大きな木製の扉の前、備え付けてある金色にメッキされたプレートに

自分の顔が歪んで映るのが見える。

 ――引きつっている。

 上官の部屋に入る時はいつも緊張する。だけどこの部屋は特に入り たくない部屋だった。

 まるで部屋からは他人の侵入を拒むような何かが出ている様に感じられる。

 それに今回はいつもと違って、呼ばれる理由がわからなかった。嫌な予感がした。

 一度大きく深呼吸をしてから扉を二回ノックする。

「入っていいぞ」

「失礼します!」

 私は扉を開き中に入った。

 中では一人の男が事務机の上でタイプライターを打っていた。制服の襟には枠で囲まれた星が二つに線が一本――少佐だった。

「カーレッジ・マーティン少尉、ただいま参りました」

「久しぶりだな、カーレッジ」

 ドスの利いた低い声、年齢は三十台前後、短い金髪にサングラスを掛けている。体格は軍の制服の上からでも分かる程ガッチリとしていて、タイプライターが子供のおもちゃのように見える。

「最後に会ったのはいつだったか……」

 タイプライターから目線を移さずに少佐は訊ねた。

「半年前であります」

上官に対する敬語は軍隊という場所では必須である。私は口調を変えずに答えた。しかし、少佐は見た目に似合わず砕けた口調でしゃべり続ける。不振だ。

「半年か、お勤めご苦労さん。第29連隊は厳しかっただろ。あそこの隊長はバリバリの職業軍人だからな、どうせああ言うタイプは家庭も顧みないんだろうな」

「あなたがいえたことですか!」

 言ってはいけないと分かっていても、言ってしまった。

「弟も妹もみんな会いたがってます。あなたも母さんも、最近はほとんど顔を出さないじゃないですか!」

 上官とは分かっていても、責め立てる様な口調になってしまう。

 少佐は急にバツが悪くなったような顔をして、タイプライターから顔をあげた。

「仕方がないだろ、今はちょっと大変なんだ。だがあと少ししたら、またみんなで暮らせる。家族全員とはいかないかもしれんが……なんてな、冗談だよ。おまえがあんまりにも真剣な顔するから、からかってやろうと思っただけだよ」

 終始真剣な顔でしゃべっていた少佐は、突然おどけたような顔でお茶を濁した。

 この人は本当に嘘が下手だ。いつもと違うことをしようと、どことなく行動が不振になったり、会話の最後を茶化したり濁したりしようとする。

「失礼、口が過ぎました。しかし職務上、今はマーティン少尉でお願いします。トレイター少佐」

「ケチケチしたこと言ってんじゃねぇよ。昔はパパ、パパってそりゃ可愛かったのによ」

「公私混同はしない様に教わりました」

「誰にだよ」

「母さんです」

「そうか……あいつがな。まぁ良い、今日はちょっと話しがあるんだ」

 そう言って少佐はタイプライターを打つのを止め、椅子に深く腰掛けなおし、一枚の書類を私の目の前においた。

「辞令だ。おまえは明日から俺のいる第56連隊特務中隊に配属が決まった。以後よろしく。」

 嫌な予感は的中した。やっぱり、また辞令だ。

「悪いな、隊に馴染み始めた頃だとは思うが、お前は有能だからな」

「左遷ではなく引き抜きだと言いたいんですか」

 少佐はニヤニヤといやらしく笑った。

「どう受け取ってもらおうと構わんよ。明日からきっちり働いてもらう。とりあえずこの国に用はない。明日出港する潜水艦でラボのある日本に行ってくれ。以上だ」

「え?」

 今何と言った? あまりに突然のことで頭の中が一瞬真っ白になる。

「え、え……え、じ、自分が日本にですか?」

「そう」

 少佐は一切顔色も口調も変えない。

「な、なぜ自分が……」

「だから有能だからだと言っているだろうが」

「じゃ、じゃあ弟や妹たちの面倒は?」

「それはおまえの心配することじゃない」

「しかしそれでは――」

「これは決定事項だ! 今更変えられん」

 少佐は机を手をつきながら椅子から立ち上がった。

「ラボでの仕事は護衛任務が基本だが、それだけじゃない。そういうことも含めてお前が選ばれたんだ。」

「しかし――」

 やはりまだ納得がいかない。なんで私がそんな仕事を――

「失礼します」

 不意にさっき自分が入ってきた扉の外側から三回のノックと女性の声が聞こえた。

「入っていいぞ」

「失礼します」

扉を開けたのはあまりに意外な人物だった。

「姉さん」

自分と同じ軍服を着て、長いブロンドの髪に印象的な赤いベレー帽を被っている。

姉さん入ってくるなり、ものすごく嫌そうな顔をして私と少佐を交互に見た。

しかしすぐに姿勢を正し敬礼をしながら挨拶をした。

「シンシア・マーティン少尉、ただ今到着致しました」

 敬礼をやめると姉さんはすぐに私の方を向いた。

「で、あんた何してんの?」

 姉さんも同じ軍に所属していることは以前から知っていた。でも確か彼女は空挺部隊に配属になったと記憶している。

「姉さんこそどうしたの? 確か空挺部隊に配属されたんじゃ」

「昨日まではね」

 そういって姉さんは腰に手を当てながら大きく溜息をついた。

「私は左遷されちゃうのよねぇ。第56連隊とかいう訳わかんないとこに」

「え、もしかして姉さん56連隊?」

 私が驚いたのと同じくらい姉さんも驚いたのだろう。大きく目を見開いて、しまいには口に手を当てて笑い始めた。

「もって事はもしかしてあんたも左遷されたの?」

 姉さんはざまあみなさいと言いながら笑い続けた。いい加減殴っても許されるのではないかと思い、口を開こうとしたとき、突然少佐が怒鳴った。

「だから左遷じゃねぇって言ってんだろうが! この馬鹿ども! 身内でも上官は上官だぞ。いい加減シャキッとせんか!」

 怒鳴った理由は左遷≠ニいう言葉が気に入らなかったかららしい。

 小さい頃から、怒った時は誰よりもこの人が怖かった。普段優しい人間が怒るほど怖いものはないと、教えてくれたのは間違いなくはこの人だ。

「失礼しました」

 姉さんと共に姿勢を正しながら敬礼をする。

「カーレッジ、公私混同はしないんじゃなかったのか?」

「申し訳ありません。以後気をつけます」

「シンシア、入ってくるなりお前の態度はなんだ。身内だからって気が緩んでるんじゃないか?」

「はっ! 仰る通りであります」

 よく考えてみれば、最初から砕けた口調で話していたのはこの人だったと思うのだが。職権乱用なのか、パワーハラスメントなのか、どちらでもないのか、よくわからなくなった。

「とにかく明日にはもう、お前たちはこの国を去らなければいけないだ。荷物は今日中にまとめて、明日海軍の七番ドックに八時集合。これはパスポートと乗艦許可証だ」

 少佐はなくすなよ、と念を押しながら封筒を手渡してきた。

「むこうでの任務は少々厄介ではあるが、俺は適任だと思っている。まあ、深く考えずに頑張りな。少ししたら俺も行くからよ」

 そのあと少佐は事務的な話を始めた。どうやら私と姉さんは同じ特務中隊に配属らしい。

その後、淡々とした話が終わると少佐は行っていいぞ、と言って私たちを部屋から追い出した。

 退出時の敬礼はしたものの、少佐は最後の方は上の空だった。

なんだか目線を合わせない様にしていた気もするし、今日の少佐は明らかに不振だった。

扉を出てから、姉さんと横並びに廊下を歩きながら話をした。

「ねぇカーレッジ、今日の少佐って変じゃなかった?」

「姉さんもそう思った?」

 姉さんはベレー帽を脱ぎ、頭をポリポリ掻きながら話を続けた。

「明らかに不振よね、今日のあの人」

「何か隠してるよね、絶対」

「あの人たちが隠し事なんていつものことだったでしょ。孤児院にいたときは誰も何も教えてくれなかったじゃない」

 なんだか冷たい口調で姉さんは言った。だけどそれも仕方がないことだと自分も分かっていた。

 私たちはとある孤児院で育った。

 経営は少佐と母さんの二人だけ。いつも母さんと呼ぶ女性も本当の母親ではない。そこでは名前のない子供がほとんどで、私の名前も少佐に頂いたものらしい。だからマーティンというファミリーネームも孤児院にいたほとんどの子供についていた。みんな家族のだった。

姉さんの言うあの人たち≠ヘ間違いなく少佐と母さんのことだ。

母さんは研究員でどこかのラボに勤めていて留守にすることが多かった。

少佐はよく孤児院に顔を出し、みんなにお菓子を配ってくれたりした。

しかし、二人とも仕事や孤児院については多くを教えてはくれなかった。

兄弟姉妹は百人以上いたが、姉さんはその中ではリーダー的な存在だった。いつも姉さんはみんなを代表して、少佐や母さんからいろんなことを聞き出そうとしていた。いつ帰ってくるか、どんな仕事をしているのか、私たちはこれからどうなるのか。

いつも姉さんはお前たちの気にすることじゃない、と軽くあしらわれていたのをよく覚えている。

 だから姉さんがあそこまで言うのも分からなくはない。そう思うことにした。

「それにしても姉さんと同じ中隊に配属なんて、何の偶然だろうね」

「偶然な訳ないでしょ」

 姉さんは腰に手を当てたまま、私の正面に回り込み仁王立ちした。

「いいカーレッジ? よく考えなさい。この時期にいきなり配属先が変わるだけでも不自然なのに、同じ孤児院を出た、同じ苗字の人間が、同じ時期に、同じ部隊に配属。しかも上官が身内。これが偶然で起こると思う?」

「起こらないことはないと思うけどな……」

突然ベレー帽で頭を叩かれた。

「ありえないわよ! 絶対あの男が何かしたのよ! そうに決まってる!」

「考えすぎだと思うけどな」

「まぁいいわ、むこうに着けばすぐにわかるはずよ。蛇が出る熊が出るか知らないけど、望むところじゃない!」

姉さんはそういってどこかへ行ってしまった。

 私も準備のために一旦、家へ帰ることにした。

しかし私たちはこれから、蛇や熊よりももっと恐ろしいものを見るとは思ってもいなかった。

 

つづく

 

 

 

 


あとがきモドキ

 

おはようございます。神山とかいう人です。

おはようございますは万能な挨拶なのでいつ使ってもいいんですよね。

 

まず、読んで頂いた方。誠にありがとうございます。

 

今回のヤツ、すみませんつづきモノです。いっぺんに書いてしまいたいのはやまやまなのですが、春休みの忙しさや原稿提出前のオーバーワークのせいで全然かけませんでした。ごめんなさい。いいわけでした。

 

まあつづきモノがどうとか言っても、私のヤツは今まで出したものは全部世界観一緒なんですけね。

ああ、もっといろいろ書きたかったな。とか思ったり思わなかったり。

まだまだ未熟者ですがこれからも頑張ろうと思います。

 

これ以上書いてもグダってしまいそうなので今回はこの辺で終わりにしようと思います。

それではまた、どこかでお会いしましょう。