まって来ていた。その噂は妖怪の間だけでなく、人里にまで響き渡って、恐れられていたよ。だから私達は自分達の種族を鬼と名乗る事にしたんだ。どの妖怪よりも恐ろしく、強く、悪で、豪快。そんな意味を込めてな。山に住み着いて数年経つ頃には私たちの住む伊吹山は鬼の山と呼ばれるようになっていた。

 

***

 

 ――あいつと最初に出会ったのは、中秋の名月が空に浮かぶ、秋の夜だった。

 雲ひとつ無い空に、満月。その輝きは、周りの星の輝きすら奪うほど、静かに輝いていた。月光が世界をまるで昼間のように照らす。篝火を灯さぬまま、俺達は年に一度の名月を、月光酒と共に楽しんでいた。

 そんなドンチャン騒ぎの最中だった、あいつが現れたのは。

 当時、俺は自分の肉体の一部を霧状にして、常に周囲に拡散させていた。簡単に言えば霧状の小さい俺を見張りとして周囲に配置していたんだよ。そしたら鬼の山に、こんな夜中にわざわざ侵入してくる、珍客の姿を見つけたのさ。

 そいつは瞳に涙を浮かべていた。顔は泥だらけで、服は擦り切れてボロボロ。草履も履かずに、険しい山道を、上へ上へと進んでいる。十にも満たないであろう体躯に不釣り合いなほど長い金色の髪を引きずり、額から生えているのはこれまた不釣り合いなほどの大きな赤い角。幼いとはいえ、そいつは間違いなく鬼の姿だった。

「何かあったの?」

 酒を飲む手を止め、侵入者に警戒していた俺に、茨木が声をかけてきた。

「あぁ、何か来たみたいでね」

「へぇ。味方?それとも……敵?」

「わからないね、ちょっと行って確かめてくる。あんたらはここで呑んで待ってな。すぐ戻るよ」

「任せるわ。大丈夫だとは思うけど、一応気を付けてね」

 心配性の茨木を横目に俺は体を煙に変え、侵入者の元へと向かった。

 ま、色々考えたけどそいつが悪意ある侵入者だったら倒せばいい。もし同族の鬼であっても、問答無用で襲い掛かってきたら迎え撃つだけさ。こまけぇ事はいいんだよ。

 そんなことを考えながら俺はそいつの前に現れた。煙から体を形成する様はまるで闇の中から突如現れた様に見えただろう。突然目の前に現れた俺の姿を見てそいつは、「きゃっ」と可愛らしい悲鳴をあげて、その場に尻もちをついた。

「この山に何の用だい?ここは我々鬼の住む山。みだりに立ち入ると……お、おい。どうした?」

「う……うぅ、ひっく……」

 そいつは、俺を見て突然泣き出した。突然現れたからびっくりさせてしまったのかもしれないけど、泣くとは。しまった、どうしよう。

「驚かせてごめんよ。別に取って食いやしないから安心しな」

 なんとか泣き止むよう優しく接してみるも、こいつは一向に泣き止まない。結局俺はそいつが泣き止むまでの間、取り繕ったような笑顔で優しい言葉をかけ続けるしか出来なかった。うん、実に俺らしくない。

「ひっく……そ、それ」

 ようやく泣き止んだと思ったら、そいつは突然、俺の角を指差してきた。

「角が珍しいのかい? あんただって、同じのが生えているじゃないか」

「同じ、同じだ!」

 今まで、泣いていたのが嘘だったのかのような笑顔。その笑顔は太陽のようだった。そいつは喜びの表情のまま、俺の足にしがみ付いて来る。その衝撃で奴の頭の角が俺の太ももに刺さった! すごくいたい!

「誰かがずっと、私の事を呼んでた!」

「あ、あぁ。そうだね、確かに集めたのは俺達だけど。ちょ、ちょっと離して」

「やっと会えた、やっと会えたぁ!」

 そいつは、ますます力を込めて俺の足にしがみつく。もう、離さない、そんな感情が両手から伝わってくるのを感じた。

 まぁ、そのせいでさらに角が太ももに食い込んできて、痛い。無理やり引き剥がそうとしたけど、小さいながらも流石は鬼。簡単には引き剥がせなかった。

 

「おかえり、遅かったわね。なにそれ?」

 結局、俺は足をこいつに貫かれたままの状態で、皆の居る所に戻った。妙な状況に、今まで酒を飲んでいた周りの鬼も集まってくる。そいつらの顔を見て、俺の腿にしがみついていたこいつはさらに瞳を輝かせて、「みんな角がある、すごい!」と、連呼していた。

「すごいって、あなたも角持ちじゃない。なに、侵入者ってこの子?」

「あぁ、そうだよ。引っ付いて剥がれやしないから、そのまま連れてきちゃったよ」

「へぇ、随分小さい鬼ねぇ」

 茨木が頭を撫でてやると、こいつはますます瞳を輝かせ、笑顔になった。その仕草を見て周りの奴らも顔が綻んでやがる。ってか、なんで誰も俺の足が血まみれな事に気付かないんだろうねぇ?

「おおぉ、新しい仲間じゃ、こいつはめでてぇ」

「ほら、酒呑さまの足にひっついてないで、こっちにおいで。一緒に呑もうや」

 結局、こいつらは酒の口実になるなら何でもいいんだろう。まだ年端もいかない少女に酒杯を渡すと、奴らは躊躇いもなくそこに酒を注いだ。

「ほれ、呑め呑め」

「う、うん。いただきます」

 ぐいっと一気に杯の酒を飲み干すと、そいつは一瞬で顔が赤くなった。

それなのに周りの鬼共ときたら、良い呑みっぷりだ気に入ったと何度

も奴の杯に酒を注ぐ。すると、そいつの顔はますます赤くなっていった。              

妙な侵入者のせいで、せっかくの月見が幼女見にすり替わっていた。

 まぁ、あいつらのお陰で、ようやく俺の足から離れてくれたんだけどな。

「大丈夫?」

「私の心配をしてくれるのはあんただけだね、茨木。わざわざ手ぬぐいまで用意してくれてありがと。でもまぁ、大丈夫。唾付けとけば、数分で塞がるよ」

 そんな事より、まずはこいつだ。そういえば、まだ名前も聞いて無かったよ。

「あんた、名前は?」

「なまえでしゅか?」

 おいおい、すっかりできあがっているじゃないか。

「なまえ……なまえは、あの、その……」

 そいつは、今の今まで笑顔で呑んでいたのに、名を聞いただけで突然俯いてしまった。まぁ、苗字を持っている者なんてほとんどいなかったし、田舎に至っては名無しであったとしても別に不思議じゃなかったんだけど。どうも、そういう感じではなさそうだった。名を知られたくない事情があるのかもしれない。そう感じた。

「つ、つき」

「月か。へぇ、素敵な名じゃないか」

 名を褒めても、そいつは俯いたままだった。その名に、何か嫌な思い出でもあるのかもしれない。鬼へ変化し、かつての名を捨てた俺には、何となくその気持ちが理解出来た。

「よし、それじゃあこれから俺が新しい名をあんたに付けてやるよ」

「えっ?」

「我々の仲間になった記念だ。この山に来た連中には、大抵俺が新しい名を与えてやっているのさ。あんたにもかっこよくて強そうな名を与えてやるよ」

 名を与えると言った瞬間、こいつはまた太陽のような笑顔を浮かべた。やれやれ、現金なやつだよ。

「ちょ、ちょっと待ちなさい」突然、茨木が私達の会話に割って入ってきた。

「なんだよ、突然」

「ねぇ、たまには私にも名付けさせてくれない?」

「何言ってんのさ、鬼の名付け親になれって言ったのはあんたじゃないか。鬼達の首領になるにはああしろ、こうしろって普段からうるさいんだから、これくらい好きにさせてよ。それともあんたが首領をやるかい?」

「私はそういうのは向かないのよ……」

「だったら大人しくしてなよ。こいつの名は俺が付けるからさ。」

 あらためてこいつをじっくり観察する。透き通るほど綺麗な金色の髪……でも金の名の鬼はもういるしなぁ。おや、黒髪が所々に混じっているな。

「よし、決めた。あんたの名は虎熊だよ。」

「あぁ、もう、やっぱり……」

 茨木が呆れ顔でこっちを見ている。なにさ、俺が付けた名が気に入らないっていうのかい?

「貴方、また熊付けたわね。貴方が名前を付けるとみんな熊。どうなってんのよ。あいつは星熊、あっちのは金熊、あそこにいるのはそのまんま熊! どれだけ熊が好きなのよ」

「いいじゃないか。熊はかわいくてかっこいいんだよ。それにほら、見てみなよ。こいつの顔を」

 かわいくてかっこいい、そう思っている事がはっきりとわかるほど、そいつは笑顔だった。

「気に入ってくれたみたいでよかったよ」

 名を与えられたのがそんなに嬉しいのか、虎熊は自分の名前を連呼しながら辺りを回る。その様子を見て、鬼達も嬉しそうに酒を呷っていた

 

「ぷはぁ、きもちいいなぁ」

 鬼の宴会は太陽が昇るまで続く。俺は、虎熊が鬼達に酔い潰される前にこいつを風呂に入れてやろうと思い、茨木と虎熊を連れ山の温泉に来ていた。もちろん、茨木と虎熊は身体に布を巻き、俺も腰に布を巻いて温泉に入った。

「こらこら、そんなにはしゃぐな」

 温泉で一杯やりながら景色を眺める。今日はその景色に嬉しそうに温泉で泳ぐ虎熊の姿が映り込んでいる。時にはこんな変化も楽しいものだ。

「ちょっといい?」

「茨木、どうした?」

「話があるの。ちょっとこっちに来てくれる?」

「なんだよ一体……虎熊、あんたはもうちょっと入っていな」

「はぁい、行ってらっしゃい」

 俺と茨木は虎熊が聞こえない所まで離れた。

「で、何?」

「これを見て」

 茨木が差し出したのは、さっきまで虎熊が着ていたボロボロの服。所々破けていて良く見ると焦げた跡や鋭利な刃物で切られた跡もついていた。

「あいつも、俺達と同じように、村を追い出されたってわけか」

「えぇ、そうね。でも追い出されたのは村とは限らないわよ。私が見ろって言ったのはこっち。この服の柄よ。」

 汚れの少ない裏生地、そこには紅もみじ色の刺繍がされてあった。泥や煤で汚れたこの服は、本来なら赤い布で織られた服だった事が伺える。

「五衣唐衣装、これは貴族の娘しか着る事ができない高価な服よ」

 五衣唐衣装、十二単と言った方が分かりやすいだろうか。女にとって最高の装束と言われているあの動きづらそうな重ね着のことだ。

「つまり、どういうことだい?」

「単純な話よ。あの子の出自は貴族、それも都住まいの相当位の高い家って事よ」

 風呂ではしゃぐ虎熊を見る。貴族の娘と言えばお淑やかなイメージがあるけどあの騒ぎっぷりを見ていると、とても貴族の出とは思えない。

「あの子、どうするつもり?」

「どういうこと?」

「このまま山に置く気かどうかって事。あの子は我々とは違うわ。おそらく、高貴な身寄りがいる。そいつらはあの子を生かしておきたくないはずよ。なぜなら、その存在が家の名に傷を付け自らの家を滅ぼす切欠になるかもしれないからね。あの子が生きている事が知れたら、きっと攻め入って来るでしょうね。もう一度聞くわ……貴方、あの子をどうするつもり?」

 茨木の言葉はいつになく真剣だった。短い付き合いながら、こいつの事は良く理解している。山の鬼を犠牲にする覚悟があってなお虎熊を匿うか、それとも鬼の平和のために虎熊を手放すか。私がどういう答えを出すか分かっていてわざとこんな言い方をする。俺に覚悟を決めさせる為に。とんだ世話焼きだよ。

「虎熊はもう、我々の家族さ。酒を酌み交わした奴を俺は見捨てたりしないよ」

 茨木がくすりと笑う。こいつが色々世話を焼いてくれるお陰で俺は好きなように出来るんだ。感謝しないとな。

 

 湯に浸かりながら俺は虎熊に提案した。俺達と一緒に暮らそう、家族になろう、と。

 虎熊はその言葉を聴いて満面の笑みを浮かべ、そして泣いた。

 その様子を眺めながら、俺と茨木は酒を呑む。温泉と酒で体の中と外が温まり、そして今、俺達は心の中にも温かさを感じていた。

 こんな気持ちになったのは、鬼に成ってから初めての事だった。瞳の中に溜まったものを、俺は顔を洗うことで誤魔化した。茨木も同じように、顔を湯に浸けて涙を誤魔化していた。

「虎熊、あんた泣いてばっかだねぇ」

「だって、こんなに嬉しい事って、今まで無かったから……」

 こいつは今までどんな生活をしていたのだろう。余程辛いことばかりだったのだろうか。少しだけこいつの過去が気になったけど、すぐに考えるのを止めた。大切なのは過去じゃなくて未来。そう、こいつの未来なんだ。

「虎熊、強くなりなよ。いつか俺よりもな」

「うん、誰よりも強くなるよ!」

 お前が強くなるまでは、俺が護ってやるよ。口には出さず、心でそれを自分自身に言い聞かせる。もちろん、この山に住む鬼達も全部ひっくるめて護ってやるさ。こいつも、あいつらも、俺の大切な家族なのだから。

「そろそろ、上がろうか」

「そうね。あ、そうそう虎熊の服ボロボロだったから新しいのを用意しておいたわ。とりあえず大きさは合ってないけど今日は我慢して私の服を着て頂戴」

「ありがとう、ははうえ!」

「は、母上?」

 急に茨木の顔が緩くなる。どうやら母上と呼ばれたのが相当嬉しかったらしい。

「ははは、茨木は母上か。じゃあ俺は?」

「ちちうえっ」

「ぶはっ、げほごほ」呑んでいた酒が肺に!

「え? ははうえと夫婦じゃないの?」

「違ぇよ!」

「まぁ、いいじゃない。親代わりなんだから」

「うっさい、納得いかない!」

「ははうえ、ははうえ」

「ん? どうしたの?」

「この服の着たことないから……どうやって着るの?」

「……はぁ?」

「貴族の娘、か。こりゃ躾けるのは大変そうだな。」

「まったく、しかたないわね」

 虎熊に服を着せようとした丁度その時だった。浴場のすぐ近くで足音と、人の話し声が聞こえた。

「いやぁ、呑みすぎたなぁ」

「おお、もう夜明けじゃ。風呂入って寝るべよ」

 その声はよく知っている鬼共の声だ。やばいな、ここに向かって来ている。

「ほら、早く着ちゃいな。」

「ちょ、ちょっと待って」

 必死に服を着ようとする虎熊。おいおい、それじゃ左右逆だよ。まったく、仕方ないなぁ。

「お前ら、そこで止まりな。まだ俺達が入ってる」

「おぁ、すんません。って、もう着替え終わってるじゃないっすか」

「虎熊がまだなんだよ。ちょっと待ってな」

「だ、だいじょうぶ、もう着たよ」

 茨木の背に隠れていた虎熊がひょこっと飛び出す。その風体は、服を着たという表現ではなく、布を体に巻いたという表現が正しかった。

 そんな状態だから少し動くと、全部解けて……

「あっ」「あっ」「おお……」

 

 それからの記憶は曖昧になっている。ただ覚えているのは叫び声のような爆音。むしろ爆発と呼んでもいいものだった。

 起きた時には周囲の木々はなぎ倒され、背後にあった温泉は一滴残らず吹き飛ばされ、衝撃に全員が吹っ飛ばされていた。その跡には、まるで隕石でも落ちたかのような痕跡と、顔を真っ赤にしている虎熊の姿だけがぽつりと一人、取り残されていた。

 俺は甘かった。どんなに小さくても、どんなに可愛くても、どんなに泣き虫でも、こいつは鬼なのだ。

 吹き飛ばされた痛みと、温泉に入ったばかりなのに汚れた身体、そして昇る太陽。虎熊と出会った最初の夜はこうして幕を閉じていった。

 

 伊吹山に住みついて、三年の月日が流れた。

 いつものように、山頂で景色を眺めながら酒を呷っていた俺は、心の奥底に残っていたある言葉を思い出していた。

「あの子が生きている事が知れたら、きっと奴らはここに攻め入って来る」

 勇儀が我々の仲間になってから、ずっと引っかかっていた事案、人間達の襲来。

 茨木は、いつか奴らが虎熊を殺しに現れると言っていた。けど、あれから三年、奴らが現れる気配は一向に無い。

 山からの景観に、不自然に映る黒い柱。平安京は今日も嫌な気の柱を空に向けて伸ばしていた。

 

「本当に行くの?」

「ぐだぐだ、考えても仕方ないからな」

 身支度を整えていた俺に、茨木が心配そうに声をかける。そう、俺は行くことにしたんだ。勇儀の故郷、この国の都、平安京に。

「お土産は何がいい?」

「無事に帰ってくれば、それでいいわよ」

 三年経っても相変わらず、茨木は心配性だった。

「俺はそう簡単にやられるタマじゃねぇよ」

「わかっているけど性分なのよ。それにしても、なんでこんな日も昇っていない時間に出かけるの?貴方の足なら、半刻もかからないでしょうに」

「あれが起きる前に出ておきたかったんだよ。見つかったら付いてだろうしねぇ」

 俺が指さした先には、気持ちよさそうに寝息を立てている虎熊の姿があった。見つかったら面倒になるのが目に見えている。寝ている隙に出た方がいい。

「そいじゃ、行ってくる。留守は任せたよ」

「ええ、気を付けて」

 茨木に見送られて、俺は山を降りる。目指す地は平安京。せっかくの一人旅なので、景色を楽しみながらゆっくりと街道を進む。修行することによって使えるようになった変化の術を使って俺は人間だったころの自分に化けて街道を歩いていた。化ける力は便利なものさ、鬼の姿のままだったら街道を歩いているだけで騒動になるからな。

 

 都に近づくにつれ気持ちの悪い妖気は徐々に強くなっていく。俺はその気持ち悪さに疑問を感じながらも歩き、あとは山を越えるだけ。ここを越えれば都は目と鼻の先。その山こそが、霊山として知られる比叡山だった。

 しかし、山の前に立った瞬間から妙な違和感を覚えた。この山は霊山で、山中にはこの国の仏教の総本山、延暦寺が置かれている。言うまでも無く、この国で一番清浄な場所のはずだった。

 じゃあ、なんでこの山からは清浄な気を感じないんだろう。飲酒を禁じている仏教寺のある山から、なんでこんなに酒の匂いがしているんだろう。山の入口でこれほどまでに妖気を放っている俺に、なぜ山の僧侶達は誰も気が付かないんだろう。

 強い僧侶と戦う事が出来るかもしれない、そんな淡い期待も吹き飛ばすほどの違和感。身を煙に変え、山の中に忍び込んだ俺が目にしたもの。それは、戒律を何も守っていない、荒れた寺の姿だった。

 外見上は何も荒れていない。それどころか、多くの寺院や塔が山の至る所に建てられ、まさに仏教総本山と言わんばかりの豪華さに満ち満ちている。でもそこで修行している奴らは腑抜けだった。酒色を禁じている仏教の教えに背き、僧侶達は酒を呑み、女と交わる。寺を守る僧兵達は僧とは名ばかりの荒くれ者。

 かつて、寺で暮らしていた俺には、その光景は衝撃的だった。この山に辿りつく前は、どうやって山を越えようか、僧侶達はどんな術を使ってくるのか、なんて楽しそうに考えていたのだけれど、それを目の当たりにした瞬間から、どうでもよくなってしまった。興味が失せたって言うのかな。子供の頃、大切にしていたものを大人になって見た時の心境だった。

 もはや、見ている価値も無い。俺は煙になっていた体を集め元の姿に戻った。寺の境内に突如現れた俺に、僧兵達は驚き騒ぎ始めた。

「黙れ」

 ほんの少し威圧を与えただけで、そいつらはまるで蛇に睨まれた蛙のようになってしまった。俺にしては珍しくイライラしていて、本来は怯えた相手に手を上げることなんてしないのに、その時はこの場に居る僧兵全てを肉の塊に変えてやろうかと思えたくらいだった。

「出会え、出会え!」

 その呼び声に、多くの僧兵達が群がって来る。皆、薙刀を持ち、背に弓を背負っている。そもそも、不殺生の教えを伝えるべき仏寺で、人を殺す武器と兵士が存在していること事態がおかしい事なんじゃないのかね。

 そして奴らは何の躊躇も無く、俺に矢を放ってきた。だが所詮は人間の力で射る矢、痛くも痒くも無かった。

「おのれ、こうなっては僧正をお呼びして鎮めてもらうしかあるまい!僧正はいずこにおられるのだ!」

 僧兵は怯えきって僧侶に助けを求めている。確かに妖怪を退治するには僧侶の方が適任だろう。でも、奴らは知らなかった。もう、僧侶達はとうに逃げ出している事を。

 莫迦らしい、本当に莫迦らしい。戦う気力も失せるほど、莫迦らしい気持ちになったのは初めてだった。

 

 僧兵も逃げ出し、人気の無くなった寺の境内で、私は僧達の残した肉や酒を腹の中に詰め込んでいた。イライラを解消するには、酒と食事に限る。一通り食べ終わった俺は気分もすっかり良くなって、再び平安京に向け歩き出した。

 

 俺は再び人間に変化し、平安京に潜入した。真っ昼間から堂々とね。そこは国の首都なだけあって、多くの人間で賑わい、活気に満ちていた。そんな活気の中でも人通りから離れた場所や、荒れた屋敷、門、寺の周囲からは妖気が漂ってくるのを感じられた。

 そんなこんなで、平安京をぐるっと回りながら色々な噂を聞いた後、比叡山の僧侶達から奪った食べ物やら酒やらをお土産に抱えて俺はまた伊吹山に帰ったんだ。とある事を考えながら。

 

「おかえりなさい」

 出迎えた茨木はボロボロになっていた。

「どうしたんだ、その格好」

「貴方が居ない間、ずっとあの子の相手をさせられたのよ」

 茨木が指を指した先には、寝息を立てている虎熊の姿があった。

「父上はどこに行ったの? ってずっと暴れてて、ついさっき寝たところなのよ」

 よく見ると、勇儀の頬には涙が伝った跡が残っていた。頭をそっと撫でてやると、顔が少し綻んだように見えた。

「随分迷惑をかけたみたいだな。これ、お土産。皆で食べなよ」

「ありがと。それより京では何かあったの?」

「まぁ、色々あったよ。そんなことより、こいつが起きたら鬼達を集めて欲しいんだけど」

「別にいいけど、何をするつもりなの?」

「なぁに、ちょっと皆に話したい事があるのさ。私達の行く末を決める、大切な事をな」

 

 平安京に、夜の闇が満ちる。月光が京を照らし、闇の中から様々な妖怪が湧き出てくる。しかし、そんな世界でありながら、様々な思想を持った人間達も夜の闇に繰り出していた。愛しい人に会う為に、闇夜に紛れて金銭を盗む為に、様々な理由によって。

 そんな人間の元に、妖怪は現れる。男に捨てられ自害した女の亡霊、人斬りによって殺された男の怨霊様々な闇を平安京は抱えていた。

 しかし、その日常は今日を境に、大きく変化することになる。

 突如、空から現れた黒い煙が、月の光を遮り、京は新月の夜のような深淵の闇に包まれる。そして、煙の中から現れる様々な形の角が生えた妖怪。今まで京には居なかった妖怪の来訪が、平安京の妖怪の生態系を完全に破壊するのは、これから程無くの事だった。

 

 平安京に黒い煙が出現する、一刻ほど前。

 伊吹山の山頂に山に住む全ての鬼が集結している。その数、約百鬼。パチパチと篝火が音を立てている音だけが、周囲に響いている。

 普段は喧しい鬼達も、その時だけは一言も発せず、ただ俺が口を開くのを、じっと待ち続けていた。

「俺は、いや……俺達は、これより伊吹山を下り、平安京を侵攻する!」

 その一言で、静かだった鬼達は一気にざわつき始めた。横に立っていた茨木は、頭を抱えて溜息をついている。群衆の中に居る平安京出身の鬼達も、同じように頭を抱えていた。

 あいつらは様々な理由で平安京から逃げてきた連中だ。お尋ね者になっている奴もいるだろう。平安京に行く事は、死にに行くようなもの、と考えているに違いない。

「もちろん、あそこに行きたく無い奴が居るってことも知っている。行きたくないって奴は、無理には連れていかない。付いて来たい奴だけ来ればいい」

 鬼達のざわめきが次第に大きくなる。そんな中、一人が声を上げた。

「首領、なぜ平安京を攻めるのですか?」

「よく聞いてくれた。先日俺は平安京をこの目で見てきた。あそこには多くの妖怪が我が物顔で蔓延っていた。奴らは人間を襲い、喰らい、恐怖によって京を支配していた」

 鬼達をぐるりと見回し、俺はこう言い放った。

「悔しいと思わないか? 俺達は最強の妖怪、鬼だ。だってのに、この中の何人かは平安京が怖い場所だと思っていやがる。近寄りもしない。あそこに住む妖怪達が束になっても勝てない鬼が、人間を超越した我らが鬼が! 一体何に怯える必要がある。最強を自負するには、あの地を落とさなければならない。我々の力、恐怖によって平安京をこの手に収めようじゃないか!」

 その言葉に、今までざわめいていた鬼の声が歓声へと変わっていく。

「そうだ、その通りだ。何を恐れる必要がある」

「我らこそ最強の妖怪。あの地の妖怪を全て滅ぼし、鬼の国を築こうぞ!」

 歓声は、徐々に咆哮へと変わっていく。どうやら京に行く覚悟が出来た様子だった。あとは、この二人……。

「茨木、そういうことだからあんたも付いてきな」

「貴方、また勝手に……。まぁ、私はいいけどさ。問題はあの子じゃない?」

 虎熊は少し離れた所で、頬を膨らませたままこっちを睨んでいた。さっき目を覚ましてからずっとこの調子だった。俺があいつに内緒で出かけた事を、まだ怒っているのだろう。

「虎熊、いい加減機嫌を直してくれよ……」

「やだっ」

 そう言うと、あいつは一人で山を下りていった。まったく、大事な話だっていうのに。

「機嫌が悪いせいじゃないわ。あの子、やっぱり怖いんじゃない?」

 茨木が心配そうに虎熊の後ろ姿を見つめている。あいつが俺達の一員になってからそこそこの年月が過ぎている。でも、あいつは一度として過去の事を語ろうとはしなかった。あいつは過去を語る気がまるで無い。無理に聞くまいと思っていたのは数年前の出来事。あれから、肉体的にも精神的にも成長している。今なら、聞いてみてもいいかも知れない。あいつの過去を……。

「ちょっと、行ってくる」

「行ってらっしゃい」

 茨木が俺の背をぽんと押す。俺は虎熊を追って、山を下った。

 

 山の中腹の草原で、虎熊はひとり、空を眺めていた。

「虎熊」

 俺の声に反応してこっちを向いたあいつは、どこか悲しそうな表情をしていた。

「どうした? 泣いていたのか?」

「ううん、もう泣かないよ」

 そう言って、首を横に振る。確かに虎熊は最近じゃまったく泣かなくなった。昔はあんなに泣き虫だったのになぁ。

「虎熊、昨日は黙って出て行ってほんとごめんよ。別にあんたを邪魔だと思ったとか、そういう事じゃないんだ」

「……うん、わかってる。あそこに、平安京に行く用事だったから、私を誘えなかったんでしょ? 私が嫌がると思って」

「虎熊、あんた」

「……もう知っていると思うけど、私は昔、あそこに住んでいたんだ」

 虎熊は、まるでこっちの考えを理解しているかのように、ゆっくりと語り出した。自らの生い立ちを、過去を。そして、どうして俺達の元にやって来たのかを。

「私の生まれは、平安京の北にある平安宮」

「平安宮、それって」

「うん。この国の帝の住む場所。私は、この国の帝の娘だったの」

 貴族の娘だとは思っていた。でも、まさか帝の娘だったなんてね。

「わたしは、あそこで何不自由無い暮らしをしてた。帝も、本物の母上も、みんな優しくて、私は幸せだった。でもある日を境に、そんな生活は一変したんだ。永遠に続くと思っていた幸せが、あの日を境に……」

「何があったんだ?」

「私に弟が生まれたの。ゆくゆくは、この国の帝になる弟がね。帝も、母上も、みんな喜んで宮中はお祭り騒ぎだった。でもそんなお祭り騒ぎも長くは続かなかったんだ。弟は、産まれてすぐ死んじゃった」

「そっか、そりゃ残念だったな……」

「みんな、すごく取り乱してた。帝となる子が誕生した喜びが一瞬で崩壊して」

 虎熊は、今にも泣き出しそうな顔を必死に抑えながら、話を続ける。

「つ、月が代わりに……死ねばよかったのにって」

「虎熊……」

「大丈夫、だよ。うん。それからしばらくして、私はお祖父様に呼ばれて変な儀式をしたんだ」

「儀式?」

「うん、儀式。呼ばれた部屋には、たくさんの陰陽師と、お祖父様や母上、部屋の中央には弟の死体が置かれてあって、お祖父様は私に弟の横に寝なさいって言ったの。言われた通りにすると、部屋の周りに並んだ陰陽師が呪文を唱え始めて、その呪文を聞いていると、だんだん気分が悪くなって、いつの間にか気を失ったの……。目を覚ますと、周りのみんな、すごく喜んでる様子だった。みんな、弟をぐるりと囲んで、生き返った、生き返ったぞ、って」

「それって、まさか泰山府君祭か?」

 俺は都で聞いた噂を思い出す。平安宮の陰陽師達は死者を生き返らせる方法を会得していると。それこそが泰山府君祭。地獄の閻魔と取引を行い、生者の命を他者に与える究極の陰陽秘術。

「うん、どうやらお祖父様たちは、私の命を引き換えに、弟を蘇らせようとしていたみたいなんだ」

「で、でもあんたは生きているじゃないか」

「うん、だからみんな驚いてた。その時は、まだ気付いて無かったけど、その時には私は今の格好になっていたみたいなんだ。母上は弟を抱えて悲鳴を上げながら走って逃げて行くし、陰陽師たちは妖怪が出たって騒ぎだすし、私は何がなんだかわからないまま逃げ出したんだ。その後、平安京から逃げ出して、しばらく当ても無く歩いていたら、誰かが呼ぶ声がしてそっちに向かって歩いて行ったら……そしたら、ちちうえに会えたんだ」

 全てを話し終えた時、虎熊の顔には笑顔が戻っていた。俺が思っていた以上に、こいつには色々な事情が起こっていた。そんな過去を背負っていながら、こいつは今、俺に笑顔を向けている。俺が思っていた以上に、こいつは強かったんだな。

「虎熊、強くなったな」

「うん。私はもう大人だもん」

 虎熊は両手を組み、鼻息を鳴らす。仕草は子供っぽいけど、こいつはもう立派な大人なのかもしれない。だから、俺はちゃんとあいつに言うことにしたんだ。

「虎熊、俺と一緒に京に攻め込んでくれるか?」

 その言葉に、一瞬だけ虎熊の顔がひきつった。口では気丈な事を言っていても、本心では都に戻りたいなんて思っていないのだろうという事が、その一瞬の表情で理解できる。

「お前が怖いものってなんだ?」

「こ、こわいものなんて……」

「強がらなくたっていい。実は、俺にだって怖いものがある」

「え? ちちうえみたいな強い鬼が?」

 虎熊が驚きの表情を浮かべる。でも、どんな奴にだって弱点くらいはある。もちろん、俺にだってな。

 俺の弱点、それは焼いた鰯の頭と柊の枝。でも、それよりももっと怖い事がある。それは……

「あんたと、離れ離れになる事さ」

 最初は嫌だった父上って呼ばれる事も、今じゃ当たり前のようになってきた。そう、いつの間にか俺は虎熊の事を本当の娘のように思えるようになっていたんだ。

 かつて俺は捨てられた子供だった。あの頃、俺は確かに誓った。自分の子供に、私と同じ思いはさせない、ってな。

「だから、俺と一緒に来て欲しい。もし、お前が行きたくないって言うなら、俺も行くのを諦めるつもりだ。だって、お前と離れ離れになるなんて、死んでもご免だからな。」

 虎熊の頭を撫でてやると、あいつは何も言わずに俺の腹に顔を埋めた。

涙目になっているのを見られたくなかったのだろうな。

「ずっと、私のそばにいてくれる?」

「鬼は約束を違わない。お前との約束は、必ず守るよ」

「うん! なら大丈夫! ちちうえと離れる事に比べたら、あそこに戻る事なんて怖くないよ」

 虎熊はそう言って強気な笑顔を浮かべてくれた。

 

「おかえり。随分遅かったわね。私達の準備はもう出来てる。何時でも行けるわ」

 二人で山頂に戻って来ると、鬼達はすでに身支度を整えて待機していた。茨木は俺の足にしがみついている虎熊の頭を撫でると、俺の顔を見てにっこり笑った。

「さぁ、首領。皆が貴方の出発の合図を待っているわ」

「あぁ、わかった。虎熊、本当にいいんだな?」

「うん! みんなと一緒なら、ちっとも怖くないよ!」

 鬼達が早く京に攻め入りたいと雄叫びを上げている中、俺は再び鬼達の前に立ち、叫んだ。

「よし、行くぞ野郎ども! 目指すは日出ずる国の都、平安京。人間を、妖怪を、神すらも恐怖のどん底に叩きこんでやれ!」

 その号令と共に鬼達は一斉に山を下り、都に向け移動する。

 一刻後、平安京は悲鳴に包まれていた。

 

 平安京が、鬼達によって蹂躙されていく。その様子を、平安京の南、羅生門の上から、俺と茨木と虎熊の三人で眺めていた。

「思ったより問題無いみたいね」

 次々に倒れていく妖怪達、あちこちで聞こえる断末魔、圧倒的な鬼達の侵略に、いつも心配性の茨木も余裕の表情でそれを見つめていた。

「まぁ、鬼の力に敵う者無しってところだ。でも、なかなか強い奴らもいるみたいだぞ」

 よく見ると、今まで争い合っていた妖怪達が結託し、更には人間達と手を組んでまで我々に抗っている。人間達は首都を、帝を、家族を護る為に。妖怪達は自らの存在を消されない為に。理由は様々ながら、利害が一致して団結した連中は、なかなか手強く、面白かった。

「いいねぇいいねぇ。やっぱりこうじゃないとな!」

 様々な場所に出没する強者達。制圧は仲間に任せようと思っていた俺も、つい参戦したくなってしまった。

 でも、俺には今日この地でやらねばならない事がある。

「よし、それじゃあちょっと行ってくるよ。茨木、この門は任せたよ」

「ええ、行ってらっしゃい」

「勇儀、一緒においで」

「うん。でも何処に行くの?」

「この道をずっと行った先、さ」

 ここ羅生門は、平安京の最も南に位置する門。そこから伸びる大きな道が、朱雀大路。大陸の使者が通る為に設けられた、だだっ広い道。その道をずっと進んで行くと、もう一つの門が見える。その門の名は朱雀門。そして、その門に守られているのが、平安宮。この国の帝が住む宮殿であり、虎熊の生まれた場所でもある。

 虎熊を肩に乗せ、私は羅生門を飛び降りる。妖怪達の悲鳴と横たわる死体の数々。それらを横目に、私達はまるで散歩でもしているかのように、鼻歌を歌いながら朱雀大路を北上していった。

 

 平安京が我々の侵略を受けていたちょうどその頃、平安宮には陰陽師達が集まって宮に結界を張り、宮内に鬼達の侵入を防いでいた。

 朱雀門を抜けようとした瞬間、その結界が俺の侵入を拒んだ。指で触れるとバチバチと音を立て、電撃と火花が襲い掛かってくる。こいつを破るには、小難しい解呪の法とやらが必要になのだろう。

「虎熊、お前がこの結界を破ってみな」

「え? 私が?」

 突然の提案に、虎熊は豆鉄砲を食らった鳩のような表情になった。

「ここはお前の家なんだから、扉を開けるのはあんたの役目さ。それとも、俺がこじ開けようか?」

「む、わかったよ。でも私、結界の破り方知らないよ?」

「大丈夫、俺もわからん!」

「あはははは、なにそれ!」

「結界の破り方は知らないけど、要は気合いでどうにかなる」

「それもそうだね。それじゃ、強引に開けちゃおう!」

 虎熊は結界の前に立つと、右腕をぐるぐると回し始めた。回せば回すほど殴った際の威力が増す、とか言っていたけど、実際そんな変わるものなのかね?

「せえぇぇぇぇのっ!」

 どぉん! という大きな衝撃音。虎熊の拳が結界と接触し、その衝撃が結界を伝わっていく。陰陽師達が心血注いで展開したであろう守護の結界がぼろぼろと、まるで湖に張った氷が割れていくかのように、崩れていく。その様子を見ていた貴族や陰陽師達は、宮殿のさらに奥に逃げて行った。

「割れたよ、ははうえ!」

「うん、よくやったね」

 虎熊をひょいと持ち上げて再度肩に乗せると、私達はそのまま朱雀門を潜り抜けた。帝の住む地、大内裏。天子を守る為なのか、門を抜けた先にはまた門が立てられていた。

「そこまでじゃ、妖怪!」

 突然、応天門の中からわらわらと武装した集団が湧き出てくる。平安宮を護る武士達、その中心には朝服に身を包んだ初老の男の姿があった。身なりからして、おそらく天上人の一人なのだろう。

「者ども、こやつらを排除せ――」

 武士に命令を飛ばそうと、そいつは指をこちらに向ける。そこで、そいつは初めて、虎熊の姿を確認し、驚愕の表情を浮かべた。

「なっ、お前はまさか!」

 一瞬で青ざめる天上人。奴に指を向けられた虎熊は、俺の足に隠れてきた。

「虎熊、まさかこいつが?」

「うん……」

 なるほど、こいつが虎熊の祖父で、こいつを殺そうとした張本人か。

「ええい! こやつらを滅ぼ――」

 私がこの場所、平安宮に連れて来たのは、別に虎熊の復讐に来た訳では無い。ここに来た目的は……自分の子供を殺そうとした最低な野郎を一発殴りにきた。それだけだった。

 次の瞬間、俺は地面を蹴っていた。一瞬で間合いを詰められ、反応すらさせぬうちに、俺はその男をぶん殴る。その衝撃で周りの武士達も吹き飛び、風圧で応天門は倒壊、天上人はかろうじて残っていた門の柱に、肉の塊となってめり込んでいた。

「ふん、地獄の閻魔によろしくな」

 私は虎熊の元に戻り、再び肩に乗せ、私達は咆哮する。崩れる門の倒壊音よりも、周囲に響く妖怪達の悲鳴よりも、その光景を見た人間達の悲鳴よりも、大きな咆哮を。

「さて、それじゃそろそろ行こうか」

 一通り吼えた後、俺達は何事も無かったかのように朱雀門に向け歩き出した。

 朱雀門の外、朱雀大路には俺達の咆哮を聞きつけた鬼達が集結しつつある。それぞれが、名のある妖怪の首や武士の死体を抱え、まだ息のある妖怪達の身体を引きずってここに集まって来ていた。

「よし、みんな集まったね。それじゃ行くよ!」

 俺を先頭に列を組んで行進を開始した。朱雀門から朱雀大路を通り、羅生門へと至る長い行列。かつて大陸の使者が通ったとされる大路を、逆方向に向けて鬼が通る様は、この都が鬼によって支配されたという事をこの都の住人に知らしめる結果となった。

 そして、それこそが、後に百鬼夜行と呼ばれる逸話の、最初の行列だった。

 

この日を境に、平安京に鬼が住みつく事になった。

 恐怖によって人々を支配した鬼は、夜な夜な平安京に現れては人間を襲い、金銀財宝を奪っていく。その恐れの念によって新たな鬼が次々と生み出されるようになった。

 ただ、そんな連中が増えてくると、広かった平安京もだんだんと狭く感じられてきた。だから俺は、普段は山で暮らして、時々平安京を襲うってスタイルにしようと皆に提案したのさ。

「とはいえ、この都の近くには高い山が無いからな。伊吹山に戻るか?」

「ちょっと遠いわね。それに、貴方も知っていると思うけど、最近の比叡山は侮れないわよ?」

 鬼が平安京に侵攻してからというもの、あの山の僧達は心構えを変えたのか真面目に修行するようになっていた。遠方から有名な高僧を呼んだりして、随分よくなった。まぁ、鬼にとっては悪いことかもしれないけどな。

 そんなこんなで平安京の北東、鬼門に位置する霊山がその役目を果たせるようになった今、同じ北東の伊吹山は位置的に都合が悪かった。だから、俺達は新たな山を探す必要があった。平安京からほど近く、鬼達が暮らせるほど広い山が。

「それなら、あそこしか無いわね」

「心当たりがあるのかい?」

「ここから北西、丹波国にある霊峰、大江山よ」

 

俺は虎熊を引き連れ、茨木に教えてもらった大江山の場所を目指した。虎熊と俺は二人きりの旅を喜び、行く先々の景色や昼間から現れた鬼に驚く人々の表情を楽しんでいた。

辿りついた大江山の麓。大江山と連なる大江山連峰の景色を、虎熊は目をキラキラ輝かせながら眺めていた。

「ちちうえっ! まるで大きな盃みたいな山だよ! ここに住みたい!」

 そう言って、まるで店先で欲しいものをねだる子供のように虎熊は私の手を引っ張ってくる。確かに景色も綺麗だし、川も流れ、山頂からは海を一望できる。そして、虎熊のこの気に入り様……。抗う術は無かった。

「よし、じゃあここに住もうか!」

「やったあ!」

 こうして、俺達は京を離れ、大江山に住居を構える事となった。

 多くの資材と金銀財宝を運び込み、都のような宮殿を建て、多くの鬼が暮らす事になった大江山。そこは俺達が全盛期を迎えた場所であり、この国の恐怖を一身に集めた場所である。

 しかし、今となってはこう覚えている者の方が多いだろう。

 酒呑童子が終焉を迎えた鬼退治伝説最後の舞台。大江山悉皆殺し、その舞台として――

 

***

 

「我々は信濃の天狗です。旅の途中にここへ辿り着きました。どうか、一晩だけ泊めてはいただけないでしょうか?」

 大江山に現れた山伏姿の男達。奴らは泊めてくれる礼にと、大量の酒を差し出してきた。

 鬼以外の妖怪がこの山を訪れるのは何年ぶりだろう? 肝が据わった表情と、土産の酒のいい匂いに、鬼達は喜んでそいつらを大江山に迎え入れる。

 何の疑いも持たずに……。

 

 大江山に移り住んでから、十数年の月日が流れていた。

 俺達は大江山に暮らしながら、時折山を降り平安京に現れた。そこで行った悪事は多くの人間達に伝わり、一瞬で国中に広まる事になる。恐怖が新たな恐怖を産み出し、鬼の所業でない事まで鬼の仕業と思われる頃には、人間のみならず妖怪や亡霊、神すらも同様に私達を恐れていた。

 だから、そんな私達の住処にのこのこ現れた奴は珍しかった。

「ひょっとしたら、何か企んでいるのかも知れないわね」

 珍客の姿を一目見ようと、多くの鬼達が奴らの周りを囲む。そんな様子を、少し離れた場所で茨木は眺めていた。

「別に、何を企もうと知ったこっちゃないな。もし何かする気だったとしても俺達の懐に飛び込んでくるなんて、勇ましい連中じゃないか。俺は気に入ったよ」

 心配そうな茨木を横目に、私は奴らから献上された酒の入った瓢箪の蓋を開ける。中からは芳醇な酒の匂いがして、とてもおいしそうだった。

「仮に、こいつに毒が盛られていたとしても、俺達が毒でやられるはず無いじゃないか。そうだろ?」

 瓢箪から直接酒を呑む。実に俺好みの味だった。

「まだ、たくさんありますので、どうぞご納めください」

 そう言って近づいてきたのは、天狗の頭領と名乗る男だった。

「ありがとう、今日はみんなで呑ませてもらうよ。そういえば、まだお前の名まえを聞いてなかったな」

「頼光と申します」

 その男こそ、私達を滅ぼした武者、人間達の英雄、源頼光だった。

 

 鬼の宴会は、毎晩繰り広げられる。日が、沈む頃に始まり、日が昇るまでその宴は続く。時には日が昇った後までも。

 そんな調子で呑み続けていたら、虎熊や茨木、他の鬼達も酔い潰れてしまった。

「みんな情けないなぁ。それにしても頼光、お前達は酒に強いんだな」

 いつの間にか、宴会場でまともに起きているのは、俺と頼光達だった。

「なに、そんな事は無いですよ。それより流石は酒呑童子様、酒呑の名は伊達ではありませんな」

 そう言いながらも、頼光は俺が注いでやった酒を一気に飲み干す。不思議な事に、こいつらはどんなに呑んでも酔う気配を見せなかった。

 

 頼光が私達に差し出した酒、それは神が連中に授けた『神便鬼毒』という神酒だった。この神酒、人間が飲んでも全く酔う事は無く、しかも力が増すご利益があるものだった。逆に鬼が飲めば……どうなるのかは、もうすぐ知ることになる。

 

 酒を呑み、気分が良くなった俺は、いつの間にかそいつらに身の上話を始めていた。延々と続く話を、連中は真剣に聞いてくれていた様子だった。

 流石に呑み過ぎたのか、頭がふらふらと上下に揺れる。程良い睡魔が全身を襲い、横になればすぐにでも深い眠りに入れる程にまで、私は酔っ払ってしまっていた。

「無理なさらず、お休みになって下さい」

「それじゃぁ、休ませてもらおうかなぁ。お前らも好きに休んでいいぜぇ」

 定まらない視線に、ふらつく両足を必死に立たせ、すぅすぅと寝息を立てている虎熊を持ちあげると、私達は寝所に向かった。

 

 でも、私を誘っていたのは、睡魔なんて生易しい物なんかじゃなかった。誘っていたのは、そう……死神。私達の首を刈り取りに来た、死神の罠だった。

 

 床に就いてから、どれくらいの時間が流れたのだろう。俺の深い眠りは、突然の大声によって遮られる。

「うごぁぁぁぁぁぁ!」

 それはまるで断末魔のような叫び声だった。襖の間から見える光は、太陽が放つ物では無く、篝火の光。外は夜になっていた。

「うるさいなぁ……痛っ」

 自慢ではないが、私は二日酔いになった事が無かった。だからこそ、この頭痛はあり得ないものだった。いくら珍しい酒を呑んだからとはいえ、こんな頭が痛くなるなんて事は……。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」

 またも聞こえる悲鳴のような大声が、そんな頭に響いてくる。でも俺は外で雑魚寝していた鬼達が、起きて二次会でも始めているのだろう、くらいにしか思っていなかった。その言葉を聞くまでは。

「それ以上そいつらを行かせるな!」

 その言葉は紛れもない茨木の声。でも、普段の落ち着いた声じゃない。まるで焦燥感に駆られているかのような、そんな声色だった。

 何かおかしい。何かが起こっている。この頭痛にしろ、茨木の焦り様にしろ、今までに経験した事のない何かが。

「虎熊っ、起きろ!」

「ん……なに? もう朝なの?」

「いいから早く起きろ! 何か様子が変なんだよ。ちょっと様子を見てくるから、お前はここに隠れていろ」

 茨木のあの焦り様、尋常じゃない事態を感じさせるには十分すぎる。もしもの時の事を考えて、虎熊はいつでも逃がせるようにしておかないといけない。でも、そんな俺の気持ちを、虎熊はちっとも理解してくれなかった。

「やだ! 私も行く!」

 叫びながら、俺の腕を掴む。こうなったからには、こいつはてこでも俺の腕を離さないだろう。

「わかった、でも何かあったらすぐ逃げるんだぞ?」

「うん!」

 

 虎熊を腕にぶら下げたまま、俺は襖の戸を勢い良く開け放つ。そこに広がっていた光景を一言で表すなら、こう言うべきだろう。『地獄』と。

「なんだ、これは!」

 ついさっきまで、そこは鬼達が楽しく酒を呑み交わす宴会場だった。だが今や、そこに鬼達の姿はない。あるのは、無残にも首を切られた鬼達の胴体と、地面に落ちた椿の花のように赤に染まった鬼達の首。それらで埋め尽くされた庭を闊歩している刀を携えた武士の姿だけだった。

「みんな!」

 寝所から出てすぐの場所に、茨木と数名の鬼達が居た。こいつらはまだ首が繋がっているが、すでにぐったりと地面に倒れ伏していた。虎熊はそれを見ると、私の腕を放し茨木の方に近づいていく。そんな虎熊に、茨木は今まで誰にも見せた事が無いような、激しい剣幕を見せながら吼えた。

「早く逃げなさい! あいつらの目的は貴方達なのよ!」

 茨木の視線が、虎熊から俺に移る。

「貴方はまだ動けるみたいね。虎熊を連れて早く逃げなさい!」

「なんなんだよ一体、何があったんだ!」

「迂闊だったわ、私達はまんまと嵌められたのよ、あいつらに……」

 茨木が視線を向けた先に、頼光の姿があった。頼光は全身を武士の鎧で包み、右手に携えた刀には鬼達のものであろう血糊がべっとりと付着している。

「あいつらは天狗なんかじゃない。あいつらは人間よ!」

「そんな莫迦な!」

「人間ですよ、我々は」

 頼光が、こっちに近付いてくる。派手な装飾の兜を被り、血で全身を濡らしたその姿はまるで鬼のようだった。

「我が名は源頼光。世を騒がす悪妖怪、鬼を成敗に参った。いざ尋常に勝負せよ!」

「何が尋常に、だ! 嘘をついて騙し討ちしておきながら、よくそんな台詞を吐けたもんだな。この卑怯者が!」

「鬼から卑怯者呼ばわりされるとはな。しかし、我々はこれを卑怯と思ってはおらん。これは策よ。鬼を滅ぼす為の、な」

 そう言うと、奴は左手に持っていた物をこっちに投げつける。それは、連中が俺達に献上した酒の入った瓢箪だった

「神の酒、鬼を弱めるとの事だったが、ここまでの効力とはな」

「まさか、毒か!」

「そんな生易しい物ではない。これは神々の呪いよ……」

 いい加減、我慢の限界だったこうして話している間にも、奴の背後では部下の人間達が鬼の首を刈っている。これ以上の蛮行を許しておく程、俺は甘くない。

「やめなさい!」

 茨木の抑止を無視し、頼光目掛けて突進する。そして頼光に殴りかかろうとした瞬間。

「ぐっ!」

私は頼光に殴られ、奴の足元に倒れ伏した。

「哀れな、あの酒は貴様らが莫迦にした人間以下まで力を弱体化させるものよ」

 頼光が私の頭を踏みつける。同時に俺は悟った、俺はこいつらに殺されるのだ、と。口に広がる土の味がそれを俺に思い知らしめた。

「くそっ、なぜ俺が人間ごときに!」

「鬼の頭、酒呑童子よ。それが貴様の敗因だ。貴様たちはたしかに最強の妖怪。誰も敵う者はおらん。だからこそ、貴様たちは驕り高ぶっていた。人間如きに、殺られる事は無いと」

「俺が、驕っていただと?」

「先程、貴様は私を卑怯者だと罵ったが、一体何が卑怯だというのだ?古来より、人間は力ある者に挑む際、様々な策を弄してきた。勝つために、そして負けぬためにな。これを卑怯と思う時点で、貴様たちは負けていたのだ」

 言われた通りだった。俺は、今の今まで人間なんかに負ける筈が無いと思っていた。その慢心が結果的に多くの命を奪うことになった。そして自分の命さえも……

 

 いつの間にか、鬼の首を刈り取っていた頼光の部下達が、奴の背後に集合していた。それは宴会場にいた鬼達の首を全て刈り取ったという事を意味していた。そして同時に、今度は俺達の番だという事も。

「覚悟せよ、酒呑童子」

 頼光が刀を振り上げる。

 俺は、何をやっているんだ? 俺は約束したじゃないか……。虎熊も、茨木も、他の鬼達も、全て護ってみせると、俺は誓ったじゃないか……。

「冥土の土産に教えてやろう。我々には、三つの目的がある。」

「三つの……目的?」

「一つは、酒呑童子の首を持ちかえり、帝に献上する。二つ目は、そこの少女の首だ」

 頼光の視線が、虎熊に向けられる。

「我々を派遣した皇太子様からの要望だ。この娘、虎熊童子の肉体は亡くなられた皇女殿下の物らしいではないか。鬼と化した姉の魂を、鬼の肉体から解放せよと仰せつかったのだ」

 虎熊の顔が青ざめる。当然だ、自分の弟の命令で、こいつらはやって来てしまったのだから……。

「綱、お前がやれ」

 頼光の命令で、背後に控えていた武士が虎熊に歩みよっていく。

「くそ!」

 必死に腕を伸ばし、そいつの足を掴もうとするも、頼光が邪魔でまったく届かない。

「無駄だ、酒呑童子。そして最後、三つ目の目的を教えよう。それはな、この山の鬼を、悉く皆殺しにする事だ!」

 その言葉を待っていたかの様に、背後に控えていた武士達が、鬼達の元へと歩み寄っていく。

「や、やめろぉぉぉぉぉ!」

 俺は叫んだ。叫ぶ事しか出来なかった。無力な自分を、殺したかった。何も護れない自分を、殺したかった。

 何が、全てを護ってみせるだ……。何が、鬼は嘘をつかないだ……。私は、こいつらを護ってやることも出来ない、大嘘吐きだった……。

「綱、やれ!」

 頼光の部下、綱の刀が虎熊の首を狙う。しかし、次の瞬間。奴等の間に一つの影が割って入った。

「くっ……」

 ぼとりと腕が落ちる。その腕は紛れも無くあいつの腕だった。

「ははうえっ!」

 虎熊の間に割って入った影は、茨木だった。あいつが身を挺して虎熊を護っていた。

「虎熊、大丈夫?」

「わ、私は大丈夫だけど、ははうえの腕が……」

「なぁに、これくらい平気よ。それより貴方が無事でよかった……」

 顔を激痛で歪めながらも、残った右腕で虎熊の頭を撫でる。そしてそのまま、右足を綱に向けて放った。

「ぐわっ」

 その衝撃で、綱の身体は後退する。力を取り戻した茨木に、人間達は動揺していた。

「さぁ、あんたらもいつまでも寝てないで立ちなさい!」

 茨木の言葉に鬼達は力を振り絞って次々と立ち上がっていった。

「莫迦な、そんな莫迦な!」

「莫迦はお前だ! いつまで俺の頭に足を乗っけているつもりだ!」

 俺は残った力を振り絞って頼光の足を振り払い立ちあがった。

「今までよくも……よくも俺を虚仮にしてくれたな!」

 俺の精一杯の怒声に、頼光達は一気に後退する。いくら鬼を殺してまくった連中とはいえ、自由になった鬼と対峙すればどうなるかくらい、あいつらだって良く理解しているはずだ。

 しかし、奴等はまだ気付いていない。俺達がまだ弱っているという事に。

 茨木が綱に向けて放った蹴り、あれは茨木が本来の力で放ったものであったなら、奴の身体はばらばらになっていただろう。奴の身体がそうはなっていないという事は、まだ俺達の力は弱ったままだと言う事なのだ。それは、蹴りを放った茨木も、それを見ていたほかの鬼達も気付いていた。

「茨木、ここは俺に任せて、お前はこいつらを逃がしてやってくれ」

「何言っているのよ、貴方を一人置いて行けるわけないじゃない!」

「前に言っていただろ? 何かあったら、あんたが皆を逃がせって。今がその時だよ」

 今更ながら、俺は茨木が言っていた事を思い出す。「油断するな」「相手に先手を取らすな」「逃げ道を確保しておけ」そのどれも、俺は守っていなかった。それこそが、今の状況を招いているのだ。全ては俺の所為で……。

 茨木は、俺の事を良く理解している。だから、今俺が考えている事も、瞬時に理解してくれた。

「分かったわ。みんな、逃げるわよ!」

 茨木が指示を飛ばすも、鬼達はその場を動こうとはしない。

「酒呑様を見捨てて逃げる事などできん!」

「そうだ! わしらは酒呑様と残る!」

「馬鹿野郎!」

 それは、俺を含めた鬼達が初めて聞く、茨木の怒声だった。

「首領の命令を無視するつもりか!」

 その怒声に、鬼達はたじろぐ。しかし、あいつだけは、虎熊だけはまったく動じなかった。

「私は絶対ここに残る!」

「聞き分けなさい!」

「いやだ! ちちうえと私は、約束した! ずっと一緒に居てくれるって、約束した!」

 虎熊は、今にも泣き出しそうな顔を必死に堪えながら、俺に向かって叫んだ。

 そう、俺はあいつと約束した。ずっと一緒に居よう、と。

「ああ、そうだったね、虎熊。ずっと一緒……それが、俺達の約束だった」

「うん!」

「……それじゃあ、もう一つ約束しようか」

「えっ? もう一つ?」

「ああ、約束。あんた達は、先にここから逃げろ。俺は……後で行くから。これなら、ずっと一緒の約束を違う事は無いだろう? 離れ離れはほんの少しさ。俺は、お前の元へ帰る。それじゃ不満かい?」

「ほんと? ほんとに帰ってくる?」

 虎熊は、不安そうな表情を浮かべていた。ここで離れ離れになったら、二度と会えないと思っているのだろう。そんなあいつに私は満面の笑みを向けた。あいつの不安を少しでも晴らしてやれるように……。

「疑うなんてひどいじゃないか。鬼は嘘をつかない、約束は守るよ」

「う、うん! わかった! ちちうえが来るの、ずっと待ってるからね!」

「よし、行くわよ!」

 茨木の合図を受け、鬼達は一斉に林の中に逃げて行く。虎熊は何度も何度もこちらを振り向き、「待ってるからね!」と叫びながら逃げていたので、途中で何度も転んでいた。

 最後には、茨木が虎熊を小脇に抱えて走っていった。最後の最後まで、あいつは俺に向かって叫んでいた。姿が見えなくなっても、いつまでも……。

「おのれ、追え!」

 そんな俺達のやりとりを見ていた人間は、そこでようやく俺達が力を取り戻していない事に気付いた様子だった。

「待ちな。ここから先は通さない!」

 両手を広げ、奴等の前に立ちはだかる。

「虚仮威しだ! 今のそいつには何の力も無い!」

 奴等は逃げた連中を追うのを止め、ぐるりと俺を取り囲んだ。おそらく、一斉に攻めるつもりなのだろう。力を失った俺はすぐに殺れる、そう思ったに違いない。だとするなら、それは……。

「甘い、甘いぞ人間ども! 俺を誰だと思っていやがる!」

 時間が経つにつれ、ほんの少しずつだけど戻ってきた俺の力。今、それを解放させる。

「我が名は酒呑童子! 最強の妖怪、鬼の頭領なり!」

 密術によって、俺は元の二倍ほどの大きさに変化していた。本来の力なら、山よりも大きくなる事だって出来る。でも、今の俺には、これで精一杯だった。虚仮威しと言われても、反論出来ない程、粗末なものだった。

 それでも、連中の顔に恐怖の表情が浮かぶ。そう、こいつらは今初めて、鬼と対峙しているのだ。平安京を賑わせ、妖怪を屠り、人間を攫う、最も凶悪な妖怪、鬼と。

そう、私は……私達、鬼は最強の妖怪。

 これは驕りなんかじゃない。これは誇りなのだ。最強を冠する者の、誇りなのだ。

「ここまで来て負けるものか!」

 頼光達が刀を構える。俺に対して恐れを抱きながらも、こいつらは勇敢にも俺を討ち滅ぼそうとしていた。

 正直な所、今の俺ではこいつらには敵わないだろう。だから、俺は誰にも聞かれないほどの小声でぼそりと呟いた。

「俺は、嘘が大嫌いだ。嘘をつく事も、つかれる事もな……。でも、そんな事よりも嫌な事が出来た……。これ以上、あいつらを失いたくなかった……。あんたらを失いたくなかったんだよ……。ごめんな、虎熊、茨木……」

 頼光達は、一斉に俺目掛けて飛び掛ってくる。どいつもこいつも目が血走り、必死の表情だった。

「死にさらせやぁぁぁぁぁ!」

 頼光の咆哮が山に響く。刀の鈍い光が、闇夜にぎらりと輝いた。

 俺は最後に、精一杯の笑顔を奴らに向けた。

「さぁ来い、人間どもよ! 鬼の力、恐怖を、その身で思い知れ!」

 それが、俺の酒呑童子としての、最後の記憶だった。

 

***

 

「ここは……何処だ?」

 薄暗く湿った空間に、ごつごつした岩。目を覚ました俺が最初に見たのは、そんな風景だった。

「やっと……やっと、起きた……」

 頭の中がうまく機能する前に、そいつは話しかけてきた。

「茨木……」

「よかった……気分はどう?」

 頭がぼーっとする。なぜ、私は洞窟なんかで寝ていたのだろう?

そうだ、俺は頼光に首を切られて……。

「焦らなくてもいいわ。ゆっくり教えてあげる。あれからの事を……」

 そう言うと、茨木は岩に腰掛け、語り出した。首を切られた後の、俺のことを。

「源頼光と頼光四天王達は、貴方の首を切り取ると、他の鬼の身体に火を放ち大江山を焼き払った。連中は、貴方の首を持って平安京に帰還しようとした。その途中で私達は襲撃を仕掛けたの。」

「そうだ……虎熊! あいつは無事だったのか?」

「話はちゃんと聞きなさい。虎熊は私達と共に連中に対抗した。それで、どうにか連中から貴方の首を取り戻したの。それで連中は逃げ帰って、帝には不浄な首を平安京に入れる事を躊躇い、塚を作って封印した……と嘘をついたそうよ」

 虎熊が生きていた……それがすごく嬉しかった。

「でも、本当は塚を作ったのは私達。泣きながら、大きな岩を掘ったわ。……特に虎熊は大声で泣き叫んでいた。嘘つき、嘘つきって、何度も叫びながらね。その後、私達は人間の追撃を恐れ一人一人、ばらばらに逃げたの。いつの日かまた再び集まる約束をしてね……」

「そうかい……」

 結局、俺はあいつとの約束を果たせなかった。人間達に首を切られ……ん?

「おい、ちょっと待った。なんで俺は生きているんだ?」

「今頃気付いたの?」

 茨木がくすりと笑う。

「いやいや、なに笑っているのさ? だっておかしいだろ? 首を切られた俺が、なんで今こうしてピンピンしてんのさ」

「それも今、説明してあげるわよ。貴方の身体の特徴をね」

「俺の身体の……特徴?」

「貴方、自分の身体の事を気付いていなかった様ね。貴方の身体は、能力で細かく分散出来るでしょう? まるで煙の様に。すでに貴方は妖力のみで存在しているの。だから、首を切り取られても、死ぬ事は無いって訳よ。ただ、頭を構成している貴方と、身体を構成している貴方に分離しただけ。ただ、それだけなのよ」

「じゃあ、俺はその後にまたくっついて……」

 がばっと起き上がった俺は、茨木に掴みかかる。その時、俺は異様な違和感を覚えた。

「お前いつの間に、こんなに背が伸びたんだ?」

 私の記憶の中の茨木は俺と同じくらいの身長だった。しかし、今俺がしがみついた茨木は、私よりも二倍近く大きかった。

「口で言うより、自分で確かめた方が早いわ」

茨木が水の溜まった泉を指差す。そこに近寄り、水に映る自分の姿を見た瞬間、俺は感じていた違和感の正体を、知る事となった。

「な、なんじゃこりゃ……」

 俺の身体は、まるで虎熊みたいに小さく……いや、虎熊よりも小さいんじゃないかってくらい、縮んでいた。

「はいはい、それも今説明してあげるわよ」

 

 鬼の恐怖、それは国中に響いている。人間は鬼を恐れ、帝に助けを求める。それが帝にとっても信仰を得る機会になっていた為、今まで帝は鬼に手出しをしてこなかった。

 しかし、いつしか鬼の恐怖は、帝への信仰を凌駕する程にまで膨らんでいた。このまま恐怖が増大すれば、いずれその恐怖が鬼に対する信仰に変わり、人々は鬼を崇めるようになるだろう。鬼は帝と同格になってしまう。それを危惧した帝は、武士を使い、鬼を滅ぼそうと考えた。

 帝は、鬼討伐を命じた武士達に、鬼の力を封じる酒、人の匂いを消す山伏衣装、そして鬼の身体をも切り裂く刀を渡し、自らは矢面に立たずに事の次第を見守っていた。

 そして期待通り、鬼は討伐される。しかし帝は知っていた、鬼達は首を切られたからといっても簡単に滅びはしないという事を。故に、帝は鬼の身体を焼き払い、特に力の強い酒呑童子の首は封印しようとした。

――茨木の説明を要約するとこんな感じだった。

「でもそれを妨害して、首を奪ったのは私。だけど、それだけじゃ肉体を構成する成分が足りなかったのよ。だか私は必死に集めたわ。貴方が住んでいた場所、行った場所で貴方が撒き散らしていた妖気を集めたりしてね」

「なんで……」

「なんでって、暇だったからね。でも、まぁ五十年もかかっちゃったけど」

 俺が無意識に散らしていた妖気は空気中に溶けて既に形を失っていた。茨木はそれを集めて俺の足りない部分を補ったという。それは瓶に落ちた一滴の酒を取り出す行為……いやそれを越える、琵琶湖に落ちた一滴の酒を、元に戻すような……そんな気が遠くなるような事を、こいつは五十年もかけて行っていたのだ。暇だったから、という理由では説明出来ない程の長い時間をかけて。

「暇だった、ただそれだけよ。別に他意は無いわ。それにほら、酒飲み仲間がいなくなったら寂しいじゃない。私達、仲間でしょ?」

「ありがとう、茨木」

 仲間、か。

「礼を言う必要なんて無いわよ」

 茨木は、少しだけ照れたような表情を浮かべていた。

 しかし、あれから五十年も過ぎていたって事実は、身体が小さく

なった事よりも衝撃的だった。あれから、みんなは一体どうなってしまったのか。

「ここから先は、貴方の目で確かめてらっしゃい」

 茨木は洞窟の出口を指差す。

「……いつか、落ち着いた時に話がある」

「え? 話って――」

俺は答えを聞かずに外に向かって歩いていった。

洞窟から出るとそこから覗く風景は、五十年経過している筈なのに、全く変わっていない伊吹山の風景だった。

 

 俺は山頂を目指すことにした。見慣れた景色を拝みながら、かつて住んでいた山、伊吹山。五十年前と何も変わってはいなかった。

 この山に住んでいた時の事を思い出す。あの頃は、皆と一緒だった。一緒に雄大な景色を眺め、酒を呑む……楽しかったなぁ。

 でも、今は一人、こうして山を登っている。

 駄目だなぁ、さっきから俺、昔の事ばかりを考えている。あいつらと一緒だった、あの頃の事ばかりを……。楽しかった頃の、もう戻ってこない思い出ばかりを……。

 ひゅぅぅぅぅぅ……

 山を登っていた俺の耳に、空からつんざくような音が聞こえてきた。その音は、徐々に近付いて来る。見上げると、空から何かが勢いよく降って来た。

 どごぉぉぉぉぉん!

 それは、俺の目の前に落下する。落下の衝撃で大地はめくれ上がり、小さく軽くなっていた俺の身体は、その衝撃で少しだけ後方に吹き飛ばされてしまった。

「おっと、やりすぎたかね? 大丈夫かい?」

 爆心地の中央、空から落ちてきたそいつは、にっこりと笑って俺に手を伸ばした。

 そいつは鬼だった。身長は、おそらくかつての私くらいはあるだろう。でも、こんな、鬼を私は今まで見た事が無い。少なくとも、大江山には居なかったはずだ。

 でも、そいつには、どこか見覚えがあった。そのキラキラと輝く金色の髪に少しだけ混じる黒い髪も、頭から生えた赤い一本角も、お日様のような満面の笑みも……

「この山に何の用だい? ここは我々鬼の住む山。みだりに立ち入ると……」

 それは……紛れも無く、虎熊だった。大きくなった虎熊だった。

「お、おい……どうした?」

 虎熊が驚いた表情を浮かべている。でも、本当に驚いたのは、俺自身だった。

 大粒の涙が、堰を切ったかのように大量に、俺の瞳から溢れてきた。生きていてくれた……それが本当に嬉しかった。溢れ出る涙を堪え切れなかった。

「ご、ごめんよ。驚かせるつもりは……。別に取って食いやしないから安心しなよ」

 かつて、俺が虎熊にしたのと同じような台詞……。まさか、逆の立場になって聞くことになるなんて、思ってもみなかった……。

 暫くの間、俺は泣き続けた。その様子を見ていた虎熊は、かつての俺がそうであったかの様に、ただ俺の周りをおろおろと動き回り、笑顔で優しい言葉をかけ続けていた。

「ふぅ、せっかく久しぶりに鬼の仲間に会えたと思ったってのに、こんな泣き虫とは……」

 一向に泣き止まない俺に、虎熊がぼそっと溢す。

「なに言ってんだ……。お前だって、昔は泣き虫だったじゃないか……」

「はぁ? 昔だって? あんた何を言って……」

 

――これは、遠い昔の物語――

 

「こ、この角は……それにこの匂い……あんた、まさか……」

 酒呑童子は、かつて大切な人と交わした約束を、何一つ守れなかった。嘘をつく奴に、鬼の名を語る資格は無い。あいつは、最低な奴で、だから滅ぼされたんだ。

 今の俺は、もう酒呑童子じゃない。かつて酒呑童子だったものの残骸から産まれた、新たな妖怪。そんな俺が、こいつの親を語る資格なんて、もう無いのかもしれない。

 だから、俺は歩み出す事にした。新たな道を、新たな運命を……。

「俺は、ただの名無しの鬼さ。あんた達の仲間になる為に、ここまで来たんだ。さぁ、俺に名前をくれ。かつて、俺がそうした様にかっこよくて強そうな名前をな……」

 

***

 

「これで、虎熊が小さかった頃の話は、おしまいだ」

 俺は一息つくと、ぐいっと酒を飲み干す。その時、話が終わったタイミングで、話を聞いていた新参者の鬼は酔っぱらって眠りにつく。

「なんだい、寝ちまったのかよ。それじゃ、俺はそろそろ行くか」

「もう、行っちゃうんですか?」

 同じく話を聞いていた別の鬼が声をかけてくる。

「ああ、今日は約束があるからな。また来るよ。」

 俺は手を数回振って、酒を呑みながら、ふらふらとその場を後にした。

 

 鬼達の宴会を抜けだし、俺は久しぶりに山頂を目指し、山を登っていく。

 伊吹山は標高が高く、上に登る程森林限界によって緑が失われ、岩肌がむき出しになっている。でも、そんな高所にあって、一カ所だけ草木が生い茂る場所がある事を、俺と、もう二人だけ知っていた。

「懐かしいな、この茅場。昔とちっとも変わらない」

 そこは、俺と茨木と虎熊だけの秘密の場所だった。他に誰も知らないこの場所でだけは、三人はかつての関係に戻ることが出来たのだ。

「そういえば、昔はよく肩車してやったよなぁ」

「懐かしいね。今となっては私が肩車する方だけど」

「……かっこ悪いわね」

「茨木、うるせぇよ! 人がせっかく感傷に浸っていたっていうのに!」

 三人で笑い合う。俺は月光に照らされた虎熊の顔に、かつての面影を見る。幼かった頃の、虎熊の面影を……。

 しかし、今の虎熊はもう立派な鬼。もう泣き虫だった頃の虎熊では無い。子供扱いした事を少しだけ反省した。

 でも、仕方無いだろ? 親は、いつまでたっても子供の事が心配なのさ。

次に横で微笑む茨木の顔を見る。こいつには色々と世話になったな。そうだ……一つ、忘れていた事があった。

「……茨木、お前に伝えたい事がある――」

 一人は笑みを浮かべ、一人は顔を赤らめ、一人は「父上、母上。おめでとう」と祝う。昔とは少しだけ変わった関係になった三人は月を眺め、酒を酌み交わした。

 

「眠っちゃったか……」

 月が綺麗な夜。俺に寄り添い眠る二人を見つめ一人で酒を呑み、息をつく。そして新たな酒を盃に注ぎ、それを月に掲げる。

「約束しよう――」

 もう嘘をつかぬよう、失わないよう、そして全てを護れるよう。空に浮かぶ月に俺は誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後書き

 

こんにちは、初めまして。新入りの夜天童子です。

 今回、初めて出すくせに無駄に長い文章を書いてすみません。

そのせいで日本語がおかしい、もしくは読みづらい文章になっていると思いますが今回ばかりは許して下さい。

 

さて、今回の作品ですが家で昔話がたくさん載っている本を暇つぶしで見ている際に源頼光についての物語を見て、こいつ卑怯者じゃねぇか、と思いまして本来は悪役である鬼達を主人公にして書いてみたくなったのです。

 自分は妖怪などが好きなのでつい熱くなっちゃいまして、本来十ページくらい書けたらいいな、くらいで書いていったら三倍近くに膨れ上がっちまいましたよ。……鬼達の日常生活とかのギャグの部分を入れたかったんですが長くなりそうだったので没になりました。

 

 では、書くことも無くなってきましたのでこの辺で。また別の機会に。